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Posts Tagged ‘金沢’


『レジリエンス=強靱な益荒男こそ大丈夫を意味する』


   


     3月 12th, 2017  Posted 12:00 AM



金沢から新大阪へのサンダーバードがやけに寒かったのです。
帰宅するとワイフが風邪を引いてしまいました。
私は絶対に引かないぞと思ったいましたが、
結局、3日間ひたすらベッドに打ち伏すことになりました。
しかし、仁愛女子短大からの企画で
福井に講演で帰らなければなりませんでした。
出かけてその夕方から久しぶりに一般向けの講演をしました。
実際は、ほぼ毎月一度は帰ったり、
福井での学会では基調講演をしましたが、一般向け、
難しい話はしないでとのことでしたので、結局は、
母の実家の宮大工の祖父との思い出や永平寺、道元への思いや
当時の方が豊だったと思うことを話ました。
この直前に金沢では、あの北陸新幹線で金沢の変貌には、
正直、福井はほぼ全滅と思っていましたが、
新幹線は確かに金沢をさらに賑やかで美しい街になりましたが、
文化が崩壊していくことを体感してしまったのです。
それゆえに、講演後マスコミからの取材では、
いづれ北陸新幹線が乗り込んできても、
もう徹底した田舎街であってほしいと言って、とても驚かれました。
私自身、福井にはもう恐竜だけとも思っていましたが、
福井には17年間も社会人向けのデザイン講座「SSID」では、
2百数十名を教えてきたので、彼らにもそのことを伝えました。
それこそ、曹洞宗本山開祖の道元、
明治維新の真の立役者で26で斬首されたは橋本左内がいました。
大阪大学は適塾が根本にあり、
福井では知られていない藤野恒三郎名誉教授(腸チフス発見者)が
おられますが、このことは忘れられていますが、
杉田玄白から橋本左内については語り直さねばなりません。
そんなわけで、金沢の尾山神社、そして、
橋本左内をも守る神社のお守りを大事にしたいと思います。
ここしばらくこのブログは無理でしたが、もう本当に「大丈夫」です。
「大丈夫」こそ、
レジリエンス=レジリエンスな益荒男(ますらお)を表しているのです。

#「SSID」=Sabae School of Intelligent Design」



* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』
* 「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」
* 「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在
* 「ふるさと偉人の「ち」の系譜を再興したい」
* 『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』


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『いたづらが出来ることは豊かな時代だ』


   


     2月 28th, 2017  Posted 12:00 AM



このところ、宝くじにあたったから、とか、
本当にお世話になったから、とか、
そのようなセリフで札束を渡しています。
全員がびっくりして、「そんな大金もらえないよ」と言われます。
最高のいたづらであり、ワイフから「小学生のようなことを」とかですが、
結構面白いし、結果、笑いが起こります。
まさしく、お札が百万円札の札束ですが、それは表紙と裏表紙だけで、
中はメモ帳で、よく出来ているなあ〜って思います。
まず、最初に兵庫県立美術館の蓑館長に、
「館長、これだけだけど寄附するね」ってやったら、
「それは駄目だよ、なんだ?赤瀬瓦源平の作品のようだね」
「おいおい、外から館長が賄賂をもらっている、なんてな!」ということで、
これはいけるなーってことで金沢の同期会には1000万円も持って行きました。
「今回、世話になったから、コレを」
「何考えているの、貰えないよ」
「いや、受け取ってほしい」
「・・・・何?、コレ??」ってことで、
それを見ていた同期生が、
「川崎、俺にも寄越せよ、・・・エッ?」
てな具合で相当に楽しむことができました。
これが気に入って、ワイフに買ってきてほしいと言ったら、
「恥ずかしいし、嫌だよ」って会話ながら、
周囲にいたづらができますが、もはや、これ以上の何かを探しています。
しかし、最近はこのいたづらも考えないといけない時代になっています。
子どもの頃も、いたづらをして祖父には相当に怒られたことが一杯あります。
今や言えないいたづらが生きていた時代は豊だったと思います。
残念ながら、最初のパソコン・Macにも仕込んであったことがありました。
そんなことがなんとか消えない時代で、考えられたいたづらが欲しいです。
正直、札束では〜な〜という哀しみもありますが、
でも、一時、笑いを誘いました。


