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Posts Tagged ‘講義’


『書の手本は王羲之と藤原行成を選びます』


   


     8月 31st, 2016  Posted 12:00 AM

あらためて、自分は草書の書文字が美しいと思います。
そこで、手本は王羲之、藤原行成、そして電子辞書は
手放さずにいつも持ち歩いています。
最近はiPadにいつでも王羲之の文字は書き順とともに見直すことが出来ます。
ただ、余りにも草書体では、もうほとんど読解不能です。
祖父からもらった手紙は草書体が多くてなんとか読み取れる文字でした。
しかし、草書体の文字、本当は平安時代の女性文字の繊細さは美しいけれど
現代はほとんど読解できません。
藤原行成の書は筆使いが最も似ていると自分勝手に決めているだけです。
これまでは黒板とチョークでなければ書を伝えることができませんでした。
つまり、ホワイトボードでは無理でしたが、
今年の文具大賞では思いがけずホワイトボード用の顔料インクが出ました。
これでホワイトボードでも書道が出来るようになったのは
とても凄いことです。
自分の講義や講演ではそのまったく新しいホワイトボードが使えそうです。
それは、やがて王羲之を手本にして、書き順も確かめながら書が書けます。
電子辞書の書き順をそれぞれ草書で見ていると、
ここまで省略したら絶対に読めないだろうと判断して、
行書的でありつつ草書にしたい気持ちがあります。
ところで、夏を表すには中原中也を選んでいましたが、
秋なら、島崎藤村の詩が美しいのです。
そして、島崎藤村の詩などを読んでいると、
あの美しい日本語はどこに行ってしまったのだろうと思います。
そこで今は、懸命に藤原行成の書を集めているところです。

* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』
* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 『享保の手帖から私が学び直したこと』
* 「お盆・精霊馬の風習は願いを込めて、今年も!」
* 「『盆栽』・・・人生で多分し忘れたコトだと思う」


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『美大教育の終焉が始まっている・教員の責務を問う』


   


     7月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

多摩美術大学で年1回の特別講義をしました。
正直、大学をすでに退官したときから
あらためて講義を大切に考えています。
不思議だと自分自身思います。
それはいくつかの大きな理由があります。
まず、わが国の「モノづくり」低迷は産業経済力を著しく悪化させており、
それはデザイン界自体が、相当に誤った方向にあるからです。
そのことに全く平気であり
それでもスター扱いされている悪者デザイナーがいることです。
高校時代だったなら・・・絶対に肉体的な喧嘩をしていたと思います。
美大時代の先輩から、「川崎、あいつ殴ろうか?」といわれると、一応、
「先輩、今は立場があるので勘弁してください」と言います。
多摩美大はデザイン界問題の渦中の大学ですが、
この八王子校は全く違いますが、
日本のデザインが海外からも非難されることを
しっかりと次世代に「デザイナー責務」としての発言を実務活動で紹介。
しかし、年々、美大生は大人しくなっています。
これには大問題があります。
「絵が描けるから美大ということ、文系になっていること」。
高校での管理教育の成果にはとてもまじめ過ぎるのでしょう。
真面目な学生は教員意識の反映です。
本来なら他の教員の教育ベースであるデザイナー実務を知りたいです。
「上から目線」と言われても結構です。
が、阪大で退官後に進行している
デザイン実務はやはり最先端であると再確認しました。
3.11を忘れることは出来ないほど熊本地震も連続しています。
それに対してレジリエンスデザインにこの美大のほんの一部教授にも
参画をしてもらっていますが、学生との一体感は無いようです。
それもそのはずです。
大間違いを放置している大学理事会の怠慢性を訴求します。
「デザイン思考」などの大間違いが「ジェネリックデザイン」となり、
その風潮があったことは書き残しておきます。

*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』
*『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
*『造形言語と形態言語とcodeとmodeと、そして・・・』
*『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』
*『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『海事関係にデザイン介在という使命』


