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『アップサイクリングの真のリサイクルとは!』


   


     6月 9th, 2016  Posted 12:00 AM



「アップサイクル」が一つの話題になりつつあります。
大阪大学の私の研究室にも、社学連携課経由で、
ある行政と企画企業から依頼が持ち込まれました。
幾たびかの打ち合わせ後、この企画はデザイン職能団体に、
企画・運営・ワークショップ・コンペの開催などを一任しました。
ワークショップはデザイン学生などを巻き込んで開催され、
その報告書などを読みました。しかしどうも違和感が残っていました。
論理的な内容を時系列的に再確認をしました。
まず、「アップサイクリング」という新たな産業形式の創案は正当でした。
しかし、根本的な過ちを発見しました。
この発見をリサイクルに照合して実際のデザイン実務との結びつきを、
あらためて検討し始めています。
まず、大きな過ちはリサイクルがサスティナブル思想であるという、
経済理念の間違いがありました。
従来のサスティナブル(持続可能)は
欧州の酸性雨対策を起源としています。
よって、リサイクルとは本当は無関係です。
このことにより、
工業生産しかも大量生産時で発生した素材廃棄物を再利用することで、
大量生産されたモノ以下の製造物に落ち着いてしまいます。
アップサイクリング(up cycling)ならば、リサイクルされた生産物は、
リサイクルされる前以上の性能性・効能性によって
新たな機能性を獲得する必要があります。
この発想が根本的に欠落しているという、
新規デザイン実務上では最も希求されている
現実生産を知ることができました。
ただ単に廃棄される素材=端材を利用する
製造システムでは無いという、この再確認が必要です。
そのサンプルとなるプロジェクトを開始します。

*『サービスの勘違い・地球に『優しい』?』
*『石畳の街、その文明と文化』
*『カーボン素材の3D-Printing開発をめざすことは・・・』
*『陽子加速器での核変換デザインによる復興』
*『デザイン史の講義を語るにはロシア・アヴァンギャルドから』


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『二つのビンテージカー番組に生きる文化論』


   


     5月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



テレビ大好き人間だからTV音響も絶対に最高にと信じています。
そして見過ごせない番組は撮り溜めし過ぎているかもしれません。
最近はCS放送の方が面白くて、
地上波TVは段々とつまらない、最低になりつつあります。
デザイナーであるからどうしても車関係は何度も観ます。
でもそれほどマニアックではありませんが、ビンテージカーについては
「カーSOS」と「世田谷ベース」は大好物番組です。
自分自身も相当に車は乗り継いできました。
この番組は一方が英国であり、所ジョージ氏の番組は優れています。
「カーSOS」は最後に感涙してしまうほどの内容であり、
ビンテージカーのもはや使われていない技術の凄さにため息が出ます。
「世田谷ベース」での彼の車からの文化の話はあまりに長いらしく
早送りされているほどですが、わが国の手遅れ制度批判は大納得です。
ビンテージカーが好みではありませんし、
もはや人生最期の車はAMで最高です。
でも、デザイナーとしてもっともっと進化させたいことは山ほどあります。
その基本的な素材や実装のデザインは未だに現役デザイナーとして、
大学人としても最先端をねらっています。
もはや人生最期の終活デザインを開始しています。
明日もし、あの世に行っても、
やり残したことはできる限りスケッチと文章で残しておきたいと思います。
ビンテージカーのこの二つの番組を
地上波番組は決して追い抜けないでしょう。
これらの番組には確実な「コンシリエンス」が残っています。

*『閏年の2.26=67歳なり』
*『女衒同族と羽織ゴロたる民法TVも国会も同罪である』
*『コントローラーのデザインはまったく進化していない』
*『10年使用すると、そうだったのかということ』
*『対決が明白なTVドラマの効能性の評価』


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5月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

5月8日 大安(庚寅)


コンセプト発想の限界を
私は語り
ライン発想手法を
開始しています。



川崎和男の発想表現手法


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『ずばり、自分ぴったしのモノ世界のモノマガだ』


   