* 『25000ページを書き残した今ではアーティストの展覧会』
* 「『あさっての美術館』・兵庫県立美術館イベントと同窓会」
* 「蓑豊館長はやっぱりすごいなー」
* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 『最近見なくなった竹藪、その思い出』


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『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』


   


     2月 27th, 2017  Posted 12:15 AM



68歳、その初日を迎えます。
25日に金沢に帰りました。
金沢美術工芸大学産業美術学科デザイン系同期卒の会に参加。
一泊して26日誕生日は、ホテルから金沢駅街を散策して、
今じゃ船のように揺れるサンダーバードで帰宅しました。
デザイン系同期卒業の会は、45周年です。
40周年に50周年をと、約束をしましたが、ひょっとすると、
循環器や癌で会えなくなるということで集まろうということになりました。
私たちの世代は工芸繊維デザイン・商業デザイン・工業デザインの3専攻。
全体は産業美術学科であり、(もはやデザインは産業支援を超えてきた)
デザインは産業を支援するデザインだったわけです。
結局もうこの際だから「あの頃・・・」という話になり、
「そっだったのか」、爆笑連続でした。
当時、私は絵が下手であり、皆があまりに車の絵が上手くて、
「なんで、車の絵?」
「なんでプラモデルが上手すぎるの?」
ハァ、何しにこの学校に?
「カーデザインって何?」と周りを困惑させていたのです。
徹底的に「リピート  !」課題やり直しを命ぜられていたのです。
周囲が余りに絵が上手すぎて、
デザイナーを諦めたとかの話がいっぱいありました。
それでも、全員が「人生で一番輝いていた4年間」でした。
そして、北陸新幹線での観光客の多さには圧倒されました。
しかし、一方では例えば、九谷焼き、漆芸の商品が、
値上がりしていました。
(嘘だろう、この作家の作品、高すぎる!)
これは観光都市が必ずこうして真の文化がこわれていくのです。
いわゆる金沢市は京都化していくのを見てしまった気がしました。
それこそ、ちょうど「プレミアムデー」制定とかで、
国家方針(霞ヶ関)も狂ってきている気がしてなりません。
それこそ、リゾートシティ計画=観光都市とか言われると、
リゾートというのは「何度も休養で通いが出来ること」です。
しかし、観光ともなればそれは「乞食(こつじき)」なのです。
ともかく、もはや人生の残り僅かを
行学の自己決定をやり尽くす覚悟でと決めているのです。


* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 「『形と性能』・デザイン成果=造形言語と形態言語」
* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』
* 『4年ぶりの金沢、駅のホームで・・・』
*『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


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『開学70周年「金の美」展の自分デザイン作品展示』


   


     9月 13th, 2016  Posted 12:00 AM



秋には、東京・金沢・ニューヨークで、
銀座の全ての画廊は金沢美術工芸大学卒業生の美術・工芸・デザイン
それらの作品による展示会で埋めつくされます。
今年度は開学70周年ということで、日本各地、関西地区は、
京都市美術館で関西在住の卒業生が作品を展示します。
自分は毎年の参加は見送ることたびたびでしたが、
恩師から電話をいただき、「展示しなさい」とのことで、
後輩に締め切り後に展示の了解をもらいました。
作品は、今、開発中の「デジタルアッサンブラージュ」です。
展示のためには、もう一度、先輩・同輩・後輩すべてがプロですから、
実働モデルは再度、丁寧に磨きをかけ直しました。
正直なところ、デジタルアッサンブラージュゆえに、
32インチ液晶モニターが仕組まれていてセンサー稼働は外しました。
自分の作品はすべて映像が作品集として流れます。
工業デザインにとって、いつもやっかいなことは、
実物やスモールモックアップモデルは、その展示が大変ですが、
作品集として映像展示は、そのコンテンツ次第でした。
実際、自宅玄関には埋め込まれた55インチ縦のアッサンブラージュが
現在は、夏画面で、水・金魚・くらげ・花火・大阪城が、来訪者毎に
センサーキャッチし、しかもそれは照明をも変えてくれます。
これは今、自分デザインの代表作、
デジタルサイネージの限界を打ち破る
新たな社会提案をめざしています。
今回の「金の美」展には参加をしました。観てください。


