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Posts Tagged ‘設計’


『日本人パイロットなら、絶対に正確なのです』


   


     8月 5th, 2019  Posted 12:00 AM



陸上自衛隊が新たに導入した日の丸オスプレイの映像を見ました。
今では最も危険だと言われている,
あの「オスプレイ機」は事故が多く航空安全性と事故調査や、
安全保障の体制と日本の対応が問題となります。
もう忘れていましたが、
日本製で提案してきた航空機も確かにありましたが実現していません。
米国「オスプレイ機 V-22」の小型戦術機も開発され,
自衛隊のパイロットが訓練を受け全く安全という記事を見ました。
なんといっても垂直離着陸輸送機であるオスプレイは、
垂直で上がってしまうわけですから、
滑走路を必要としない利点もありますが、
離着陸地点の高温・風圧前提の設計対応を要し、
また、人間の垂直感覚適応への訓練と
育成に時間とコストをかけなければなりません。
自衛隊ゆえに軍機になってしまいますが、
戦闘用からは外れればとっても面白い飛行機が
出てきたと言えるのです。スタイリングもいいです。
やっぱり、ダ・ビンチの想像のように、
「空中を飛ぶ」ことへの憧れがあり、
カーデザイナーを目指す教え子にも「車は空を飛べない」と
次世代への進化を求めていました。


オスプレイ機


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『「人間工学」をデザインの基本は間違っている』


   


     5月 21st, 2019  Posted 12:00 AM



ERGONOMICSは、人間工学と訳され、
そもそもは戦術的学問として登場し、その目標は効果と安全だったが、
第2次大戦後には労働成果を求めた科学として
Human Factor Engineeringに呼称が変わりました。
Human Factor Engineeringは米国で、やがて英国では、
Human sciences and advanced technology=
HUSATに変わっていきましたが、
国内では一冊も学術書がありません。
HUSATは英国で人間工学の応用研究とそのコンサル業務、
専門家養成を育み、情報関連産業を取り扱ってきました。
製品開発や各種審査会では人間工学をアピールしながらも
わかっていない作品、製品、商品があります。
例えばやはり手が基本で、握る、掴むなどや、
身障者対応といった人間工学的アプローチが
重要な聖火トーチ審査でも恩師・柳宗理からの話を思い出しながら、
人間工学的に間違っている場合は、その点を批評をしました。
学生時代には「なぜ、野球のバットのグリップが円形か?」を教わりました。
私は「手」を基本として、ボリュームやスイッチなど多くを学び、
オーディオ機器商品を世に出しました。
現在でも人間工学を応用した、
またその成果を設計に落とし込んだ商品には、
間違っていることが多いのです。
まずは、「手」の動きから多くを学ぶことが基本です。


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『軍事技術である人間工学 は軽薄に語るべきでない』


   


     11月 5th, 2017  Posted 12:00 AM




本格的に「人間工学」を認識せざるをえなかった経験は美大ではありません。
ヘッドホンのデザインに取り組んだ時でした。
それは自衛隊の戦闘機パイロットのヘルメット設計マニュアルでした。
随分と説明、説得に自衛隊に行きましたが、閲覧は駄目でした。
理由は「人間工学」は元来、軍事技術工学であるからです。
しかし、日本での商品説明で多様されている人間工学の軽薄さは虚実説明。
人間工学は、機械の使用者(兵士)が機械行使(戦闘)で、
安全(生命を防御)であり、効果(敵を倒す=殺す)ことが中核です。
このことから第二次世界大戦以後、エルゴノミックスは学会活動が停止され、
学術名称もヒューマンファクターエンジニアリングで、
フェールセーフ・ヒューマンエラーの技術とデザイン(設計)になりました。
さらに、HUSAT(Human Sciences and Advanced Technology)になり、
今ではUIやレジリエンスデザインの領域にと進化しました。
それでもエルゴノミックスが最適解になっているのは、F-35に他なりません。
F-35A・F-35B・F-35C、これらのパイロットヘルメットが最適解でしょう。
もし、すでに想定されている北朝鮮への軍事圧力にはこの戦闘機でしょう。
結局、古来から工学技術が軍事開発と軍需産業が経済進化の動機が、
無念ながら、この人間界の世界観政治姿勢になっていることは、
このスティルス戦闘機に象徴されていることです。
モホリ・ナギ的に言えば、
「デザインとは社会に対する態度である」とするとき、
こうした軍事技術が不要な世界観にありましたが、
私はいわゆる商品コピーで語られる「人間工学」で、
例えば倚子を語り直すときには、軍事技術の切れっ端程度の語り口では、
それこそ引用というよりも偽善、
したがって、人間工学をデザイナー教育の基本には軍事工学技術を
避けてはならないのではないかと思います。
少なからず、私には男の子ゆえの戦車から戦闘機、武器などは、
正直、殺し合い=戦争とは全く無関係に、好きなことでもあるのです。
男は武器が好きといういう感覚、あるいはセンスは、
カモフラージュ柄がファッション性と同語化していることに匹敵しています。
それだけに、こうした戦闘機は、ビジネスジェットと同等のPower by Wire
と言われている油圧アクチュエータでの電気信号制御があります。
軍事技術である人間工学とデザインの整合性は
もっともっと整合性構築に向かって革新されるべきと考えています。


