kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘許容’


『私デザインの最終商品がオークションで入手する』


   


     3月 26th, 2019  Posted 12:00 AM



今までは手に入らなかった自分デザインを手に入れています。
当時は、SZ-1000は市場価格10万円だったモノ、
まだ私は月給5万円の頃ゆえ、デザイン担当だけれど、
その頃には高級過ぎて、手にすることが出来ませんでした。
それをオークションで入手できますし、
また、店舗用ディスプレイモデルまで出ていました。
今ではSZ-1000も5台まで持っています。
なにしろ、東芝時代の最後の作品であり、これがプリアンプです。
それもエレクトレットコンデンサーで、
それには最高のエレクトレットコンデンサーのカートリッジだけです。
この開発には、エレクトレットコンデンサーのチームと
私だけで進めました。コンデンサーや回路基板までデザインしました。
デザイン部長からも、何度も「何かやってるだろう」と
質問を受けましたが、その返答は「何もやっていません」、でした。
3年かかり、出来上がったときには
部長にこっぴどく凄く叱られましたが、それも許容される良き時代でした。
しかし、これはオーストラリアからTV取材がきたことや、
オーディオマニアにとっては、大ヒットしました。
これに力を貸してもらったのは、
オーディオ評論家の故・菅野沖彦先生でした。


目次を見る

『100円ショップの明晰さと確実に連鎖する美知らず』


   


     10月 5th, 2016  Posted 12:00 AM



100円ショップで買ったいわゆる「孫の手」。
「孫の手」というこの商品は庶民の産み出したある意味では優れたモノです。
果たしてこの商品では工芸品とでも謳われれば10万・5万のモノもあります。
しかし100円ショップでも充分に使い勝手が行き届いています。
孫の手がデザイン対象にはおそらく決してならないでしょう。
問題解決の商品としては、背中を搔くことの応答商品であり、
ゴルフボール風の肩たたき機構さえそろっていて、
なおかつ100円ショップ商品ですから、きわめて日常品だと断定できます。
大手のそれも巨大な家具商品ストアに行けば、デザイナーなら驚くばかりの、
盗作だらけ、いやこういうのをジェネリックプロダクトと言うのでしょう。
自分のデザイナー倫理観、デザイナー正当職能観では、
決して許容できるモノ・デザインではありません。
けれども日常生活では自分自身もこの手の商品は自宅にあります。
何が応答商品か?ということで、考えれば、
いわゆる「使用感」だけがまかなえれば、100円ショップ商品で充分。
車や時計、あるいは万年筆などでは「所有感と使用感」において
確実に納得するモノであることが必要充分条件です。
それこそ、プロのデザイナーとしては決してジェネリックプロダクトも、
ましてや盗作などは非難どころか告発とさえ自分は職能倫理を守ります。
今年度のすでに制度となっている国家的なGマーク商品の選定では、
元審査委員長としてはなぜ?、コト重視?、仕組み重視?、美は?
審査委員資格としての問題解決での応答・回答・解答、
そして性能・効能・機能、価値性、未来創成と継続性の日本らしさは?
100円ショップ的な応答商品のそれこそ見事な羅列に、
わが国経済が存分な低迷を反映し、そしてその哀れさに心痛です。
明言します。
審査委員失格者は相当存分に「美知らず」が存在していることです。


* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』
* 『アンチテンションはコピーされている福井産の革新技術』
* 『愛着と愛用がデザインの全体価値である』
* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


目次を見る

7月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 16th, 2012  Posted 11:50 PM

7月16日 先勝(戊寅)

人は、それぞれの感性や、
良いなあと感じる許容範囲が異なる。

だから賛否両論あってこそ、
それがまっとうな世の中だと思う。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


目次を見る

『資本主義からの逃走』
   「『解答』の明確な「かたち」は『容』」


   


     10月 4th, 2010  Posted 12:00 AM

解答のかたち
問題=Problem解決、その解答はSolutionです。
そして、「解答」にはそなわるべき形式と内容、
さらに、意味とその質があることが、私は解答の定義だと考えています。
そこで、「解答」の形式・内容と意味と質は「かたち」があります。
私はこの「かたち」は「形」ではないでしょう。
私は解答のかたちを「容」という一文字に集約させることで、
解答の本質、その核心が確認できると考えています。



この文字は、音読みで、よう・ゆうです。
訓読みでは、いれる、かたち、すがた、ゆるす、
まさに〜(す)べし、が決定されている言葉です。
意味はまさしく問題解決された解答の定義性をすべて含んでいます。

  ●「瓠落無所容」(荘子)
瓠落(かくらく)として容(い)るところ無し、収容・いれるという意味があり、
その中に入っている中身やその量である内容という言葉になります。
  ●「女容甚麗」(枕中記)
女(むすめ)の容(すがた)ははなはだ麗しい、というように、
かたち・すがた=容貌や容姿
  ●「転側為君容」(蘇軾)
転側して君が為に容(かたち)づくる、という明確なかたちづくりが意味されています。
そして、さらに重要なのは、ゆるす、ききいれる、「許容」や「不容」、
そして、「容与」というゆとりまでが「容」一文字にふくまれていることに注目しておきます。
私は許しを願うときには、「海容」(海のような大きなこころで受け止めてほしい)を使います。

問題を解決して、「解答」にいたれば、その解決結果と解決効果がなければなりません。
したがった、「解答」のかたち=「容」だということです。
デザインが問題解決したかたちとは「容」が最もふさわしいというのが私なりの定義です。


目次を見る