* 『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』
* 『自宅玄関には涼しさを「デジタルアッサンブラージュ」』
* 『改めて自宅玄関のデジタルアッサンブラージュ』
* 『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
* 『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』


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『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』


   


     6月 26th, 2016  Posted 1:00 AM



ふるさと福井には、月1回は必ず帰ります。
北陸本線は相変わらずのサンダーバード。
金沢には北陸新幹線ということで、金沢駅前は確実な観光地。
比して、福井はすっかり恐竜の街ですが、
福井駅前も、やっと様変わりしてきました。
しかし、寂しい街へとばく進しているようにしか思えません。
私にとっては、この写真でも明らかなように、
プラットホームと列車の乗降は大騒ぎの状態です。
いわゆる国土交通省に乗り込んで、新幹線のホームやり直しを談判して、
その直後に、扇千景大臣が視察をして、
エレベーター設置はその3年後でした。
今では、新大阪も福井も駅員さんとは顔なじみですが、
彼らに意見したところで、改善はされません。
列車とホーム、さらには駅舎、そして駅前は日本国中、
建築計画・列車デザインとの関係も、「デザイン不在」と言い切れます。
今や確かにエレベーターも完備されましたが、
決して、車イスや乳母車優先でありません。
これは社会モラルの問題です。
時に、手ぶらで若者が平然とエレベーターに乗ってこようものなら、
はっきりと、「君は使ってはならない」と言ってきました。
それこそ、モラルの無い中国人とは銀座で大喧嘩になり、
警官数名も止めにきましたが、
明確に、「私たちも中国人嫌いですから任せてください」と言われる始末。
駅の新規改修計画が必然です。
列車も同様にデザインはやり直すべきです。
でも、やっとこのデザインでスターデザイナーが出てきましたが、
見直しの時期だと告発せざるをえません。
おそらく2020年のオリンピックまでに、相当の修繕、
あるいは革新的なデザインは急務になっています。
そして2020年後、この日本、
特に地方都市はもっと「貧しく」なるでしょう。

*『見慣れないのではなくて無視にも気づかない無知さについて』
*『新幹線ホームのエレベーターは再デザイン必要』
*『随分改善された車椅子対応までのエピソード』
*『駅構内エレベーターについて』
*『恐竜の里になっていたふるさと福井』


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『ツバメの巣、それが福祉の象徴です』


   


