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『タケフナイフスクールは越前打刃物産地に開設する』


   


     7月 4th, 2017  Posted 12:00 AM




今は周辺町村と合併し越前市となりましたが、
かつて国府であり紫式部も父と共に在住していた武生(たけふ)。
私がデザイン主導してきた武生市に越前打刃物産地として、
「タケフナイフビレッジ」を設立してすでに30数年です。
これまでもナイフ講座をイベントとして、
ナイフや包丁を参加者それも子どもから一般にまで指導制作してきました。
タケフナイフビレッジは褒章者も2名出しましたことから校長と副校長とし、
私は以前より市長とも話合い、越前市の観光大使としても
タケフナイフビレッジの再拡大とナイフスクール開設を主張してきました。
対象は、児童から生徒(保護者同伴)学生から一般、マニア、プロという、
そうした人向けのスクールを設立することを進言してきました。
生徒とは中学生で学生は高校生以上を言います。
プロというのは、ナイフづくりと、シェフ=料理人向けを提案しています。
理由は簡単で、それこそ海外からの包丁ブームは確実であり、
中でもタケフナイフビレッジのキッチンナイフを超える
ビッカー値硬度ある刃物は、世界的にも全く皆無です。
国内の岐阜・関市や大阪・堺市にも伝統工芸での包丁がありますが、
私から批判すれば、伝統の継承だけや刀工からは許されない刃物依存です。
「火造り鍛造された蛤刃」を、モダンデザインされているのは、
タケフナイフビレッジだけだと私は自負しています。
それだけに、第一世代親方9名を講師に、時には私も参画して、
「ナイフスクール」をおそらく日本で最初に開設するつもりです。
千代鶴国安(二人説あり)という刀工が
鎌を農民に野鍛冶からスタートしたとのことですが、
私の研究ではそれこそ1500年前から鍛冶技術への兆候はあったようです。
また、「武生:タケフ」は、日本のエンジニア養成の中心人物
「工手学校」設立者である渡邉洪基=帝国大学総長・東京府知事。
私立大学設立提案者のふるさとでもあるのです。
叶うことなら、この夏にはそのスタート講座開設を考えています。
「ナイフ」はもし、無人島に行くとしたら持参すべき唯一のモノです。
なぜなら、ナイフがあれば道具を創り出すことができるのです。


* 『親方二人目の褒章受勲・タケフナイフビレッジ』
* 『タケフナイフビレッジで第2世代を鍛える』
* 『ローカルな受賞なれど、とても大きな受賞でした』
* 『刃物の地肌、その偽物氾濫が流行している』
* 『伝統工芸での和包丁には間違いがあり過ぎる』


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『あの日からもう22年なんだ。』


   


     1月 18th, 2017  Posted 12:00 AM



1995年1月17日だったんだという記憶は、
畝曲がった高速道路がフォト・メモライズしています。
「阪神淡路大震災」から、そうなんだ、もう22年も。
この日早朝に私は福井で相当に揺れを感じて、
(間に合わなかった)という思いでしたが、まだ父も健在でした。
災害向けのデザインを用意していました。
それでもApple社とキヤノン販売とはまだ繋がりがあり、
神戸の友人には、e-Mailだけでしか連絡が出来ませんでした。
それでもキヤノン販売のコピー機とApple社からの支援を
私がメールを出すと、早々に受けたのを思い出します。
人は、楽しい思い出はすぐに忘れるものですが、
余りに悲しくて哀しい思い出は、月日を重ねる度に強まります。
未だ恩師にはこの年に「大学人になります」と言うことになるのです。
この1995年から名古屋に通い出して翌年開設される名古屋市立大学の
芸術工学部に就任するとは、この震災時には思ってもいませんでした。
Machintoshで仲良くなった神戸の友人たちとはメール連絡だけでした。
後々、今、阪大の研究室は被災を受けなかったということでしたが、
周囲にはコンクリート道路にいくつものひび割れを教えてもらいました。
あの阪神淡路大震災から、わが国は3.11東日本大震災、
もう連続して大震災を日本列島あちこちで受けています。
フォト・メモライズされてしまったクネクネとした道路の記憶から、
大地震という天災と向き合わなければならなくなったのです。
大阪にいると、「あの震災の時」という話はよく耳にします。
今日、また涙する被災者の方々の「鎮魂」の姿を見詰めています。
日本列島は、まだまだ大地震を控えているのです。