* 『若き日、「東京家具見本市」で二人は学んでいた』
* 「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」
* 『HUSATとしての「シーティングエンジニアリング」』
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』
* 『軍備産業の機能・性能・効能を廃止する哲学が要る』


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『京都に隠れ家あり』


   


     10月 24th, 2017  Posted 12:00 AM




京都は私にとってはやはり日本の代表都市だと思います。
東京は私には首都と言っても時代流行の軽薄な都会でしかありません。
日本の文化を支えてきたのは、越前=福井県と美濃=岐阜県であり、
これが文明を伝統化して文化を支援したというのが私の信念です。
なぜなら、京都も奈良も、根本的な文化を支えてきた労働の里=鄙は、
福井県と岐阜県であることは間違いありません。
なぜなら、刀剣、和紙、漆器、陶器は、この二つがあればこそです。
私の母方は、宮大工でありそれは紀州から京都に住み、
関ヶ原にて秀吉と家康に分断され、負けた一族は逃げて越前のもっと鄙に
隠れ住むことでした。
奈良には「お水おくり」があり、京都には「鯖街道」があるがごとく、
都文化を支えていたと言い切れます。
そして私自身、ワイフは京都生まれ京都育ち。
よって、毎月、映画を観ることにして京都には滞在します。
私は身しょう者対応が出来ているのは、日本では京都と金沢であり、
それがなんとも文化を最もシンボル化していると判断しているのです。
そして、これは京都の隠れ家でもあり、スタッフに先般、初めて見せました。
正直、私は家という住処意識は全くありませんから、
これは私の一応隠れ家ですが、ほとんどがいずれはワイフの住処でしょう。
この家の設計は友人の作品でもありますが、
手づくり感を大事にする友人建築家と工業製品感が当然という私、
この対立は、設計から施工にあたって大変な論議をしたものです。
この家が建つ前には、ほとんどが空き地でしたが、
今ではすっかりと住宅地になっていますが、
造形的には平屋建てのたたずまいは美しいと思います。
私は建築デザインよりも工業デザインがどれほど繊細で難しいかを存分熟知。
日本の住宅建築は、工業デザインが主体であるべきと思っています。
だから日本の住宅建築で最も軽視されてきたのは、
耐震性や土砂災害であり、それ以上に、
すべての住宅にはシェルターが必須だったことです。
「家」のパターン・ランゲージで言えば、
日本の住宅には絶対にあらゆる自然災害と防衛としてのシェルターは、
本当に大切だったと今は特にそう思います。


* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 「青い空は動くのです、しかも晩夏の空にアラート不要」
* 『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』
* 「車とエレベーター」
* 『「森羅万象悉く紙なり」とは神と死に直結している』


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09月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

09月14日 赤口(甲辰)

自動車ディーラー、ガソリンスタンド、
コンビニ、ファミリーレストラン、
どれもこれもマニュアルどおりに設計
されていて、
この「画一性」は本当に美しくない。



『デザインの極道論』量感


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『伝統ともなっていくデザイナーの一作品』


   