     5月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM



「mono」マガという雑誌は、創刊時の編集長から代々の編集長が知人です。
現在の編集長は日本文具大賞の審査委員です。
編集長に文具のデザイン評価をしてもらっています。
そして、この5.16号の特集記事は、なんと、私の趣味が結集。
ワイフは、「ああ、とんでもない特集号・・・」と言いました。
「オーディオ」・再度ブーム来たるか!
「万年筆」・これもブームで、なんたることは1000万クラスが紹介。
「日本のジーンズ」・ジーンズは最近の若者には人気がないとか?
ということで、さてさて、熟読開始でした。
しかし、オーディオは元来ほとんどプロでしたし、
現在自宅のオーディオ環境は絶対に最高級環境を常に再考リニュアル!
それだけに、現在のオーディオはなんと遅れた商品開発なんだってこと。
全くデザイン依頼もされないし1970年代のブーム技術がデジタル化だが、
哀しくなる商品が多くて、でもかつての私の商品は今も生きていました。
万年筆に至っては最高品が1400万円かい!っていうやや怒り。
でも、このクラスになるとやっぱりクリップはこの形態になります。
そして、万年筆選別は極めて正確ながら、あれが無いとかです。
最近の若者はジーンズをはかないから、車にも興味が無いと聞きますが、
実は、ジーンズの生地、そして縫製は日本が世界でトップであること。
もっと若者は知るべきだと思います。
この「モノ」に関わることで「蘊蓄の箪笥100」は、
代々の編集長にこれだけの出版を願っています。
そして、「なんで、聞いてくれなかったのだろう?」
「なんで、デザイン依頼が無いのだろう?」
スタッフは、「決まっているでしょ、怖がられているからです」と。
んー・・・・そうなんだと納得です。

*『失われてしまっているジャーナリズムは雑誌に歴然』
*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可』
*『LTRASONE・問題解決を成し遂げているヘッドホン』
*『青は藍より出でて青し、ジーンズを見つめて』


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『レジリエンスデザインを熊本に差し出す』


   


     4月 17th, 2016  Posted 12:00 AM



「コンシリエンスデザイン」を次世代デザイン手法として
取り組んできました。
Consilience=Con+silienceから、
ParasilienceとMetasilienceに論理展開を拡張しました。
それにはもっと重大な課題回答としてのResilience Designの実現があります。
地震大国であることは3.11で国民すべての経験になりましたが、
5年経過して、忘却の風潮にあったところで、
九州・熊本ではとんでもない大地震が、それも連続しています。
熊本の後輩はじめ友人たちは無事でしたが、
九州と言っても熊本の事態はとんでもなく、 
3.11の経験や教訓だけではとても対処できる天災ではありません。
レジリエンスデザインを教えている大学はほんの僅かです。
ある大学でその研究費が認められましたが、
「レジリエンスデザインって何ですか?」と聞かれたぐらいです。
人間の精神的強靱力をさらに向上させる、ということを
一言で言いきれば「ストレス=心的障がいを乗り越える」という
この問題解決をすることです。
レジリエンスデザインチーム」で、熊本・九州を支援する程度ですが、
3.11とは全く異なる事態が発生しています。
このチームを創ったら、いくつかのデザイン系大学から
参加の申し込みが来ています。
これは都市計画・建築・環境、そして自然と人工の問題があります。
それだけに、安全と安心、防犯と防衛が関わってきています。
とりあえず、websiteやFacebookなどのSNSでこの展開を開始しました。


*レジリエンスデザインチーム
*『コンシリエンスデザイン仮説をレジリエンスデザインから』
*『減災・防災・救災のために』
*『世界中が・March.11.2011ならば・・・』
*『安全と安心・防災と防犯は学際化デザインになる』


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『素材産地からWブランドのアライアンスイニシアティブ』


   