* 『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』
* 「自然との喧嘩・調和などありえない」
* 『「不安」が最大なことは被災することである』
* 『熊本大震災への新たな瓦屋根材のデザイン開発』
* 『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』


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『季節毎にやりとりは40数年になります」


   


     8月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM



この季節になるとわが家にプレゼント送付されるブドウたちです。
あるデザインのモデルショップの社長との話です。
自分が東芝で全くの新人であった頃に、まだ4人でスタートしたばかりの
小さなモデルショップでしたが技術的には最高の仕事でした。
上司を口説いて、デザインモデル=モックアップを依頼してから、
その社長には、私のデザイン活動を見てきてもらいました。
ところが、自分が車イスになったときには、東芝で箝口令があったのです。
しかし自分は交通被災後、救急病院での手術とリハビリ病院入院しました。
おそらく、その頃、「川崎はこの世からは消えてしまっていた」ようです。
退院すると、東芝に籍をおいたままに赤坂でデザインスタジオを開設し、
オーディオ関連のデザイン活動を東芝の競合以外の製品デザインに従事。
ところが、あるプロジェクトでは、どうしてもモックアップモデルが必要で、
自分はおそるおそる、そのモックアップメーカーに電話をしました。
すると「川崎さん?どうしていたのですか?とても心配していました」と応答。
自分はやむにやまれずモックアップ製作をしなければならず、
電話をしたけれど、モックアップへの予算は僅かなことを伝えました。
「何を言っているですか社長命令で電話依頼があったら全て只で受けること」
その回答がきました。依頼したら案の常、最高の出来映えのモデル。
社長からは「出世払いでいいよ」とのことでした。
やっと、社長と食事もできる仲になっています。
その社長からはいつも最高級の季節毎のフルーツや最高の牛肉が届きます。
社長はすでに日本各地にモックアップだけでなく、実装モデルも可能な
メーカーをいくつかに拡大しています。
私がやっと生き返ってきて、今なお、デザイン界での色々を相談できます。
教え子がモックアップを頼みにいけば、
「川崎さんの教え子らしい、礼儀正しく躾されている」と言われます。
モデルを頼んだら、必ず、商品になったらそのことの報告を守っている
優秀な教え子だけが、やはり、今なおお世話になっています。
自分のデザイン代表作のモックアップは全てこのメーカー製です。

* 「3Dプリンターの素材と成型精度」
* 『本物に出会う「漆器」にもささやかな未来が見えた』
* 「造形の言語道断」
* 「フリーランススタートの頃」
* 「#教えることは教わることです。だから教える立場を!#」


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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM



この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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『silienceからパラ理論とメタ理論への展開が可能になる』


   


     4月 25th, 2016  Posted 12:00 AM



コンシリエンスデザインの論理的な研究をし、
その講座を「KK塾」として一年開設してきました。
そして、silienceという古語に辿り着いたときに、
レジリエンスデザインを明確に定義することが叶いました。
このレジリエンスデザインを具体的に研究していたのが、
九州大学でしたが、それが科学研究テーマになった途端に
熊本で大震災が連続しています。
すぐに「レジリエンスデザインチーム」をつくり、
大阪大学がこの活動のコアとして情報整理にかかりました。
自分は「KK塾」でも、
レジリエンスデザインに取り組んでいない、
特にデザイン系大学があることを指摘し訴求を始めていたのです。
たとえば、あるデザイン系大学では「防災がデザイン対象?」という
無知識な、そのような教育機関は、
教員がなんといってもsilienceそのものさえも全く知らずして、
大学教育で次世代デザイナー育成は不可能です。
さらに、silienceはパラ理論:Parasilienceと
メタ理論:Metasilienceにて、部分と全体、事前と事後、
さらに理論前提と理論中枢へと、
このデザイン手法とデザイン論理を
深めていくことが可能になってきていると考えています。
これはプライミング効果によって、
機能をさらに性能と効能にデザイン言語で
造形言語=designing languageと
形態言語=designed languageとして、デザインの
意図と内容で、デザインすることとデザインされたことを明快にします。

