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Posts Tagged ‘通信環境’


『医療環境はまだまだ駄目です』


   


     7月 20th, 2018  Posted 12:00 AM



病院内の私の個室です。
これが、関西では最高の病院だとは絶対にならないでしょう。
ベッド位置も変え、液晶TVなどは「低所得用液晶TV」ゆえ、
どれほどここにはインテリアが凝られていられたのでしょうか?
グラフィックデザイナーのデザイン仕様ゆえですが、
このような液晶TVなどは日本では使われていませんから
私の液晶TV=私デザインを持ちこみました。
これを抜ける液晶TVは今もありませんし、
4KでもこれだけのHi-Fiはどこもつくっていません。
しかも、このメーカーもこれを最期に液晶TVは辞めました。
それは企業戦略として大きな液晶TVなどは
売り上げも最悪になるからでした。
また、私が眠っているベッドも最悪であり、これでは何もできない、
と言ったとき、ベッドを点検してもらったら、
これはメーカーでなきゃ直せませんね、と言われました。
私はベッドメーカーとも仕事をしているので、
「当然ですね」、と答えました。
建築家?デザイナー?どちらがこれを要求したのでしょうか?
これこそ、ベッドとしては医療環境では絶対に使えないモノでした。
理事長?、院長?、ともに騙されていました。
このようなユニフォームどころか、私は自室で病院食をとっていましたが、
勿論、それは無くて無印良品のそれもすぐに壊れるモノ。
従って私が持ちこんできたテーブルで食事をしました。
メニューは一度覚えてしまえば、全くメニューは必要がありません。
WiFiも繋がらないし、通信環境も駄目というのでは、
ここの公報用にデザイナーが自ら書いていた「リゾート」とは、
もう少し勉強をしてもらわないと、
「リゾート」つまり「何度でも訪ねられる休養地」が成り立ちません。
まだ、この病院が有名なデザイナーだから、「良い病院」ということは、
日本の病院環境はまだまだです。
私はフランスやニューヨークでも入院したことがあるので、
「そうか、フランスは良いなあ」という経験は、
どれだけ、それこそ日本の医療環境はまだまだです。


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『電話・電話機、通信環境の変化は社会革新を成す』


   


     10月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



電話、そして電話機は自分の記憶の中では、黑電話。
プッシュホンがあり、また美大時代には、
デザイン課題に「電話機デザイン」は先輩がやっていたと思います。
電話の歴史は、まずは音声が遠くから聞こえてくるという発明から、
現在のスマートホンに至りますが、自分にとっては、
何と言ってもデザイン対象として、パソコンとの関係があります。
インターネットからSNSはコミュニケーションのそれこそ、
社会問題や性悪説の助長になっていると言っても過言ではないでしょう。
おそらく、電話の発明から通信体系のアナログ・デジタル、
さらには、通信ネットワークはBBSやDIALOGUE、Apple Link、
そして今や空気となっているインターネット。
おそらく自分は生き字引のごとく黑電話から衛星回線でのネットワークまで
資料もあって語り尽くすことができると思っています。
そして問題は、この電話がケータイとなり、これからのスマホが
未来にはどこまで、それこそコミュニケーションを拡大させてくれる?
この質問の前に立たされていることへの態度の問題が残っていることです。
特に、デザイン対象としてきたデザイナーにとっては、
ケータイにカメラがついてインスタグラムどころではないコトがあります。
新たな通信環境、この拡大が人間社会の根底を
それこそ、政治形式を変革させて社会革新にまでいたっているのです。
この想像力にかかっていることを想い知らねばならないと思っています。
ポケモンどころではないことに、ケータイに「かたち」が変えるでしょう。



* 「逃走の手立ては、情報変革化による学際化」
* 「 Media Integrationに向かってきた系譜・1」
* 『SNSを創造的破壊させるデザインが必要だ』
* 「電話の進化は国内通信形式に問題あり」
* 「ネットワーク認識は自身の共時感覚であることだ」


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「ネットワーク認識は自身の共時感覚であることだ」


   


     8月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM



300bps=1分間に1bit送付回線時代からパソコン通信していた私。
当時は電話カプラーであり、1200bpsで本格化を確信しました。
そんな頃からを考えれば、毎日メールを見たり、
Twitter、Facebook、LINEという日常の通信環境の大進展は、
大きな驚愕であるばかりか、ネットワーク呪縛を嫌う自分を
あらためて自分自身とパソコン、
その関係を連日再見分しています。
結論は、どれだけデジタル機器と時代感覚との距離感の問題です。
LINEはわが国独自の新たなスマホ通信形式を創るばかりか、
とうとう殺人事件を引き起こしましたが、
LINEそのものには無関係のことです。
問題は時代感覚との共時性に想像力を剥奪された無能さでしょう。
さて先般、Facebookの国内での年代別使用者グラフを見ました。
再確認したことは、
年代でのユーザー数が若い世代が極端に増加しました。
特に、若い年代の女性使用者の急激な増加です。
これはスマホの普及率との相関関係がより明白になりました。
「情報」あるいは「情報化」の意味も大きく変化しています。
情報には、元来は「情勢報告」の原意があり、
この定義では、日本は未だにinformationですが、
女性ユーザーの増加はこれを強化しています。
したがって、LINEはまさにメール手法がグループだけの
限定された情報交換になっています。
ということは、わが国のたとえば、
ハード製造が「ガラパゴス化」される根本があるようです。
したがって、インターネットでの選挙公報などは、
「あくまでも男性ユーザー向けコンテンツ」この無意味さです。
正直、男性は未だにハード志向のままであり、
女性は、ソフト志向だからこそ、たとえばデジタルカメラでも、
撮影後のアルバムづくりやその整理整頓です。
ところが、男性は、新製品=ハードに興味が高いだけです。
多分、私も新製品に心を動かされますが、
アルバムづくりや撮影アプリにはイマイチです。
このグラフには、国内のネットユーザーの共時性が顕著です。


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