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Posts Tagged ‘退官’


『徹底した「最終仕上げ」でデザインは決定』


   


     7月 27th, 2017  Posted 12:00 AM



63歳で阪大を定年退官して、
幸いにも京都のミネルヴァ書房から私の作品集を出版されました。
最も、自分の作品集出版には、(決して口出ししない)ことが鉄則です。
が、やっぱり口出しをして、出版はその翌年64歳でした。
その作品集も「川崎和男・全仕事」でしたが、
「いや、生きている限りデザインしたい」と言い張って、
「川崎和男Design」という図鑑にしてもらいました。
表紙から紙質も選び抜いて、インダストリアルデザイナーとしての
「デザイン仕様」は、表紙には「3D-ホログラム写真」、
特に3D写真も最新印刷で、とりわけその裏表紙にも職人さんから
その熟考された「型」までを見せてもらいました。
おそらく美術出版誌ではトップの仕上げになりました。
私の最近の口癖は「簡単なモノのデザインがしたい」、です。
実際デザインする対象で「易しいモノ」があるわけではありません。
ともかく論文読んでとか、最新技術で命と向き合う医療機器以外、
決して容易ではない「日用品的存在」のモノです。
これは先般、このメーカーが出展したのですが、モノは日用品です。
仕上げは本体素材の仕上げは、カーブに沿わせた「ヘアーライン」なのです。
おそらく、この仕上げはB&OのCDプレーヤー以外は無いはずです。
(モノは何?)、想像してください。


* 『「図鑑」=作品集はもう一冊は出したい』
* 「64歳ー私のデザイン作品集『図鑑』編集中」
* 『私の図鑑、サンヤツ広告されました!』
* 『作品集ようやく束見本ができたが・・・』
* 『音場空間を再調整再整備し直しました』


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『徹底した「仕上げ使用」について』


   


     7月 21st, 2017  Posted 12:00 AM



63歳で阪大を定年退官して、
幸いにも京都のミネルヴァ書房から私の作品集を出版されました。
最も、自分の作品集出版には、(決して口出ししない)ことが鉄則です。
が、やっぱり口出しをして、出版はその翌年64歳でした。
その作品集も「川崎和男・全仕事」でしたが、
「いや、生きている限りデザインしたい」と言い張って、
「川崎和男Design」という図鑑にしてもらいました。
表紙から紙質も選び抜いて、インダストリアルデザイナーとしての
「デザイン仕様」は、表紙には「3D-ホログラム写真」、
特に3D写真も最新印刷で、とりわけ、その裏が裏表紙で職人さんから
その「型」までを見せてもらいました。
おそらく美術出版誌ではトップの仕上げになりました。
私の最近の口癖は、「簡単なモノのデザインがしたい」、です。
実際、デザインする対象で易しいモノがあるわけではありません。
ともかく論文読んでとか、最新技術で命と向き合う医療機器以外、
決して容易ではない「日用品的存在」のモノです。
これは先般、このメーカーが出展したのですが、モノは日用品です。
仕上げは本体素材の仕上げは、カーブに沿わせた「ヘアーライン」なのです。
おそらく、この仕上げはB&OのCDプレーヤー以外は無いはずです。
(モノは何?)、想像してください。
まだ、ブランド名などは入っていません、試作です。


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『直線か、曲線か、見つけ出した雲形定規』


   