   


     6月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

すでに26回目となる「Ship of the Year」の
最終審査会に出席しました。
すでに日本船舶工学会にて応募から選別された
昨年度の造船すべて、客船から漁船まですべての船舶、
その審査会は、造船工学・製造から海洋、海事、港湾、漁業まで
海事関係から海洋気象、最近では環境適合性から新エネルギーの提案まで
応募企業からのプレゼンテーションを受けます。
プレゼ後には相当の専門用語で詳細な質問とその応答が飛び交います。
「Ship of the Year」は恩師が設立されていて、
自分も「関西海洋教育アライアンス」にて、
大阪府大院・神戸大院・大阪大院で「海洋デザイン論」を
教えたことや、この審査員でそれなりの知識を獲得してきました。
しかし、船長会の名誉会長や建築、海事マスコミなどで
自分自身も相当に鍛えられてきました。
恩師からは、海事関係にデザインの職能を介在させることが使命ですが、
まだまだ船舶や海事・港湾関係は「デザイン」=デコレーション意識です。
ところが、今回は大阪大院卒から「先生!」と声をかけられました。
この審査会は、最初は相当に難しくて「海洋デザイン論」講義のために、
自分なりにも熟読ノートづくりなどをしてきました。
最近では、船舶機関から漁業、さらには海洋輸送、港湾関連など
とりわけ国際的、大変な経済や国際法などとの対決が激化しています。
恩師はすでに名誉審査委員長ですから、最近の活動報告をしました。
自分の役割としては、特に、鉄道・自動車・飛行機などの空力特性から、
世界的な海洋の気象との適合性などを
質問する役割に徹しています。
「海の日」に大賞や部門賞が発表になります。
今、日本の特に造船産業・遠洋漁業は経済的問題に包囲されています。

*『本日も審査だが、日本の船舶デザインをデザイン対象に』
*『『Ship of the Year』審査委員会・日本学士院会館にて』
*『防潮堤工事は土木工学ではありえず』
*『関西海事教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン』
*『Ship of the Year・日本船舶海洋工業界の今後』


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『武士道・騎士道の中心象徴の「刀剣」の美学性』


   


     5月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

この小説を読んでから随分と経ちますが改めて読み直し、
その冒頭の書き出しに注目しています。
理由は明快です。
なぜなら、米国のハンティングナイフや各国軍隊のナイフは
講義可能になりましたが、「日本刀」についてはまだまだです。
ともかく、「玉鋼」・「火打ち荒削り」・「研磨仕上げ」まででも
そこからの仕上げにはとても到達できません。
思い起こすと、「チェーザレ・ボルージア」に戻れば、
彼が有していた「剣」こそ最高と言われていますから、
このいわゆる「西洋の剣」その造りに戻れる気がします。
世界中の刀剣研究家たちの評価は、「日本刀」が最高とのことです。
これには二つの見解があります。
科学的な検証での素材がなぜ最終的には冶金技術や仕上げられた金属、
その内容が不明だというほどの金属性能をもっているという事実です。
もう一つは、日本刀の「象徴性」です。
自分なりの「象徴性」の背景には
「葉隠」という武士道の哲学があったからです。
同様に、武士道と騎士道には近似性が見事にありますが、
「チェーザレ・ボルージア」という人物には
決して騎士道はありえずですが、
それでもなぜ象徴としての「剣」が存在しているという刀剣の
その魅力・魔力・妖刀性をデザイナーとして見直しが必要です。
「刀剣」は現代、偽物が平気で氾濫しています。
何と言っても、「包丁」でこの現実がそれこそ低能なデザイナーが荷担し
日本刀の正当者からその偽物包丁に文句が出始めていることです。

*『刃物の地肌、その偽物氾濫が流行している』
*『喧嘩とは、自分に売ることが基本だ』
*『日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・』
*『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』
*『直線を徹底するために「曲線」を身体化してきた』