     3月 8th, 2016  Posted 12:00 AM



産業のスタートは繊維産業でした。
五か条のご誓文を書いた由利公正は国家の殖産興業を考えた最初の人物。
彼が橋下左内、横井小楠から学んだ結果は富岡製糸場に結実しますが、
すでに生糸は海外から認められなくなっていました。
結果、細井順子女史らの「縦糸2本横糸1本」の「羽二重」は
世界制覇をします。
羽二重でのパラシュートを陵駕するためがナイロンの発明であったのです。
「羽二重」は人絹から今では高密度ポリエステル産業に発展してきました。
繊維には長い間に繊維性能が七つありました。
 ・「しなやかさ」
 ・「ふくらみ」
 ・「はり」
 ・「こし」
 ・「ぬめり」
 ・「しゃり」
 ・「きしみ」。
この七つの感性評価が繊維・布の基軸になることはありませんでした。
私たちはこの七つの感性評価をオノマトペでの研究で、
明確に手本・見本にするマーク表現をしてきました。
僕自身が母方の実家周辺は
いわゆる「機織り屋さん」が幸盛を極めて来た時期、
僕の遊び場は小学校より大きな機屋工場でした。
ふるさと福井に、私は「ダブルブランド戦略」を準備しました。
まず、ふるさと福井は「素材産地」として「羽二重=HUBTAE」にて
メーカーでは、企業毎、商品アイテム毎をブランド化します。
そして、「素材」はさらに新素材から新たな製品化・商品化を産地から
高密度素材開発からの「記号商品」を発表していくことになるでしょう。
素材には確実な感性評価基軸のマークが、素材性能を表します。
すでに、新素材は新たな繊維としての試作を開始しています。
この新素材はやがては医療用として、細胞シートになる可能性があります。
いずれ衣食住の基本である繊維は
日本の新たな素材産業を創成するでしょう。
その大きなきっかけが、繊維の歴史から、
それはコンセプトではなくて
LINEとしての新産業のアライアンスイニシアティブを
かつて、由利公正が意図していた
日本の主産業になると僕は確信しています。


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『滋賀医科大+EDGEで紹介をKK塾でも紹介』


   


     11月 30th, 2015  Posted 12:00 AM



「KK塾」第2回目は東大の生田幸士教授を講師に、無事終了。
私は、丁度フランスで非常事態宣言下のパリから戻り、
滋賀医科大学+国家プロジェクトEDGEでの基調講演で紹介した医工連携、
その説明図解の紹介を前段にして、「デザイン思考」での医工連携には、
どこかに大きな間違いがあります。
まず、医工連携の基本は、医学と工学の合力が医工連携学です。
これに対しては大学人になってからズーッと批判してきました。
医工連携で騒いだ大学でそれが完成、製品化され商品化した事物を
私は一つも見ていません。
医工デザインで、私はいくつか製品化し現実に商品化してきました。
ところが滋賀医科大学は国家プロジェクトEDGEで医工連携の
作用点に「デザイン思考」を、方向に「イノベーション」です。
このベクトル表示と医工連携学という力をニュートン力学で
図解化して基調講演にしました。
しかし、「デザイン思考」はスタンフォード大にIDEOが持ち込み、
d.schoolでのMBAでは未来は来ないとしての教育を開始しました。
案の上、東大はi.schoolをさも先進的として配置しました。
しかし、多分、
IDEOのファウンダーであった故・ビル・モグリッジ氏が生きていたなら、
「デザイン思考」なんていう提案をしていませんでした。
だから、作用点に「デザイン思考」を、方向に「イノベーション」も
実際は大きな間違いを孕んでいることを私は明確化できたと思っています。
「KK塾」では、医工連携とデザイン思考では間違いを示し、
それがニュートン力学での「力」=ベクトル図解の例示でした。
もし、このベクトルなら、
医学・工学・保健学・看護学、それぞれの方向性を示し直しました。
結局、量子力学的なアナロジーに結びつけた方が正しいことを紹介。
果たして、どこまで理解されているかは不明ですが、
第2回「KK塾」終了後、 
JIDAで講演し終えた阪大の招聘教授になってもらっていた濱口秀司氏と
深夜まで討論して、さらに医工連携を「デザイン思考」ではなくて
コンシリエンスデザインにてもっと明快にすることができました。
なんと言っても、重大なのは、デザインは
コンシリエンスデザインとレジリエンスデザインに
軸足両足が乗るということです。
話がむずかしい・・・って?
「KK塾」で学び直していただきたいのと
「デザイン思考」の熟慮不足です。
なぜなら、
スタンフォード大からもたらされた「バイオメディカル研究」に対して、
大阪大が中心で・東京大と東北大学が合同で間違い指摘を開始しました。