     10月 16th, 2016  Posted 12:10 AM



自分の造形はすべからく正方形・円形などに、
徹底的に自分を追い込んで、形体から形態造形を求めてきました。
直線と曲線を常に造形の基本に追いかけてきたデザイン活動でした。
たとえ、メガネフレームでの曲線においても、
直線から曲線についても変異点を図面上でも明らかにしてきた造形でした。
私の作品集「川崎和男Design」図鑑という阪大退官1年後の出版でも、
友人・松岡正剛氏はクロード・ニコラ・ルドゥーやブルーノ・ムナーリよりも
自分の造形=正方形や円では、
その使い手が日本にいることを作品集の帯文で紹介していただいたのです。
造形の基準を見抜く人物・松岡正剛氏にはバレていました。
曲線は鉄道カーブ定規でその曲率やRの大きさを
必ず数値的にも必ず徹底的に決定していました。
理由は二つあります。
まず、自然界のあらゆる物の輪郭は曲線の集合体ですが、
人工的なモノは、絶対に曲線を使わないことで自然の物づくりと
反極的なモノづくりを対比させてきたからです。
ところが恩師・柳宗理先生の作品を講演会に向けて再度見直し、
彼の曲線を追い求めていて、ある曲線に気づきました。
ずばりご子息から先生の曲線にはあるカーブ定規の存在を知りました。
そこで、そのカーブ定規を探しましたが、今ではとても見つからず、
通常の製図用ではない、大きな雲形定規を手に入れました。
その雲形定規を使ったことはまだありませんが、
とんでもなく、包丁、ナイフ・日本刀・メガネフレームに、
そのカーブ・曲線が適合していることを見つけました。
自分の生涯最期の作品でこの曲線使ってみようと考えています。


* 『直線を徹底するために「曲線」を身体化してきた』
* 『新作007・ボンドカーでも確認できた曲線美』
* 『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』
* 『手・掌から無意識に生まれるもう一つのスーパー楕円論』
* 『やっと4冊目の作品集が出来上がった!』


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『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』


   


     7月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



美大時代、デザイン系の本は数冊でしかありませんでした。
その数冊でも、
「この本は間違いだらけだ、燃やせ」ということも教授からの声。
だから、ほとんど建築系の本を読み漁っていました。
その時に、「デザインにはことばが無い」と思っていました。
だから自分は「かたちとことば」を積み重ねようと決心したのです。
大学人になって、建築系の論文も相当読みましたが、
正直、建築家の著作の方が面白いと同時にデザイン論としてもまともです。
大体、有名なる建築家の文章・文体は立派だと思っています。
最も美大時代は建築家から
特に美術評論のほとんど読解困難な文体に憧憬してきました。
最も読破し、大きな影響をデザイナーとして受けてきましたが、
最近は
「ことば、語彙、日本語漢字原意など」は劣ってきていると告白します。
盟友である内藤廣氏は、
オリンピックスタジアムで相当に批判を受けていました。
が、絶対に彼が誤った判断であろうが、絶対味方を自称してきました。
彼は東大退官後もますます多忙にもかかわらず
彼のことばは待たれている、
だから著作が一段と増えてきていて、自分は焦ります。
ただし「場のちから」についてはじっくりと話をしないと、と思っています。
なぜ「場」なのか?、「場」=ジョウ・じょうであること。
「場」はことばの「バ・ば」でもあり、
いのち=いの「ち」ゆえに、つち=土があり、とち=土地があり、
みち=道があり、さらにまち=町・街があるから、
ち+から=ち+空があるというこの思惟を
何としても伝えなくてならない、そんなきもち=気持ちです。
「場にちから」というかち=価値と読みここち=心地があるからでしょう。
こうした場と地、力と言葉を彼に伝えるつもりです。
彼には、スケッチ・写真・建築というかたちとことばがありました。
内藤廣は、やっぱりかたちとことばをしっかりと表現できる男でした。
自分はめんどうな男と彼に呼ばれていますが(笑)、
大好きな建築家。そして人物です。


* 「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
* *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*
* 「花綵の国のことばには「ち」、土地と価値がある」
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「オフィスチェアの進化の座り心地」


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『美大教育の終焉が始まっている・教員の責務を問う』


   