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『客員教授の優れたオンリー教科書があるということ』


   


     4月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

デザイン教育は今では二つの目的が出来ています。
それはデザイナーとしての技術習得と、
デザインを教養として学ぶ知識習得です。
私の世代は、知識習得はほとんど独学であり、
先生は入り口の話だけでした。
そのためデザイナー教育オンリーだったと思います。
だから同期はすべてがデザイナーでした。
しかし、最近はデザイナーになること自体が困難、
あるいは教養としてのみ、
そのような学生が増えています。
紹介するのは、ある美術系大学のデザイン系だけに、
デザイン評論家としても高名なS女史が、客員教授として、
自費でここまでの教科書を作成して講義しておられることです。
S女史の、自分の恩師である柳宗理先生について、
講義用に作成された小冊子を見て驚くとともに、
ここまでも準備をとのことでした。
少なからず、この恩師の解説は、まさに柳先生が海外での活動を支援された
彼女自身の体験とともに、間近で見てこられたことや、
彼女の収集品まであって最高のできでした。
惜しむらくは、
この小冊子がその美術大学のデザイン系だけのものということです。
おそらく、この小冊子だけでも一冊のデザイン教科書になります。
そしてもう一つ驚いたことは、
その大学の教員がこの4冊の教科書があることを知らなかったことです。
自分はもはやデザイナー教育は限られていますが、
これほどの準備はしていません。
デザイン系大学が、どれほど詳細な教育をしているかは、
一般大学には知られていませんが、
デザイナー技術習得と知識習得はとても優れているということです。

*『大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす』
*『教え子で得をしたことがあります。・・・』
*『主要3科目こそ受験勉強=回答訓練でしかない受験勉強』
*『デザイナー能力の格差が拡大している』
*『日本のレンダリング技術は先輩が切り開いてくれた』


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『場踊りと言語舞台・「影向」によって』


   


     11月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

松岡正剛氏を介して田中泯氏と石原淋女史に出逢いました。
田中泯氏は故・土方巽の現代舞踊を引き継いだ人だと知ったのは
田中泯氏と知り合いになってからのことでした。
土方巽の暗黒舞踊とまで言われていたダンスというより、
あのパフォーマンスこそが演劇を進化させるものだと思ったのは
美大時代に現代芸術に興味を持っていた頃でした。
が、ダンスあるいはパフォーマンスが最重要だと知ったのは、
ミシガン州にあるクランブルックアカデミー校に講義に行った時、
ダンスというよりパフィーマンス学科が、
2Dデザイン学科、3Dデザイン学科と同列にあり、
演劇や舞台芸術をまさにデザイン革新するというのを
教えられて、その授業を観たときでした。
田中泯氏は一般的には、俳優として著名な人ですが、
石原淋女史との「場踊り」であり、
すでに舞踊家とも自称せず、松岡正剛氏と義兄弟的な存在でした。
そして、フラクターダンスとことば、身体と言語での
パフィーマンス舞台、その企画・戯曲を松岡正剛が記述し出演、
石原淋、宮沢りえの出演、田中泯の演出と出演、
そして山本耀司の衣装での舞台を観ることに招待されたのです。
スケジュールとしては、大阪から京都に入り、
ワイフがデザイン系私立大での非常勤講師の講義後に
上京、パルコ劇場に直行しました。
石原淋女史の完璧な車イスの私への劇場対応を受けて、
彼らの計算された舞台の革新性に圧倒されました。
何と言っても、「影向:ようごう」という言葉と身体、
その関係性でのパフォーマス舞台は、
私がすぐに取り組みを始めようとしていた「KK塾」と、
照明学会で特別講演をした「デジタルアッサンブラージュ」での
悩みとストレスに一条のそれこそ光線に陰影を与えてくれました。
「影向」というほぼ死語化されていることばは、
松岡正剛の膨大な知力と、そろそろ1600冊の書評知識と
田中泯の場踊り演出を、宮沢りえと石原淋によって演じられて、
現代性に蘇らせてしまっていたのです。
なぜ「影向」という言語であったのだろうかは、
私の「KK塾」で松岡正剛自身に語ってもらうつもりです。
私にとっては、日本の映像+照明+空調を
「影向」でもってデジタル表現化する立場なのだろうと
私自身への役割義務をいい聞かせることができました。
照明学会の講演準備で再々度精読していた「陰翳礼讃」への憧憬不足を
「影向」という蘇ってきた言葉と身体表現の革新的舞台で
私は強化されました。