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『「影向」は陰翳を超えた日本伝統の美学を再興した』


   


     11月 6th, 2015  Posted 12:00 AM



「影向」:yow gowという松岡正剛の提示は、
流石と言わざるをえませんし、それは彼の膨大な認知力でした。
「かげ」には、光との関係が明白にあります。
それは私が「陰翳礼讃」では語りきれなかった不平不満を
全て取り出して、一挙にそれが、納得し解決しました。
陰翳とは、
確かに日本的な暗闇に存在する物への美学的アプローチでしたが、
私には、特に、デジタル化された光と、その影と陰には、
もっとその根幹であるひかりとあかりの翳りという動態こそ重要でした。
そこに、「影向」という言語が身体性で語り直されたわけです。
影にはあかりの翳り具合の形が、
それこそ夢幻抱影な印象解が必要でした。
それこそ薄暗闇にあたかも浮かび上がる世界観が「影向」だったのです。
しかし、影にはあかりに浮かびあがる形があっても、
陰には陰陽五行での遮断されている翳りだけでは、日本の美学は、
翳りのアナログ性を引き継いでもデジタルな翳りへの進化は
決して語り次ぐことは不可能なのです。
陰翳では日本の伝統へその美学性のコンテクストを引き継げません。
これが私的には不満足であり、大きなストレスでした。
デジタルサイネージが結局は電子看板という軽薄さでは日本流は不可能。
「影向」という、暗闇は翳り動態をしながらもあかりある影の形態こそ
抱影されたイメージそのものをデジタル変容させるのです。
だから私はサイネージを超えた「デジタルアッサンブラージュ」という
その新語による映像・照明・空調もデザイン表現を提案し始めました。
「影向」は、言語が場踊りという身体パフォーマンスを、
舞台芸術として革新するとともに私のデザイン表現そのものを
陰翳礼讃どころかデジタル光線の陰と影との翳り制御を発見させました。
私は「KK塾」第1回目の冒頭で「影向」にデザイナー感性を知り、
破壊されていた気分や気配でこの講座を始めることを宣言しました。
この一枚の演劇ポスターですら、
銀塩版での初期写真機撮影で、光の翳り具合撮影であったのです。
世界的なカメラマンが、群像写真撮影ならば絶対に断ったにも関わらず、
「影向」表現の演出には
ここまでのデザイン的な配慮があったと聞きました。
偶然といえば済んでしまう話ですが、
私は「コンシリエンスデザイン」を開始するにあたって
「影向」という、それこそイノベーションという誤解だらけの定義を
「コンシリエンス」=新結合=コンバイネーションを
手に入れることが出来たのです。


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『次世代デザインの「KK塾」スタートです』


   


