kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘超越’


7月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 22nd, 2020  Posted 12:00 AM

7月22日 先勝(丙寅)

『分別としてのデザイン』

このマトリックスには、
仏教観を超越した
東洋の知恵ある判断が
あったのではないか。



artificial heart:川崎和男展


目次を見る

『「Kazuo Kawasaki」と「OUZAK」はデザイナー財産』


   


     6月 10th, 2020  Posted 5:04 PM



私には「私の大きな財産」があります。
Kazuo Kawasaki ®とOUZAK ®のロゴタイプです。
C.I.はやはり徹底的に東芝時代に
「Aurex」で私のデザインでやらされたので、
私のデザインとそのロゴタイプ、そしてマークもやり終えたのです。
C.Iにはもちろん時代背景を投影することも大事かと思いますが、
私はそれを超越した変わらない存在を感覚ではなく論理で導いています。
カズオの逆文字、OUZAKとつけた私の会社OUZAK Designは25年目です。
前身として福井で「eX-Design」、
その前は東京で「Super Edison 」として活動していました。
そして、名古屋市立大学 教授就任時に、その立場を割愛し、
その他数社の副社長や取締役も降りました。
「Kazuo Kawasaki」はブランドとして、
変わらず大学人になっても原稿用紙やメモや封筒に使ってきました。
OUZAK Designは、名古屋で国際デザインセンターを構える時に
OUZAKにわかりやすくDesignをつけることを求められて
マークで今の形になりました。
本来はOUZAKは音響機器システムのデザインだけを
取り扱いたいと考えていました。
というか、そもそも学生時代から「光と音」を目指し、
東芝での部署希望も最高級の音響「Aurex」だけでした。
大学を退官したら、今度こそ「音響機器」まずは、
プリアンプとシンセザイラーをやりたいと思っていましたが、
東芝時代ともに開発した仲間から会わせたい人が居たけれど、
みんな死んじゃった、と言われました。人生に予定調和はあり得ません。
デザインしてきた音響機器、レコード針も長く存在価値を失わず、
商品として取り扱われていますが、「不易流行」、
そして先を見据えた「音響のデザインを目指したい」と思っています。


目次を見る

6月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 3rd, 2020  Posted 12:00 AM

6月3日 先負(丁丑)

椅子の座るという機能性を
超越した存在性は、
このシンボルとしての価値が必然である。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』19 ビュー・ポイントからのミス・ブランチ


目次を見る

1月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 29th, 2020  Posted 12:00 AM

1月29日 大安(辛未)

オブジェクト要素として
明らかに椅子となる造形語録を
ふたつ組み合わせるという方程式は、
文体を超越した文彩になってしまうという
発見になっている。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


目次を見る

1月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 17th, 2020  Posted 12:00 AM

1月17日 仏滅(己未)

人間工学や感性工学という
学理を超越する何かが
デザインには
必ず
あるということである。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』13 造形言語の修辞学的手法


目次を見る

02月07日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

02月07日 大安(乙丑)


私は物。もの、モノと
それらを製品・商品に
使い分けています。
それは
やがて、AI、ロボット、
それらを超越する
想像力が必要という宣言です。



川崎和男の発想表現手法


目次を見る

「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」


   