●レジリエンスデザインチーム
*『レジリエンスデザインチームで少しでも支援を』
*『レジリエンスの学習はデザインにつながる』
*『デザインは記号論的な「造形言語と形態言語」での論理化』
*『記号論でのコンシリエンスデザイン』
*『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』


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『「KK塾」キックオフはテクノロジスト・濱口秀司氏』


   


     11月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM



大阪・京都から東京パルコ劇場に直行しました。
友人たちの革新的なことばと場踊りを観劇したのです。
松岡正剛・田中泯・石原淋・宮沢りえ、「影向」yow gowを
新たなことばとパフォーマンスとして受け止めたまま、
いよいよ、翌々日、
「KK塾」を大日本印刷のDNP五反田ビル 1Fホールにて開催。
キックオフ講師は、
国際的イノベーター・濱口秀司氏を米国から迎えました。
イノベーターというより、私にはデザインとエンジニアリングでの
企画コンサルタント=テクノロジストであり、
私が大阪大学大学院・医学系研究科に開設した
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の育成目標人物です。
まず、私は前座で「コンシリエンスデザイン」を紹介して、
なぜ、濱口氏からかを紹介して、彼の講演を開始しました。
私は、最近、「デザイン思考」という、
スタンフォード大学のd.schoolとIDEOの手法論から
拝借しているデザイン論が、
デザイナーだけでなく一般的なイノベーション開発手法として、
東大のi.schoolでそのコピーが用いられていること。
また、イノベーションとは、提唱者であるシュンペンター自身が、
「革新」:コンバイネーション(独)「新結合」と呼び、
すなわち、私的にはコンシリエンスであることを説明しました。
シュンペンターのイノベーション=革新が、
共同的な発想で行えるコトへの大疑問や、
1927年・「社会階級論」が、結局は彼の予知どおりに
1929年の「世界大恐慌」につながったことなどから、
わが国の3.11復興策こそ、新たなコンシリエンスデザインです。
コンシリエンスも18世紀の造語であり、なおかつ対語的なレジリエンスが
決して、デザイン系大学教育には登場しないだけに、
まずは看医工学という提示とその教育成果こそ濱口秀司氏だと紹介し、
彼は約280枚のKeynote画面とホワイトボードで、
詳細な成功実例での方法論を懸命かつ賢明に講演していただきました。
DNPホールの現代ホール性能では、私も濱口氏もMacでKeynoteプレゼ、
これはおそらく初めて、映像と音楽を運用することができました。
よって、まだまだこのホールのPA音響から
コードマネージメント、さらには照明を変えることが可能です。
丁度、大日本印刷とは、「デジタルアッサンブラージュ」を進行中。
そしてこの大ヒントは、松岡正剛氏の「影向」が与えてくれました。
「KK塾」の今年度最終の講師は松岡正剛氏です。


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『次世代デザインの「KK塾」スタートです』


   


     10月 20th, 2015  Posted 12:00 AM



阪大の医学系研究科に移籍してから、
文理融合や医工連携では限界があることを開発実務毎に
大きく感じてきました。
特に、「危機管理工学とデザイン」の関係には大疑問があり
それこそ3.11復興事態が危機管理工学中心主義は間違いです。
そこで、「危機解決実務としてのコンシリエンスデザイン」を
私は提唱するとともに、この後期から医学系研究科にて講義を開始。
と同時に「KK塾」を学術界や産業界での第一人者の専門家を
私の評価基準で
選びに選んでこの講座の講演者になっていただきました。
デザインは未だにデコレーションと同義ですし、しかも、
エンブレム問題や盗作問題でますますデザインの理解は下降しました。
私は、マネージメントやマーケティングが
デザインと同次元で扱われていることをズーッと批判してきました。
本来のマネージメントは短絡的な管理ではありません。
マーケティングはいつも儲け話が先行しています。
学術+芸術の統合=コンシリエンスと断言しても、
統合の概念がこれも問題解決=デザインを曖昧にします。
統合を
 ●「規模的統合」
 ●「ネットワーク的統合」
 ●「機能的統合」
 ●「文化的統合」
という四つの明確な方向性と統合力の大きさで、
問題解決=デザインを明確にしていく講座を開設します。
コンシリエンスデザインであるだけに、
私は講演者それぞれが第一人者である実例を大事に、
その根底思想や手続き、妨害事項、それでも成果評価を
語ってもらうつもりです。
講演者は全てが文理融合した頭脳と行動力で社会的かつ国際的な
実績者たちばかりです。
今、デザイナーの発想方法は「デザイン思考」として語られています。
しかしデザイナーにはセンスが求められていますから、
この講座では、まず、私たちが現代世相から未来創出の
問題点そのものを明白にすることから始めてもらうつもりです。
人類にとっての最大な問題は、「生き延びること」につきます。
しかし、私たち日本人は3.11で、天災と人災でもう一度、
自分たちの生活様式に対し、再熟考を要求されています。
私は敗戦を体験し、先進国家だけに未来をデザイン設計する立場なのです。
もはや、これまでのデザイン系大学では近接不可能な
次世代デザイン=コンシリエンスデザインがこの塾で社会化します。
この講座では、コンシリエンスデザインを
私は看医工学に向けてより正確な質問と対談を講演者とやってみます。