     10月 20th, 2015  Posted 12:00 AM



阪大の医学系研究科に移籍してから、
文理融合や医工連携では限界があることを開発実務毎に
大きく感じてきました。
特に、「危機管理工学とデザイン」の関係には大疑問があり
それこそ3.11復興事態が危機管理工学中心主義は間違いです。
そこで、「危機解決実務としてのコンシリエンスデザイン」を
私は提唱するとともに、この後期から医学系研究科にて講義を開始。
と同時に「KK塾」を学術界や産業界での第一人者の専門家を
私の評価基準で
選びに選んでこの講座の講演者になっていただきました。
デザインは未だにデコレーションと同義ですし、しかも、
エンブレム問題や盗作問題でますますデザインの理解は下降しました。
私は、マネージメントやマーケティングが
デザインと同次元で扱われていることをズーッと批判してきました。
本来のマネージメントは短絡的な管理ではありません。
マーケティングはいつも儲け話が先行しています。
学術+芸術の統合=コンシリエンスと断言しても、
統合の概念がこれも問題解決=デザインを曖昧にします。
統合を
 ●「規模的統合」
 ●「ネットワーク的統合」
 ●「機能的統合」
 ●「文化的統合」
という四つの明確な方向性と統合力の大きさで、
問題解決=デザインを明確にしていく講座を開設します。
コンシリエンスデザインであるだけに、
私は講演者それぞれが第一人者である実例を大事に、
その根底思想や手続き、妨害事項、それでも成果評価を
語ってもらうつもりです。
講演者は全てが文理融合した頭脳と行動力で社会的かつ国際的な
実績者たちばかりです。
今、デザイナーの発想方法は「デザイン思考」として語られています。
しかしデザイナーにはセンスが求められていますから、
この講座では、まず、私たちが現代世相から未来創出の
問題点そのものを明白にすることから始めてもらうつもりです。
人類にとっての最大な問題は、「生き延びること」につきます。
しかし、私たち日本人は3.11で、天災と人災でもう一度、
自分たちの生活様式に対し、再熟考を要求されています。
私は敗戦を体験し、先進国家だけに未来をデザイン設計する立場なのです。
もはや、これまでのデザイン系大学では近接不可能な
次世代デザイン=コンシリエンスデザインがこの塾で社会化します。
この講座では、コンシリエンスデザインを
私は看医工学に向けてより正確な質問と対談を講演者とやってみます。

* Website-HP


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『この秋からコンシリエンスKK塾開講』


   


     9月 4th, 2015  Posted 12:00 AM



デザイナーはデザイン意図とデザイン内容で、
自分のデザインを発想・表現・伝達しなければなりません。
勿論、オリジナリティは矜持すべき
最大のデザイン、デザイン言語だと言ってきました。
デザインと格闘をしてきて40余年、私はデザイナーとして,大学人として、
この基本的論理化を、デザイン思考での不十分さを
デザイン記号論=デザインすることとデザインされたことで補強しました。
この二つを
造形言語=designing languageと
形態言語=designed languageによって、
デザイン意図はデザインする意味性であり、
デザイン内容はデザインされた意味性としました。
この論理化を、造形言語+形態言語=問題解決には
三つの答で、
応答・回答・解答をデザイン記号論から
コンシリエンスデザイン記号学であるという実務展開をしています。
結論も明確になり、問題解決で答を出すことは
まさしく解放されることでした。
これは解放=「ほどける」ということになります。
日本文化の素晴らしさは、この「ほどける」ことが
人生=死ぬこと。
すなわち「ほとけ=仏」の世界観です。
40余年デザイン界で、デザイン実務とデザイン教育によって、
なぜ、あの柳宗悦が白樺派にて最終は仏教思想になり、
わが恩師である柳宗理先生は、
民藝を乗り越える、
アノニマス・アンコンシャスビューティ・ゲマインシャフト、
この三つで私たちを鍛えていただいたかを大学人になって少し知りました。
確かに、柳宗悦は刀剣を民藝には加えませんでした。
しかし、私はその刀剣=武器=戦いをさせないモノに
自分は深く入りこんできました。
そこには、生命を守り、危機解決が日本人には必要ゆえに、
勾玉・鏡・刀こそ、モノであり日本文化のシンボルだからです。
刀=農業革命、勾玉=工業革命、鏡=情報革命だからです。
もっと詳細に付け加えると、
刀は鎌をつくり、勾玉は研磨=トライポロジーであり、
鏡は通信技術につながっているからです。
この秋から、KK塾は大阪だけではなく、
霞ヶ関の大阪大学東京オフィスでも開始します


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