     3月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM



初めて「国立新美術館」に出かけました。
それもイベントのオープニングにちょうど東京にいることもあり、
出かけることにしました。
おそらく同じデザイン界の人物に会うことになるだろうと覚悟しました。
正直、僕はひっそりとじっくりと観ることが好きなのですが
出かけました。
もう、その美術館の入り口から知人たちに会い始めました。
「三宅一生展」は、観ておくべき展覧会であることは間違いありません。
車イスゆえ優先的に最初に会場に入ることができました。
いきなり、建築家・安藤忠雄氏に出会い、そのまま三宅一生氏、
そして会場構成の吉岡徳仁氏と
グラフィック総括の佐藤卓氏に会いました。
佐藤卓氏とは、東京では結構思いがけない店で出会っています。
「よく会うね」とか、
「あの店大好きだから、今度一緒に」と会話しました。
三宅一生氏の仕事は、いわゆるファッションデザイナーを超越しています。
「プリーツプリーズ」の評論は、私が最初に書いたと思います。
その時にはポリエステル繊維から、布特性の7段階を知りました。
これは今ようやく「羽二重」ブランドの骨子になっています。
さて、問題はこの「国立新美術館」の建築設備でした。
遠慮無く断言すれば、美術館という空間建築とその設備は
もはやとても時代遅れはなはだしく、
私には美術館ではなくて「博物館」でした。
三宅一生氏の仕事の集大成は、もはや美術館を超えていたはずです。
明確に言い切ればデジタル表現の設備が全く考慮されていない空間でした。
これは、未だにプロジェクタースクリーンが4:3であることです。
すでに画面表示は16:9にも関わらず、日本全国の公的場所は4:3です。
しかも一画面でしかありません。
投影アプリがPowerPointばかりと同等です。
たとえばデジタルというとすぐに「デジタルサイネージ」が喧噪ですが、
その実態には何も新鮮さがないことに等しいのです。
IoT=Internet of Thingsというデジタル表現もこの漠然さに日本は呪縛され、
本来のIoTの、その将来がみえていないことに等しいのです。
僕は「デジタルアッサンブラージュ」を提案していますが、
おそらくこれが理解されるにはまだ当分時間がかかりそうです。
もはや、美術館も博物館も、そうなると街角のギャラリーですら
「デジタルとアナログ」、「アナログとデジタル」、
この相関関係のインターラクションが必要です。
しかし、
インターラクションの定義はもっと時代で研磨されるべきでしょう。


目次を見る

『KK塾での実務紹介=デジタルアッサンブラージュ』


   


     10月 23rd, 2015  Posted 12:00 AM



ある医療メーカー研究所のショールームのデザイン監修で、
私は「デジタルサイネージ」を基本にし、
鏡面やセンサーでの展示空間を創りあげました。
デジタルサイネージ=電子看板と言われているモノは、
騒がれているわりには、全く具体例がありません。
そして、この具体例をさらに進化させるために、
自宅玄関に、鏡面での映像表現とLED照明を実験実現しました。
さらに深紫外線LEDでの消毒システムを加えることなどを試みた結果、
これは「デジタルアッサンブラージュ」という新領域を提示可能となり
「アッサンブラージュ」のデジタル化に至りました。
元々はピカソのキュビズム時代の作品やマルセルデュシャンの作品が
彫刻概念を超越した3次元表現手法です。
まさしく、「デジタルアッサンブラージュ」は、
映像・音響・照明・空調を実現させる統合的な機器システムです。
すでに深紫外線での消毒機器:滅菌・殺菌をLED照明に仕組むなどは
大阪大学大学院・医学系研究科の私の研究室で
製品開発が終わり、エビデンス=医学的根拠の実験に入っています。
私はコンシリエンスデザイン+看医工学の実際例だと考えています。
これまで「デジタルサイネージ」が騒がれたわりには、
具体例が無かったのは、映像表現が、
さらに感覚受容の拡大が必要、この判断が私にありました。
これは照明学会の全国大会で、特に、日本が遅れているLED照明を
拡大進化させるために準備してきたコンシリエンスデザインでした。
もっと正直に言えば、デジタルサイネージはもはや進化しません。
私はコンシリエンスデザインの実務事例として、
「デジタルアッサンブラージュ」によって、
たとえば、焚き火が燃えている映像で
その空間の照明と空調が制御可能になります。
照明のための新規LEDのイノベーションで、
看医工学的な設計学と価値学によって、
全く新しい環境空間の創出が可能になると考えています。
こうしたことを「KK塾」によって、コンシリエンスデザインを
看医工学的な統合的な実際例を紹介し、かつ、次世代デザイン、
その方向性を語っていくつもりです。

* Website-HP


目次を見る

『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』


   