     7月 9th, 2016  Posted 12:00 AM



多摩美術大学で年1回の特別講義をしました。
正直、大学をすでに退官したときから
あらためて講義を大切に考えています。
不思議だと自分自身思います。
それはいくつかの大きな理由があります。
まず、わが国の「モノづくり」低迷は産業経済力を著しく悪化させており、
それはデザイン界自体が、相当に誤った方向にあるからです。
そのことに全く平気であり
それでもスター扱いされている悪者デザイナーがいることです。
高校時代だったなら・・・絶対に肉体的な喧嘩をしていたと思います。
美大時代の先輩から、「川崎、あいつ殴ろうか?」といわれると、一応、
「先輩、今は立場があるので勘弁してください」と言います。
多摩美大はデザイン界問題の渦中の大学ですが、
この八王子校は全く違いますが、
日本のデザインが海外からも非難されることを
しっかりと次世代に「デザイナー責務」としての発言を実務活動で紹介。
しかし、年々、美大生は大人しくなっています。
これには大問題があります。
「絵が描けるから美大ということ、文系になっていること」。
高校での管理教育の成果にはとてもまじめ過ぎるのでしょう。
真面目な学生は教員意識の反映です。
本来なら他の教員の教育ベースであるデザイナー実務を知りたいです。
「上から目線」と言われても結構です。
が、阪大で退官後に進行している
デザイン実務はやはり最先端であると再確認しました。
3.11を忘れることは出来ないほど熊本地震も連続しています。
それに対してレジリエンスデザインにこの美大のほんの一部教授にも
参画をしてもらっていますが、学生との一体感は無いようです。
それもそのはずです。
大間違いを放置している大学理事会の怠慢性を訴求します。
「デザイン思考」などの大間違いが「ジェネリックデザイン」となり、
その風潮があったことは書き残しておきます。

*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』
*『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
*『造形言語と形態言語とcodeとmodeと、そして・・・』
*『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』
*『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『ふるさと福井の大震災を胎内で経験していたと聞く』


   


     7月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



1948年(昭和23年6月28日16:13pm)福井大地震が起こりました。
地震規模はM7.1、1945年の大空襲は日本での三大空襲の一つでした。
羽二重によるパラシュートの産地だったからです。
地震1ヶ月後には集中豪雨により、3度も市街地は破壊されました。
自分はまだ母の胎内に命がようやく出来た頃で、
翌年の2月にこの世にでてきました。
大地震が発生した時、母は実家の竹藪に入ったそうです。
母の実家裏の竹藪は300坪ほどありました。
そして竹藪は竹の根が強くて地盤がしっかりしていたそうですが、
夕焼けと同時に福井方面の空が真っ赤だったと聞きました。
戦争から復員して、父はノンキャリアの警察官であり、
その若さから、
県境を自転車で乗り越えて石川県警に伝令を努めたそうです。
福井から県境に行くまでに数人の倒壊家屋に閉じ込められた人を救ったと、
戦争の話は従軍7.5年ながら、一切話さなかったことにくらべれば、
小さい頃にそのいくつかのエピソードは聞かせてもらいました。
阪神大震災の時には、父はすでに退官していましたが、
私はまだApple本社とのつながりがあり支援金と、
PowerBook100台が東京から福井に届き、
それを福井県警が最も早く神戸入りをするときに運んでもらいました。
と同時にキヤノン販売には、神戸にあるショールームのプリンターを
避難所にいるボランティアに開放していただきました。
しかし、その直前まで開発していた「ラリア」という
非常事態専用SOSラジオの中断が
とても悔しかったことを今も忘れていません。
以後、行政がらみのデザイン意義はないものと考えています。

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『都市伝説であれ、地震雲あり空をよく見よう』
*『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』
*『想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず』
*『児童を守らねばならない! そんな国ではなかった』


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『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』


   