     6月 4th, 2016  Posted 12:00 AM



忘れていた自然界の素晴らしさを美大時代の同期から
写真がFBにアップされていました。
写真掲載OKをもらって、しみじみと思い出しています。
この季節、渡り鳥がやって来て、巣を造ってくれます。
すっかり、この風情を忘れていました。
ツバメがやってきて巣を造ってくれるのは良いことが起こるという
こんな話が今ではすっかり忘れられていますが、確かに同期は金沢。
福井にいたときに、あんな所に巣を造っている、と驚いて、
そうか、ツバメも新素材の接着剤を見つけたんだ。
でなければ、出来るワケがないと思い出してしまいました。
本当に今では見ることができないどころか、
ツバメの巣造りを嫌うことが出てきたとすら聞きます。
とんでもないと思います。
ツバメは毎年やって来て、巣造りをしてもらえる家には
福をもたらすと言われていますが、
これは真実です。
祖母から聞かされていた話は、ツバメがこの季節にやってきて、
彼らは最高の居場所だからこそ巣を造るのです。
自然の摂理を家に当てはめているのです。
巣は安全で安心できる場所を見つけているからです。
もし、ツバメの巣があれば、その家には「福」が舞い込んでくるのです。
母の実家、父の実家にもありました。
福井に戻った私が見たのは、全く新しい建築資材がその巣にあったとき、
アレは新しい巣を造る素材と方法を編み出したと思ったものでした。
自然が見いだす最高の居場所は、もう都会にはありません。
しかし、ツバメの巣こそ、豊かさの象徴だと思っています。
北陸には、「福」がやってくるその豊かさがまだまだ残っていると、
とても安心した風情を美大時代の同期が思い起こしてくれました。
連日、仕事に追いまくられていますが、
そうだ、やっぱり日本には自然からの「福」があるのです。
それこそ、福祉とは、神様が富を壺に詰め込んでやってきた、
その証に、膨らんだ「福」と
その足跡=祉を残すことです。
福祉とは、まさに、ツバメの巣こそ、その象徴だと思います。

*『日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・』
*『金沢美術工芸大学の大阪での大学大同窓会』
*『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった』
*『「福祉車両」とは決して言ってはいけない車』
*『安全と安心・デザインの不在か非在か』


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『メセナフィランソロピーが「ジン」酒造企業ではどうか』


   


     5月 26th, 2016  Posted 12:00 AM



デザインは「日本酒から人工臓器まで」とか、
デザイン対象を拡大するために酒、臓器、原子力などを選んできました。
それゆえに、対象領域に関しては知識獲得やその経験をしてきました。
ウィスキーについては、父から教えられたことが元ですが、
大学時代にはほぼ一年間、金沢の高級バーでスーツ姿のままキッチンで
皿洗いやグラス磨きのアルバイトをしました。そこのバーテンダーから、
洋酒やカクテルのことをわずかに教わっていたことがあります。
年齢とともにかも知れませんし、もはや禁酒禁煙を解放したこともあり、
最近はマティーニなどカクテル特にジンに拘りを持つようになりました。
ジンは英国のお酒というイメージをもっていましたが、
私が絶対に英国のこのブランドというジンが輸入が停止。
だからジンについて調べているうちに、元来はオランダ産でした。
が、今や英国での「ジンブーム」や、
それこそ007でのマティーニのカクテルレシピまでが
流行の原因だとわかりました。
お酒にはひとつの市場倫理があります。
それは「お酒は飲めば飲むほど=売れれば売れるほど」の同一性には
文化のパトローネ足る企業倫理がなければ意味がありません。
したがって、酒造関連企業の、メセナのフィランソロピーは
企業存在、社会的な効能性の完備は当然のことです。
このことに気づいていない酒造企業は、
社会的存在性が無いと言ってもいいわけです。
そういう意味では、ジンを取り巻くメセナの効能性を
再確認したいと思っています。
メセナのフィランソロピーにデザインは深く関与すべきだと思っています。

*『きっとまた心配されると思うが・・・ダビドフの文化』
*『クールビズ・ネクタイ文化は終わろうとしているか』
*『酒とタバコと、そして・・・』
*『パトローネが文化を再考察させるデザイン戦略』
*『新作007・ボンドカーでも確認できた曲線美』


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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM



この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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『美大生1年のときに私の最初の社会的なデザイン』


   


