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Posts Tagged ‘言語道断’


11月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 15th, 2010  Posted 10:40 AM

11月15日 先勝(己巳)

言語道断なる美を、
デザインで創り出していきたい。

それが必ずや、
より善であり、
義なる生き方につながっている
と信じる。

『デザインは言語道断』あとがき


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11月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 14th, 2010  Posted 11:10 AM

11月14日 赤口(戊辰)

言語道断の世界から解放されながら、
それでも言語の連鎖環の中で、
「同断=言わず」と想いつつ、
かたちで言い尽くしたい!
そこに
デザインの世界があるはずである。

『デザインは言語道断』あとがき


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11月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 13th, 2010  Posted 11:01 AM

11月13日 大安(丁卯)

イメージは、言語世界の中で
モルフェーとなっていくものである。
言語世界を超越する修証として、
道元の言語道断という公案こそ、
ことばとかたちの中で
人間が生きる手だてだと
私は自分に言い聞かせてきた。

『デザインは言語道断』あとがき


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11月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 3rd, 2010  Posted 10:00 AM

11月3日 大安(丁巳)

「言語道断」とは、
道元が発した禅宗の、
いわば哲学的な言説語である。

ことばでの表現が
全く不可能な世界観を示す、
「道断=言わず、道断=言わず」という
現成公案(=心理は常に
すべての存在の上に、ありのままに
はっきりとあらわれているという解釈)
の一つであった。

『デザインは言語道断』あとがき


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9月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 15th, 2010  Posted 8:46 PM

9月15日 先負(戊辰)

言語道断なる美を、
デザインで作り出していきたい。

それが必ずや、
より善であり、
義なる生き方に
つながっていると信じる。

『デザインの極道論』


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『資本主義からの逃走』
   「デザイン手法の直観はつつましさを知ること」


   


     7月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

コンセプト不要
「空」・「無」というのは、
正直、日本の「知らなければならない」仏教的素養。
となれば、私は、教条的で、観自在性すら剥奪されそうだと思っています。
しかし、これまで「デザイン手法」あるいは「デザイン手続き」と言えば、
「コンセプトづくり」は手法中の決定打です。
私は、「コンセプト不要」と断言しました。
即、直観が造形を招き寄せることは、
デザイナーになって以来、幾たびも私にある種の「啓示」を与えてくれました。
「啓示」のごとく、ひらめいてくれたのです。
饒舌にならず
「コンセプト不要」と主張することは、「つつましさ」も無いと評価されるでしょう。
しかし、「コンセプト」は、言葉に、それも饒舌に語り伝えなければなりません。
「つつましく、饒舌にならず」ということを、
欧米的態度として私たちもその態度にならなければいけない、
そのことこそ教条的に受け入れてきたのかもしれません。
私は、「コンセプト不要」を断言するために、その準備はしてきたつもりです。
「言語道断」
「言語道断」という言葉でした。
「言葉、謂わず謂わず(言葉、道断道断)」道元です。
つまり、「言葉にはもうならない」、
「言葉ではとても表現できない」ということを喝破した観念=想いの長けです。
コンセプト即・概念では表現できないこと。
中核に言葉=周縁で取り囲んだコンセプトは虚しいだけです。
中核にコンセプト=周縁は言葉で納得しようというのは虚無です。
「言語道断」ゆえにぎりぎり「かたち」で表す。
当然、そのかたちが生み出し、表現する性能と存在の効能、
これらが統合化されて機能をデザインする。
こういうことから再考しようというスローガンが「言語道断」でした。
さて、ここからは、読者諸兄の「つつましさ」に預けなければなりません。
これまで、ほとんどデザイン手法の核心だったコンセプトから、
コンセプト無くして、デザイン無しとする慣習から決別できないならば、
「勝手に、コンセプト云々を!」です。
つつましさの使い勝手
私は、提案します。主張します。
「コンセプトから離脱を」
「コンセプトづくりと決別を」と!
あなたが「コンセプトを投げ出すだけの直観、その勝手さ」に委ねます。
私が啓示されているのは、「つつましさ」に使い勝手があるということです。
「使い勝手のあるつつましさ」に、
今、日本人デザイナーは、瞑想してでもそこからの「直観」を求めるべきではないでしょうか。
「コンセプト」から「デザイン」する手法では、
つつましさには近づけないことを妄信していいかもしれません。


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