     2月 19th, 2016  Posted 12:00 AM



デザインはサイエンスだと公言する人は数多いと思います。
私自身もデザインをサイエンスと考えてきた一人でした。
しかし、それなら、なぜ美大=芸術の一領域で
デザインを徹底的に体で訓練されてきたのかと疑ってきました。
大学を退官して、ようやく、デザインは学際的な一領域に辿りつきました。
それは「Scientist」という職能を決めた人物、
ウィリアム・ヒューエルの存在がありました。
特にサイエンスを定義し、
なおかつその職能を決定した人物がいたことです。
「コンシリエンス」という言葉は彼の造語であり、
この言葉が復活をしてくるのは20世紀でした。
とりわけ彼がサイエンスの限界に美学性を持ち込んだことかもしれません。
私は文理融合とか学術と芸術の統合をconsilienceと断言した彼の造語から
「コンシリエンスデザイン」を再度定義づけています。
無論、彼の造語を再度学術性への芸術化を持ち込んだ人物も精査しますが、
やはり問題は科学では断言仕切れない芸術、特に美学性でした。
しかもcon-silienceとre-silienceに私は注目してきました。
とりわけ、なんでも精神的なストレスを理由にすることへの
いい加減さに辟易していた私には、
レジリエンスにもデザインが適用できると納得したからです。
コンシリエンスとレジリエンスが
対応できる新たなデザイン概念だと決定できたのです。
無論、サイエンス世界にも美はあります。
それどころかサイエンスは究極、美に繋がっています。
それはヒューエル自身もカントに大きな影響を受けたごとく、
カントは感性を極めて大事にし、
「直観の無い概念は空虚であり、概念の無い直観は盲目」とまで
断言を残してくれました。
私はあえて、デザインをサイエンスから分離させて、
むしろ学術+芸術はデザインによる、
すなわち直観による問題解決のヒント・価値創出のサイエンス性、
未来創出の芸術的表現を読み切る力はデザインにあると確信しています。
それだけに教育系や工学系では
デザインは元来つくれ無かったのかも知れません。
私は「芸術工学」での芸術と工学(サイエンス)を母体にしたからこそ、
「コンシリエンスデザイン」に辿り着いたのだと思っています。
したがって安易過ぎる「デザイン思考」などは
何の役にもたたないでしょう。
特にレジリエンスデザインはデザイン思考では解決不可能です。


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『今秋より『KK塾』を開催します』


   


     10月 12th, 2015  Posted 12:00 AM



この秋より「KK塾」を東京で開催することになりました。
大阪大学大学院医学系研究科にて
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を開設し、
招聘教授の講演と私との対談でスタートします。
基本的には寄附講座ゆえに寄附企業関係を主体に
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」の目標と目的を説明し、
現在のデザイン思考やインクルーシブデザインなどの熟慮不足を紹介。
さらに、文科系+理科系に学術系+芸術系で、
次世代デザインへ展開します。
デザインがモノからコトへなど、結局、また大誤解を受けています。
しかもエンブレム問題でのデザインやアートディレクターの役割、
さらには、盗作問題も絡んできています。
問題解決・価値創出・未来創造がデザイン解答である、
ということさえ伝わっていません。
「デザイン思考」も大きな偏りがあって、問題解決の実務手法には
とてもいきついていないことが大きな気がかりになっています。
これまでのデザイン系大学では、
デザイン技能もPCやインターネットであり、
アナログ性とデジタル性も明確にはなっていないようです。
私自身も、阪大を一旦は退官して、特に、気候変動と感染症対策を
象徴的な3.11東日本大震災復興からも、
「危機管理デザイン工学」を目指してきましたが、
危機管理=リスクマネージメントでは、デザイン実務は無理と判断。
危険には起こってしまったクライシスと起こる可能性のリスクがあります。
その実務的な解決は、
危機=危険な機会とした危機解決には、
これからのデザインとしての実務=研究と開発をめざすために、
文理融合+学際化=コンシリエンスデザインこそ焦点化可能です。
これを「KK塾」として、まず、講座関係者から、
やがてデザイン界まで一般化し、
その研究・開発から実務実現事例を出していくつもりです。
これまでの「KK塾」は大阪でしたが、
東京で徐々に拡大化をしていきます。
講演者は、
大阪大学でも実務として「社会成果」を実現している教授、招聘教授を。
私はデザイナーとして、+デザインこそ、
次世代の真のデザインとして、
これまでのデザイン系大学の方向性を明確に変更させる覚悟です。


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『都市伝説であれ、地震雲あり空をよく見よう』


   


