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Posts Tagged ‘運命’


「大きなヒントだ!『危機とは、何が危機か』」


   


     5月 7th, 2013  Posted 12:00 AM



「March.11.2011」を体験した私自身の運命。
私はデザイナーという天職である幸運があり、しかも車倚子生活。
自分の生涯でこの国難と真正面に対峙しなければなりません。
そして、大学を退任しましたが、
「までい-Project」=東日本大震災の復興デザイン計画と、
それをさらに大きな視野で捉え直す「危機管理」へのデザイン。
これが私にとって最期の仕事になると常に言い聞かせています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を率いています。
しかし、危機管理学・危機管理工学、
さらに、危機に対するデザイン、プロダクトデザインの学際化。
この学際化で「危機への臨機応変なデザイン」と、
その「産業化」をめざしています。
問題は、「危機とは何か」ということ、
私の定義づけの言い換えは、「何が危機か」です。
おそらくこれからも、このFBで、
その「応答・回答・解答」デザインを記述していくでしょう。
資料を読み込んできましたが、
最近、この「危機とは何か」について、
真正面からしかも冒頭で、
この考察を「ことば」にした本にやっと出会いました。
とても大きなヒントです。
というよりも、私の人生でこうしたことは度々起こります。
それは、常にこの「問題提起」を掲げていれば、
誰かにささやかれたように、思考のヒントを目前にするのです。
まず一回読んで、さらに私が読みあさった資料から、
この考察のままでいいのだろうか、と再思考します。
結論は、
まだ浅薄過ぎると言うのはこの学者への反論のようですが、
それは、私がデザイナーであり、大学人として、
しかも「危機管理デザイン賞」を選別する責務での判断です。
さらには、「危機管理を成就する産業そのもの」に、
プロダクトデザインで主導していくことだけに、
私は、これだけの定義では無いと明言しておきます。
危機管理学と工学とプロダクトデザイン、
この三つの学際化によって、
この天災と人災、日常が「危機状況」に対して、
わが国の産業化をと考えています。


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「生年月日が同一の情あればさらに使命観を」


   


     8月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

1949年2月26日。
私の生年月日です。
魚座・B型・左右利き。
これが私の基本的アイデンティティです。
さて、生年月日同一人物には
経済産業大臣・海江田万里氏がいます。
いわゆる占い的には、
魚座だとか、血液型とか、そして生年月日や姓名判断があります。
川崎和男の和男は父の命名でした。
私が交通被災したとき、父は姓名判断から名前の変更を言い出しました。
私は即座に断りました。
「川崎」も「和男」も生涯背負っていくこと何も不安はありえません。
姓名判断とか生年月日とか星座とか血液型が、
運命や宿命を決定しているものなのだろうか、と私は思っています。
確かに、なぜ、その日に生まれ、
父母兄妹(一人っ子でしたが今は実妹がいます)と出会うのかは、
ある意味では何事かあるのかもしれません。
しかし、すでに交通被災で車椅子という宿命が決定しているのに、
今更名前を変えようという意味が不明でした。
ところで、海江田大臣は、その重席と重責で辞任を求められています。
生年月日が同じなので、TVで彼の悲しそうな表情、
まして感情が突き上げてきて悔し涙になる場面を見ると、
私は、情を感じている自分と「泣くんじゃない」とか、
「首相に騙されているんだよ、重席から離れれば」とか、
「いや、この生年月日は責任を果たす星の下に生まれたから」など、
同情と叱咤激励と、さらに批判から非難まで心が乱れます。
同一の生年月日だから、彼の悔しさにはついつい同情があります。
B型だから・・・・それがどうしたとか、
左右利きだから、右脳も左脳もバランスがあるんだとか、
そのようなことが運命になって定められているのかもしれません。
けれども、運命や宿命よりも、
自分に言い聞かせるのは「使命観」です。
生まれて果たすべき使命だけには誠実さと正直さで自分を護ります。
2049年には、私の存在はありえないでしょうが、
でもきっと、国外から「世にはばかっている」ことでしょう。


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『資本主義からの逃走』
  「『自力』だから仕方ない難行なのです・・・」


   


     8月 24th, 2010  Posted 12:44 AM

死に至る病とは絶望
ともかく交通被災を受けた私にとって最も大きな問題は、
「なぜ? 自分にはこういう運命、宿命」ということでした。
五体満足な体で「生」を受けたにも関わらず、
「歩けない体」になぜ自分は? ということでした。
私は大げさに言えば多分、この問題こそ「哲学的問題」だと悟りました。
「生老病死」での「病」への自我意識との対決こそ「哲学」だということでした。
「死に至る病とは絶望である」ということを、連日考えていたように思います。
それは現在も連続して抱いています。
具体的には、肉体に襲いかかってくる発熱や悪寒や嘔吐や意識障害に関わらず、
「精神的な恐怖感」は耐え難きものがあるわけです。
私は、とても重大な分別に気づきました。
それは、「怪我」と「病気」を自分の身体に居座っていることから、
「怪我」というのは、「自分を怪しく」することに対して、
人間は、余程の受け身で耐えきれるものなのか、ということです。
そして、「病気」というのは、
「気持ちが病んでいる」証にすぎないものなのだ、ということで「気」を抜いてしまえばいい、「病」が次々と私を責め立てているとことです。
私は28歳から、この連続苦行を幾たびか受けるようになりました。
そして、自分なりの結論で、この苦行と立ち向かうことができる「術」を身体化できました。
哲学なのか、宗教なのか、という「際限」は、「死」を意識することにあるのでしょう。
難証難行による自力は本願にあらず
なぜなら、「自力」に対して、
日本人の精神世界を支えてくれた対岸には「他力」を位置づけていました。
どの宗教なのかは、ここでは不問としておきますが、
いわゆる「他力本願」などは、「怪我」と「病気」を抱いた本人には何の意味もありません。
むしろ、「自力」を鍛えあげることは、「難行道」なる論理が明確に宗教、
それも仏教緒宗の「教判」にありました。
私が、まさに「車イス」に乗るだけのトレーニング=リハビリテーションは、
「難証難行」をひたすら受け入れるだけと割り切ったことです。
いわば、自分に襲いかかってきたこの難行を相手にしている自分を客観視することでした。
ただし、これは今なお割り切っていても「自力」の難行であり、
「本願」にあらざることは認めざるをえません。


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