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『次世代デザインの「KK塾」スタートです』


   


     10月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

阪大の医学系研究科に移籍してから、
文理融合や医工連携では限界があることを開発実務毎に
大きく感じてきました。
特に、「危機管理工学とデザイン」の関係には大疑問があり
それこそ3.11復興事態が危機管理工学中心主義は間違いです。
そこで、「危機解決実務としてのコンシリエンスデザイン」を
私は提唱するとともに、この後期から医学系研究科にて講義を開始。
と同時に「KK塾」を学術界や産業界での第一人者の専門家を
私の評価基準で
選びに選んでこの講座の講演者になっていただきました。
デザインは未だにデコレーションと同義ですし、しかも、
エンブレム問題や盗作問題でますますデザインの理解は下降しました。
私は、マネージメントやマーケティングが
デザインと同次元で扱われていることをズーッと批判してきました。
本来のマネージメントは短絡的な管理ではありません。
マーケティングはいつも儲け話が先行しています。
学術+芸術の統合=コンシリエンスと断言しても、
統合の概念がこれも問題解決=デザインを曖昧にします。
統合を
 ●「規模的統合」
 ●「ネットワーク的統合」
 ●「機能的統合」
 ●「文化的統合」
という四つの明確な方向性と統合力の大きさで、
問題解決=デザインを明確にしていく講座を開設します。
コンシリエンスデザインであるだけに、
私は講演者それぞれが第一人者である実例を大事に、
その根底思想や手続き、妨害事項、それでも成果評価を
語ってもらうつもりです。
講演者は全てが文理融合した頭脳と行動力で社会的かつ国際的な
実績者たちばかりです。
今、デザイナーの発想方法は「デザイン思考」として語られています。
しかしデザイナーにはセンスが求められていますから、
この講座では、まず、私たちが現代世相から未来創出の
問題点そのものを明白にすることから始めてもらうつもりです。
人類にとっての最大な問題は、「生き延びること」につきます。
しかし、私たち日本人は3.11で、天災と人災でもう一度、
自分たちの生活様式に対し、再熟考を要求されています。
私は敗戦を体験し、先進国家だけに未来をデザイン設計する立場なのです。
もはや、これまでのデザイン系大学では近接不可能な
次世代デザイン=コンシリエンスデザインがこの塾で社会化します。
この講座では、コンシリエンスデザインを
私は看医工学に向けてより正確な質問と対談を講演者とやってみます。

* Website-HP


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『Beogram9000でアナログ感を鍛え直すべきか』


   