     9月 13th, 2015  Posted 12:00 AM



日本は地震大国であり、私自身は母の胎内で命が宿った時に、
福井大震災。結婚したてだった父は、
救援を求めるために石川県に自転車で県境を越えたと聞かされてきました。
それだけに、阪神大震災、東日本大震災で決定的に、
地震には特別な感情を持ってきたと思っています。
3.11以来、あれが地震兵器で、すでに開発されていたという説も、
それなりに徹底的に読みあさりましたが、そのことは都市伝説とし、
現在、地震予知は公的には禁止されていますから、
最も身近な、
ほとんどこれも都市伝説でしかない「地震雲」を見てきました。
また、3.11以後、この「地震雲予知HP」は無くなってしまいました。
しかし、プレート移動説という科学性予知をさらに決定している、
太陽黒点とプラズマ核融合=これはすでに新たな核融合炉が完成ですが、
この太陽黒点増減が電磁波として成層圏に移動値変動を与えています。
私はこの成層圏での電磁波変動値が雲の造形を変えている説を
本当に信じていますから、電磁波値の高低増減を知りつつ、
今後の地震、さらには火山活動をなるべく知りたいと考えて
私なりの情報収集をしてきました。
そして、この変動値で、この一年はほぼすべて地震が起こってきました。
そんなおりに、
FBでの友人(横浜)や元スタッフ(東京)の写真がアップ。
私はほぼ直感で、「怪しい,危険かも」と返信しました。
そうして、確実に震度5という地震が起こりました。
私が千里眼でもなんでもなくて、地震は予測し予知して、
外れることなど平気で構わないと思うのです。
外れても懲りることなく、危険かも知れないが蔓延して構いません。
それよりも準備万端にするべきだと考えます。
阪大退官時には「危機管理工学として」デザイン講座を持ちましたが、
「危機は管理出来ない」むしろ「危機は解決させる」ということです。
「危機解決こそデザイン=コンシリエンスデザイン」という講座を
阪大内にて、首都直下型から南海トラフに向けて、
その危機解決デザインを看医工学デザインに向けています。
気づいていることをともかくできる限りをデザイン対象化して、
実現度や具体的な実務化、
さらには制度化も国際的な訴求発表などを急いでいます。
今回は、この二つの写真で見事に地震は的中しましたが、
もう一つの雲の形も地震雲データになりそうです。
私たちは雲からのメッセージを読み取る能力が必要です。


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『音楽が終わった宣言は現代最も明確なデジタル改革論』


   


     8月 5th, 2015  Posted 12:00 AM



1980年、ジョンレノンが暗殺されました。
私は自分の青春を終えて福井に帰郷することを決めた一つの原因でした。
その時まだ大学人でもなかった私は新設された「日本記号学会」に入会。
以後大学人になってから色々と学会員になりましたが、
一旦、阪大退官時にはできる限りの学会員を辞めました。
しかし、今なお「日本記号学会」には入っています。
記号論・記号学は「意味すること」・「意味されること」を
あらゆる学問領域で扱われているおそらく最も学際的な学会です。
この学会誌が、とうとうこの結論を出してしまいました。
それはデジタル表現での大きな結論です。
「音楽が終わった」というのはセンセーショナルな問題ではなく、
それこそ、音楽という表現がデジタルで、
表現物を作品=内実的概要と、表現物の作家=外実的概要を、
「音楽」に喩えただけのことです。
それこそ、オリンピックとアスリート、スタジアム建築の問題、
さらには背景がすっかりギルド化された中での稚拙なエンブレムなど、
デザイン作品の内実性とデザイナーという外実性も同様です。
要は、21世紀に完結=終わってしまっているから、
単なる商売的なギルド感覚での資本主義体制にも決着が必要なのです。
この結論から、新たな21世紀の音楽から、スポーツと商売も、
デザインと商売、この商売感覚からの離脱決意を促しているのです。
この論理思考を記号学では「音楽」に喩えただけのことだと考えます。
要は、デジタルという文明は、
もはやこれまでの音楽・美術・芸術・スポーツ、そしてデザインも
デジタルで大変革しなければその解答はまだまだ不明だということです。
オリンピックをデザイン・建築で演出することの時代が、
まだ、商業主義的見栄の国家表現を停止すべきです。
明言すれば、もう音楽は作品も音楽家も不要なのです。
同様に商業主義に包まれたアスリートもオリンピックも不要、
さすれば、デザインもこれまでからの脱却論を開始すべきなのです。  


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