     9月 7th, 2015  Posted 12:00 AM



美大生1年生の夏休みに、私は福井に帰省してアルバイトを探しました。
当時、福井市には唯一のデザイン事務所がありました。
グラフィック関係の事務所で、その頃でも、
パッケージデザインの依頼があると、
パッケージ年鑑をクライアントに見せて、
そこから「なんとなくこのような感じで・・・」という依頼に
学生だった私は激高して、アルバイト一日目で辞めました。
その時地元にUHSの福井テレビが出来て、
そのマーク募集がありました。
「道楽学校」という父に逆らって夜は、
このマークデザインをして金沢に戻るとき、
母に郵送での応募を頼んで金沢の下宿に帰ったところ、
私のロゴタイプが入賞して採用になりました。
このロゴタイプが私が社会へのデザインを提示した最初の仕事でした。
昔使っていた書籍にこの新聞切り抜きが入っていました。
1969年の私のデザインは
福井テレビ20周年で新しいマークに変わりました。
今では決して見ることができない「テストパターン」に、
私のデザインは、まだレタリング教育中でしたが、
社会への最初の提示作品になりました。
賞金も覚えています。10万円です。初任給が4万円の時代ですから、
私はこの賞金で
カメラ「ニコマートと三脚とマクロレンズ」を買うことができました。
東京で交通被災をして体はボロボロになって福井にもどりました。
その時には、東芝でC.I.を徹底的に学んでいたために、
福井テレビにCIの申し込みをしましたが、理解をえられませんでした。
ところが、テレビ局は今も2局しかありませんから、
福井テレビに私がCI提案をしている話が福井放送=FBCにも聞こえ、
福井テレビでは採用されなかったCIを
福井放送で新たなマークからCI全般を担当しました。
だから、当時は高校時代の友人には、
「お前は嫌なやつだ。深夜テレビ終了時に、
福井テレビも福井放送もお前のデザインで終わる」と言われる羽目でした。
2.3年前には福井放送も私のデザインしたマークは終わりました。
福井放送のマークを
私のデザインのままでと主張してくれる社員の方々もいましたが、
私は「時代とともにマークのデザインが変わって当然」と応えました。
グラフィックデザインでは決してやれないデザイン分野は、
今やユーザーインターフェイスや
エクスペリエンスデザインがあるように、
マークに動画性を持たせることだと思っています。
 FTB=ftbマークは、
最初のデザインから微調整的に変更されましたが20年使われました。


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『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』


   


     8月 25th, 2015  Posted 12:00 AM



私が「鏡」に最も興味を抱くことになったのは、
宮川淳の現代美術評論によってでした。
具体的には最初、「プラトンのオルゴール」で、
曲面鏡を組み合わせて、空中に物の虚像を展示計画の核心にしました。
以後、私にとって鏡面は実像と虚像で、
確かに「鏡の背後には冥府がある」というほぼ虚像的な実感があります。
もちろん、金沢21世紀美術館の展示計画には、鏡を多用しました。
が、展示撤収では鏡を割って、と聞いたときに、震えがきました。
そのためかどうか思いすごしでしょうが、
敗血症・多臓器不全死に陥り、重篤状態までを経験しました。
それ以来も鏡面にこだわっていて、鏡面のキーボードを商品化しました。
そのことでは相当にノウハウを積み上げてきたと自負しています。
今はデジタルサイネージでの鏡面とLED照明の組み合わせで、
それこそ「陰影礼賛」にまで届かないだろうかというテーマを発見。
これを自宅にまで設置してWiFiコントロールを狙っています。
丁度、まもなく照明学会全国大会で、この紹介というより提案をと
その図解制作をしながら、多分、このデザイン意図では
必ず限界があることもこれまでの経験で解ります。
それは、かつてアクリルミラーを受験生に与えて入学試験をし、
その時もシミュレーションをしたところ、
それは想像を超えた印象を与えてしまっていることを確認しました。
この印象は金沢でも床面と天井面そして壁面に実物を展示したところ
実際には天井と床は永遠かと思えるほどの高低差を見せました。
まさしく、
視点は「どこを見ているか」という虚像の連続性を生み出します。
もうひとつの視点「どこから見るか」という自分の存在を消します。
鏡・鏡面・鏡面の立体化はとても怖い存在になるだけに、
鏡の魅力は果てしなく、まさに冥府なのかもしれません。
自宅にはなるだけ鏡を存在させずに、
もし鏡面があるとしたらという制御、コントロールが、
日常環境で自在になれば、映像という虚像と、
自分の関係から、冥府を知り尽くすか、解放されるだろう。


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