     6月 10th, 2017  Posted 12:00 AM



デザイン界の巨匠と言えば、リチャード・サッパー、
代表的に彼の名前そして作品があります。
その作品のどれを取り上げようかと私は悩みました。
結果理由は、ハロゲン電球を発明的に使用した照明器具:Tizioにしました。
今はとりあえずハロゲン電球をLEDに変えているので単なるコピーですが、
いづれこの照明器具は現状のLEDを超えた必ずワイヤレスになるでしょう。
デザイナーになれば、私の時代はドラフターがありZライトがありました。
最も、ドラフターは美大時代は、
画材屋さんのショーウインドウにあり、社会人になるとあれが使えると、
そんな具合で、T定規と三角定規、烏口(からすぐち)で学びました。
さて、この照明器具は憧れのモノであり、
自宅はじめ研究室もすべてに置いて使ってきました。
多分この照明器具もいずれは美術館そして博物館展示になるでしょう。
そこでデザイナーならば心に留め置くことがかなりあります。
照明する場にどの角度からでも光をあてて「あかり」に出来ることです。
それは、容易簡単に角度調節でのバランスがとれるのです。
そしてどのような角度調整でも、存在感には、
あかりが有る無しに関わらず美しいことです。
ともかく、まず造形アイディアと素材や構成の設計から生産性までが、
彼の場合はどんなモノでも「んーそうか!こう解決したから美しい」と
思わせてしまう造形デザイン力です。
可能であるなら、彼のデザインしたモノで自分の生活を取り囲む、
それが果たせるデザイナーだと私は思ってきました。
それこそ、あのIBMも長期にわたって彼がデザインディレクターでした。
この照明器具があるならデスクには、絶対にこのモノが必要であり、
それが置いてないなら、ユーザーのセンスが疑われるでしょう。
そういう意味では彼のデザインしたモノすべてに行き届いている
造形デザイン力は職能であるデザイナーのそれこそ最も大事な
伝統があるということですから破壊しなければいけないのです。


* 『実寸大の馬に照明とスピーカーが乗っかる』
* 『実寸大の馬が32階の自宅にいる!』
* 「私の教授室にはドラフターは2台」
* 『見詰める光は「あかり」になるという事例』
* 「USBからワイヤレス化と電磁波空間」


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『HUSATとInternet of Medical Thingsのデザイン言語 』


   


     7月 5th, 2016  Posted 12:00 AM



美大時代からの盟友・光野有次氏はデザイン対象でも同志です。
彼の唱える「シーティングエンジニアリング」は、
人間工学を超えて、これこそわが国にやっと登場してきた
HUSAT= Human Sciences and Advanced Technologyの
主要なデザイン工学。
自分は車イス生活者として、
体型が変形してきたことを全て見せて、
彼からの大きな支援を受けられることはとても幸運です。
正直、学生時代から人間工学には不信感をもってきただけに、
今回は自分がモデルケースとなって、これを体系化していけるはずです。
人間工学の統計的な平均値からの設計論には大きな偏りがありました。
自分の経験では、まずヘッドホンのデザイン設計からその疑問があり、
メガネフレームのデザイン設計では
幸いにして眼球を解剖出来る立場だったため再確認出来ました。
車イス設計では自分なりのHUSATでデザインを実務実現しました。
しかも体型の変形・高齢化ですっかり自分がモデルになることが可能です。
彼自身も車イス設計から海外製販売会社の日本支店長経験もあり、
現在の特に電動タイプには大きな違和感を持っています。
ユニバーサルデザインを最初に国内に持ち込み、結局、
ユニバーサルデザインはHCD=Human Centered Designに変更しました。
これこそ、HUSAT+HCDをConsilience Designへと、
自分自身の車イスで実験して実務化できます。
まさに造形言語としての「シーティングエンジニアリング」は、
形態言語としてのHUSATされたデザイン内容と効果が生まれると考えます。
しかしながら、すでにデザイン工学としての人間工学は終焉していることを
強く訴求していかなければなりません。
IoTがInternet of Medical Things=IoMeTの骨幹に、
「シーティングエンジニアリング」が成立することは間違いないでしょう。

*『ユニバーサルデザインの原意』
*『座姿勢の複合制御性能とその機能化からのIoMeT』
*『「コンシリエンスデザイン」名詞格を接頭語にした新概念』
*『ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり』
*『ヘッドホン選別の私のポイント提案です』


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『HUSATとしての「シーティングエンジニアリング」』


   


     7月 4th, 2016  Posted 12:00 AM



車イス生活を余儀なくされて来年は40年になります。
本当に正直よく生きながらえているものです。
すでに私の体型は変形が来ていて、
しかも今ではすっかり電動車イスを使用していますが、
自分にはとても幸運なことがあります。
美大時代同級生に、「シーティングエンジニアリング」を
打ち立ててきた親友がいるのです。
以前から、「体の変形を指摘して、俺が直す」と言ってくれていました。
彼はすでに身障者向けの様々な開発をしてきた日本ではトップクラスです。
彼を阪大の自分の研究室の特別研究員になってもらっています。
おそらくわが国では最初に
「身障者向けの家具から用品の開発」をしてきた男です。
彼に計測とシートの作成を頼みました。そして使い心地を確認して、
再度、また体型の変形を矯正する
「シーティングエンジニアリング」を適用してもらっています。
「シーティングエンジニアリング」はこれまでの人間工学を進化させている
新しいデザイン医工学のHUSATになろうとしています。
おそらくHUSATを知る工業デザイナーは
まだほとんど国内にはいないでしょう。
HUSAT=Human Sciences and Advanced Technologyです。
今、彼:光野有次と自分が組めば、最も強力で新たなHUSATとして
車イスは勿論、椅子そのものの設計を革新することができるでしょう。
何と言っても、自分が使用者のモデルになれること、
彼も自分も美大では徹底的に
モノづくりのトレーニングを体で覚えてきたこと。
ユニバーサルデザインは、自分が米国から持ち込んできましたが、
最早その時代は終焉していて、人間工学も不可能なことを
HUSATとしての「シーティングエンジニアリング」を
「コンシリエンスデザイン看医工学」に配置したいと考えています。