     9月 26th, 2015  Posted 12:00 AM



風景の原意は、暴風雨と彗星、日食月食だと調べたことがありました。
そこで、風神と雷神、風神雷神図ともなれば、
俵屋宗達が描き、その模写は尾形光琳に至り、さらに何人かが模写。
これは、今のコピーだ,インスパイアーされている、という程度ではなく、
明らかに「模写する」という日本美術の歴然たる手法であり
盗作では無いわけです。
風神雷神図に関しては、
特に、俵屋宗達の画面をはみ出さんばかりの構図に特色があります。
そしてこの模写で尾形光琳は風神と雷神を見つめ合わせています。
創始者・俵屋宗達の下界を見下ろしている意味性を光琳は変えています。
今、私は自宅玄関に「デジタルアッサンブラージュ」を実現し、
画面表示とLED照明との一致化を実験していますが、
この「デジタルアッサンブラージュ」にて、
風神雷神図をデジタル模写と風神と雷神の眼球運動で、
宗達画と光琳画の視点移動だけではなくて、
来宅者目線を移動できないものかと考えています。
風と雷はまさに気候による風景を象徴し、しかも風景を決定づける
この両シンボル視点移動の表現だと思っています。
玄関でのデジタルアッサンブラージュは実験ですが、
やがてはデジタルサイネージを超越する技術進化になるはずです。
すでに、冬にはこのアッサンブラージュ内で焚き火が燃えています。
丁度、大阪城や好きなお城や仏像もコンテンツになるでしょう。
今は自宅玄関で、WiFiとIR、そしてLED照明に過ぎませんが、
これらは、デジタルアッサンブラージュとして、
ホーム全体の空間、ホテル、ホスピタル、訪問看護領域に多大な影響、
それらのコンテンツデザインが必要になることは明らかですが、
そのためにも、俵屋宗達の雷神と風神の視点と、
尾形光琳の雷神風神の視点をも動かせるデジタルアッサンブラージュこそ、
私はこれからのオーディオ・ビジュアルを実現する、新素材での
全く新しい空間デザインになると考えています。
デジタルアッサンブラージュは風景を風神雷神図から受け継いできた
それこそ、風景を情景化するデジタル技術表現ではないかということで、
しかも、このパッシブなコントロールはセンサーで、
アクティブなコントロールはスマホアプリで、
可能になることだと考え、提案しておきます。


目次を見る

「頭蓋骨・自分の頭を見ておきたい=滅茶苦茶は嫌だから」


   


     6月 20th, 2013  Posted 12:00 AM



自分の頭蓋骨はレントゲン写真で見たことがあります。
しかし、まさにこれが自分の頭蓋骨は見たことがありません。
いずれそのレントゲン写真から創ってみたいと思っています。
なぜなら、私を私ならしめているのは頭蓋骨に包まれている、
私の脳味噌だと思うからです。
他人の頭蓋骨より、もっと感動するのはクモ膜です。
いわゆるクモ膜下出血というのがここで起こります。
このあたかも真綿のような皮膜というよりも、
とても美しい繊維質とも膜質とも言い難いものが柔らかく、
頭蓋骨を包んでいることこそ、
「人間」の物質性を超越したものだと思っています。
そして、人間の器量なり、能力なり、性格も、
実は、このクモ膜に包まれた頭蓋骨は、
絶対に生きているからこそ知りおくべきだと考えています。
それは、最近、「嘘だ」!と思うことが多いからです。
たとえば、どう考えてみても、
それはありえないと正当論を発言するのです。
装飾された頭蓋骨では、その装飾コンセプトが間違いです。
私は「過激」、批判をしておきます。
だから私は、「怖い人、付き合いづらい人」だと思われます。
しかし、誰かが言わないままだと、職能責務を曖昧にし、
生きがいとか働きがいすら忘れるように時間が流れてしまいます。
時間を失えば、それは空間、つまり社会に居る自分が不在です。
いや、「非在」なのかもしれません。
この小さな島国に「生」を受けて、なんらかの役割があるゆえに、
私は徹してみたいことがまだまだあるようです。
「きっと損をする」ことかも知れませんが、
発言は止めないでおこうと思うのです。
正直、「生きづらい日常」に身を委ねていますが、
「それ、嘘でしょ」って、断言をするつもりです。
たとえば、早寝早起きが必須? 嘘でしょ!
歩けば健康になる? 嘘でしょ!
自分を「治めること」、
それは自分が滅茶苦茶だから「治めます」。
きっと、「政治」=政って滅茶苦茶だから「治める」のです。
さらに、「治療」=病って滅茶苦茶だから「治める」と思います。

なお、3D-Printingでの頭蓋骨参照
http://www.etsy.com/shop/shhark


目次を見る

1 2