kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘貧乏’


『白ワインでどこが悪いのでしょうか?』


   


     8月 9th, 2018  Posted 12:00 AM




私は「白ワイン」の方が大好きです。
最近はほとんどJALに乗っていないので、
このワインが使われているかはわかりません。
そして、当時はほとんどファースト・クラスにしか乗っていませんでした。
そういえば、JALでは「トランプ」もありましたし、しかも便せんもありました。
私は海外に行くときには、必ず父に飛行機の中で、手紙を書いていました。
最近では、ANAのマイルで行きますが、
これがなかなかマイルではファーストクラスに乗れない
そんなシステムになっています。
が、結局は乗れるようにと図っています。
そして乗れてもBeringerの白ワインはもうありえません。
よく、白だと魚料理だととか、赤だと肉料理とか言いますが、
それなんかは無視しています。
一度、車倚子になってからはあるホテルですべてのワインを飲みました。
そのとき思ったのは、ともかく「ワイン」は「十勝産」でした。
ただ、このところ、絶対にどうしても「白」でなければいけないと思っています。
昔はファースト・クラスで、帰りもJALで帰るから、
キャビアでお茶漬けがしたい、と言っておくと、
必ず帰便それが出されました。
その時はジャパンがそれこそ日経平均は13000円でした。
それはいわゆる「中間層」が日本には一杯おりました。
ところが、今では日経平均が25000円ですが、
貧困層が特に若い子達に及んでいます。
「少子化」がどこよりも早く日本は侵されています。
これこそ、日本が貧乏になっていってると私はそう思います。
ワインは絶対に「白ワイン」だと、私は確信しています。


目次を見る

08月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 9th, 2018  Posted 12:00 AM

08月09日 先負(癸酉)


貧乏になっていく日本は、
本当に
何か、そんな手法があるのだろうか?
それを私は、
今では「デザイン」が背負うこと。
そう思っています。

 


目次を見る

『芸術は宗教である。=私は信じている。』


   


     11月 16th, 2014  Posted 12:00 AM



モンドリアンの全てを私は信じています。
現代、芸術史に美術の歴史上では、その芸術家は貧乏の極致であり、
決して生きている時は認められなかった作家は沢山います。
私が直感で、気に入り好きな作品、その作家は自殺した人がとても多く、
自分でも「なぜ?」と、思っていて、いつかすべてを熟考記述します。
モンドリアンのこの「ブロードウェイ・ブギウギ」は、
いつも本当に良かったと思い、私にとっては、最も落ち着ける作品です。
画家を志し、彼の作風はやがて完全な抽象画になっていきます。
彼が、芸術運動=デ・ステイルの中心人物になり、
ようやく、彼が個展で認められて、スターになったときはすでに70歳。
それまでの、画風様式から、「解放」されたがごとくの、この絵は、
芸術の修道士とまで言われ、結婚もせず、完璧な絵画で、
デザインそのものが再考を余儀なくされましたゆえに画家ですが、
私がデザインの完全主義を学んだ重要人物です。
だから、私にはモダンデザインの基礎は、
彼の創作思想を追いかけました。
しかし、社会からやっと認められたからなのでしょうか、
彼の人生最期にはそれゆえの超完全主義がこの絵画になりました。
MoMAに行ったら、この原画の前にずーっといることができます。
芸術が宗教だ、とまで断言してもらえたこの表現こそ、
完全主義を乗り越えたからこそ、ここまでの表現が、
私は確信の真実はここにまでいたるべきだと思っています。
私自身、宗教は信じると言うより、
学んできた対象では重大なものです。
しかし、宗教に私の確信性はありません。
むしろ、自分は自分の中に潜む美、
この美だけが生きがいの対象です。
それゆえに、モンドリアンの思想、生き方、
芸術は宗教断定を認めます。
極貧に耐え抜き、社会的にも認められず、ゆえに修道士のごとく、
自分の思想と理想を守り抜いて、生涯の最期の最後に、
大絶賛はたった2年間です。彼の完璧完全に生まれた、
まさにブギウギ、
この生涯こそ、私は自分もこうありたいと完全に願っています。
私は、作品を創りあげた作者の生き方=思想こそ、
学ぶべき対象だと、自分に言い聞かせています。
この作品にまでなんとしても自分はたどり着きたいと思っています。


目次を見る

「日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・」


   


     8月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM



私の移動、その大半は飛行機です。
そして、プレミアムシートでは軽食が出ます。
その軽食の種類、量、
パッケージが段々とコストダウンをしていくのを見ると、
「貧乏になっていくなー」と感じます。
敗戦後、日本は「豊かな国、国民になろう」と考えました。
結果は、貧乏だというのはお金が無いこと。
お金があれば「豊かになれる」と思ったのが、気がつくと、
それは「豊かさ」とは全く違うことがやっと分かったのでしょう。
最近は、格安航空券ブームです。
したがって、この軽食の質も格段にコストダウンをしています。
シャンパンがまずブランド品から格下げになり
スパークルワインになりました。
最も明解なのは、ファーストクラスの食事など、
「これが?」というほどになっています。
無論、それは一部のことだと言えますが、
「貧しい」ことの解釈が「豊かさの勘違い」を引きずったままだからです。
航空機会社ではファーストクラスを廃絶したところもでてきました。
世界的な傾向でしょうし、
それがスタンダードになっていくのだと思います。
私には未体験ですが、客船でも1等客室も2、3等客室でも、
食事は平等になりつつあり
それなら3等客室で十分という話を聞いたことがあります。
つまり、「貧乏」というのは、
「贅沢」との格差、その感じ方だと思います。
「贅沢さ」=「豊かさ」ではありません。
「貧乏」=お金が無いことではありません。
今、私たちに問われているのは、可処分所得の高低が貧乏さを決定したり、
贅沢・豊かさ・貧しさ、ということへの、
自分自身がどのレベルで「心」を満腹に出来るかということです。
ちなみに、「心」とは武士道では「腹」にあり、
よって、「切腹」とは、
腹の清らかさを確認する自死行為だったということです。
だから「腹づもり=心構え」こそ、
貧乏も贅沢も切り捨てた美学だと思っています。


目次を見る