*『「座る」・人間工学からシーティングエンジニアリング』
*『車いすのレジリエンスとノルアドレナリン』
*『少数派のためのデザインから・再度、再検証』
*『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
*『インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』


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『宝飾品を実際に確かめていた頃を思い出す』


   


     5月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



オーディオデザインに懸命だった若き日に、
アンプのツマミ設計で「ガラス」素材を試行していた時代がありました。
ちょうど後輩がガラスメーカーのデザイン室にいて
いくつか試作を現場=工場につめて取り組んでいたことがあります。
ツマミと部品、ボリュームなどの取り付けに苦しんでいました。
ようやく、3個ほどの試作を持ち帰りましたが、
技術側も営業側もまだまだ入社間も無い私は両方から苛められていました。
若いときから「売られた喧嘩」と考える私は、
なんとしても実現したくて、「30代以上は口出すな」という気迫でした。
しかし、チーフに説得された生産コストで納得しました。
ガラスを使うという私の狙いが、今、私の車AMに適用されています。
なんとも、素晴らしい仕上がりであり、透明ガラスと機構とは、
透明ガラスの底にはエンブレムロゴが入っていて、
「そうか、ここまでの仕上げが出来るんだ」と思い、
この製造方法を聞くと、これは宝石加工メーカーに別注らしいのです。
その他のキーホルダーや、ジッポーライターのエンブレムも
すべてそのメーカー製ならではの仕上げが出来ています。
工業デザイナーは「高級品の仕上げを知らないから、
覚えてきなさい」と、上司に言われて、
銀座の和光に連日通ったことがあります。
そこでは、若者などがいる場所ではないために、
支配人に別室に呼ばれましたが、事情を話すと、
お店の方々に命令していただき、白い手袋をはめて、
高級時計やライター、そして宝飾品を実物で確かめました。
その支配人は、私のもう一人の師匠だったと思っています。

*『高級店での思い出・銀座で学ぶ』
*『インターラクションデザインの基本は可変抵抗器と指先』
*『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
*『SZ-1000・私のオーディオ最終作だから』
*『万年筆メインテナンスから見えている現実』


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『空間へのdolly的な隠喩性という手法』


   


     4月 11th, 2016  Posted 12:00 AM



コンセプトからの発想はすでに限界があります。
僕は「ライン」=lineという概念・観念・文脈の
統合的な手法を提案しています。
まず、その最初に「Scope」という思考空間の設定を行います。
現在のスコープはプログラミング言語としても、
変数や関数、言い換えれば変動、変異、関係、関与性を定義していますが、
それは思考空間を視覚化していく隠喩性の表現です。
まず、思考はどこ「から」どこ「を」を対象にしているかということです。
それは視点がふたつあることを示しています。
どこからというeye-pointがあり、
どこをみているかというview-pointがあります。
ところがこの点と点は視線:あたかも眼差しというview-lineができます。
そしてこの眼差しを動かしていくことをdollyという言葉を手にいれました。
dollyはComputer Graphicsで新しい用語になったのだと思います。
これは僕自身がトロント市でCGのトレーニングで
初めて知って驚愕したのです。
これは視覚化を一つの隠喩として、
聴覚・触覚・臭覚・味覚という感性に
性能と効能と機能を設計し企画・計画デザインになります。
以上のことからも、明確に思考空間・感性空間・論理空間、結局は空間への
接近性の定義化と考えていいものと思います。
手法として、デザインがモノ空間あるいはコト空間を
スコープはきわめてライン的な発想を隠喩として、
定義化そのものを変動:dollyさせていると考えています。


*『視覚空間は存在しないことを認識する必要がある』
*『思考無き概念解放無きデザイン手法ありえず』
*『デザイン対象としての空間に出逢う』
*『コンセプトからイノベーションは起こらない』
*『やはり「かたち」に、これがデザインの鉄則』


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