     9月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

このところ自宅の倉庫を片付けてもらっています。
収集していたオーディオ機器、
それはAurexで自分がデザインし、
当時はとても買えなかった作品です。
ちょうど、作品だと思って収集したときに、
金沢21世紀美術館で、自分の個展ができましたから、
一室はAurex関連だけを展示することができました。
幸いにまだ使える機器もあり、部品用もあります。
そして、あとは使っていない機器です。
そうした中にはBeocenter9000とBeogram9000があります。
どうしてもBeogram9000は、カートリッジも含めて、
もう一度、LPレコード盤を自宅に持ち込もうと考えました。
収納時には徹底的に清掃してあったので、まだ使えます。
ただし、
LPレコード盤は3000枚ほどを整理して70枚程度しかありませんが、
すべてオーディオチェック盤としていたモノと、
DAMで45回転LPでの優れたシリーズ盤
「マニアを追い越せ大作戦」の一部だけです。
このシリーズは
今、マスターテープも残っていてようやくHPも立ち上がりました。
そんなこともあって、
Beogram9000を復活させようかと考えはじめました。
ところが問題は、これはDINでのOUTPUTゆえに、
プリアンプはLINNゆえのRCAに変換しなければなりません。
その前に,一度分解をして総合的なチェック後かと思いつつも、
あと2台ぐらいLPプレーヤーは必要ということになると、
それはどうしてもワイフには許してもらえそうもありません。
最近、このFBにはオーディオマニアだけのHPがあり、
そこでは、
LPレコード機器、SMEのアームや、カートリッジが登場しています。
ここではとてもマニアックな話が多くてワクワクします。
この会話に加わるには、
思い出さなければいけないことが沢山あります。
特にアンプとカートリッジは思い出さなければ、
会話についていけなせん。
先般は、ある試聴用曲では、
今も私が常に使っているだけにそれこそ紹介も交えて
書き込むことができました。
なんといっても、
デザインよりもオーディオの講義をしたいぐらいですから。
自分が社会人デザイナーになったのも
オーディオの世界からスタートしたのは、
なんとも幸運なことでした。
それがデザインの基本になっているがゆえに、
多分、オーディオビジュアルにおいても、アナログからデジタルでは、
やはり、デジタルという技術進化は
アナログ世界観が身体化していないことには、
絶対に無理だと断言できるのです。
そうなると、
やはり、Beogram9000は自宅に再度設定しなければなりません。


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staffblog 6月24日


   


     6月 24th, 2015  Posted 1:05 AM

6月24日

来月7月7日に、
多摩美術大学において、
特別講義を行います。

テーマ:「造形言語と形態言語」

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『アンコンシャス・ビューティを学んだから・・・』


   


     4月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

柳宗理先生の時代、講義ではスライドが使われていました。
常に思い出すのは、二つのスライドです。
雪に黄色い線状のパターンがくっきりと
「これ、わかるか?」。
立ち小便の雪の上にある跡でした。
次には必ず、アフリカの直観で掘られたお面です。
直観と直感の違いを徹底して教えられ、それが私の言葉訓練に
今でも明確に残っています。
決まって先生は、この二つのスライドで「美しいね!」と連発。
美大を卒業して東芝に入社した私は丸善のレジカウンターで
柳先生のテープディスペンサーを見つけました。
そこで使い古されていましたが、店員さんに尋ね請求しました。
「このテープカッターを売ってくれませんか?」、
「エッ、無理です。でも、よく聞かれるんですよ。」
私自身随分とよく探しましたが、丸善で使われているだけでした。
ほとんどの人が、このデザインどころかデザイナーも知りません。
しかし、このモノがレジカウンターでは私には光輝いていました。
「アンコンシャス・ビューティ」って、これなんだ!
私が美大で学んだ柳宗理デザインの、
アノニマスデザイン・民藝・用美・健康美・日常美がありました。
私もテープディスペンサーのデザインは試みましたが、追い抜けません。
そして、今も空港のANAの受付カウンターには、
私のデザインー=EIZOモニターが置かれています。
時々、私は「これ、僕のデザインだから、たまには拭いてあげて」と。
「エッ・・・」って、怪訝な顔をされますが、
誰も気づいてもらえない日常のアノニマス性になっている存在に、
先生、これって、アンコンシャス・ビューティになっていますか?
自分なりに、ここまではやりきりました。
このモニターは世界中で、日常のアノニマス的な存在にしました。
デザインの美学は、機能美を語るよりも
私たち金美大出身のデザイナーは
「アンコンシャス・ビューティ」を実践していると思っています。

柳宗理生誕100年記念講演


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