* Website-HP


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『今秋より『KK塾』を開催します』


   


     10月 12th, 2015  Posted 12:00 AM



この秋より「KK塾」を東京で開催することになりました。
大阪大学大学院医学系研究科にて
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を開設し、
招聘教授の講演と私との対談でスタートします。
基本的には寄附講座ゆえに寄附企業関係を主体に
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」の目標と目的を説明し、
現在のデザイン思考やインクルーシブデザインなどの熟慮不足を紹介。
さらに、文科系+理科系に学術系+芸術系で、
次世代デザインへ展開します。
デザインがモノからコトへなど、結局、また大誤解を受けています。
しかもエンブレム問題でのデザインやアートディレクターの役割、
さらには、盗作問題も絡んできています。
問題解決・価値創出・未来創造がデザイン解答である、
ということさえ伝わっていません。
「デザイン思考」も大きな偏りがあって、問題解決の実務手法には
とてもいきついていないことが大きな気がかりになっています。
これまでのデザイン系大学では、
デザイン技能もPCやインターネットであり、
アナログ性とデジタル性も明確にはなっていないようです。
私自身も、阪大を一旦は退官して、特に、気候変動と感染症対策を
象徴的な3.11東日本大震災復興からも、
「危機管理デザイン工学」を目指してきましたが、
危機管理=リスクマネージメントでは、デザイン実務は無理と判断。
危険には起こってしまったクライシスと起こる可能性のリスクがあります。
その実務的な解決は、
危機=危険な機会とした危機解決には、
これからのデザインとしての実務=研究と開発をめざすために、
文理融合+学際化=コンシリエンスデザインこそ焦点化可能です。
これを「KK塾」として、まず、講座関係者から、
やがてデザイン界まで一般化し、
その研究・開発から実務実現事例を出していくつもりです。
これまでの「KK塾」は大阪でしたが、
東京で徐々に拡大化をしていきます。
講演者は、
大阪大学でも実務として「社会成果」を実現している教授、招聘教授を。
私はデザイナーとして、+デザインこそ、
次世代の真のデザインとして、
これまでのデザイン系大学の方向性を明確に変更させる覚悟です。


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『何がデザイン思考かは終わったのだ』


   


     10月 4th, 2015  Posted 12:00 AM



デザインはエンブレム問題・盗作問題・Gマーク問題で
一般的な不信を背負ってしまいました。
これは未だにデザイン=問題解決の手法というより、
デコレーション・装飾性や付加価値性が強いからです。
一方では、「デザイン思考」これなどはスタンフォード大学からの
借り物に過ぎませんが、私はユニバーサルデザインを
米国から持ち込み、その定義を政府に提示した一人です。
しかし、ユニバーサルデザインも誤解され、
ヒューマンファクターデザイン:HFD、UXデザイン、
インクルーシブデザインなどの大勘違いを指摘しました。
そうして「デザイン思考」に行き着いたわけですが、
この借り物を「コンシリエンスデザイン」にしました。
根本は、March 11.2011東日本大震災から、
気候異変・感染症増大に対してのデザイン実務背景を整理しました。
これは文科系+理科系をさらに学術+芸術にして、
信頼学・価値学・保健学・防衛学を加えることで
安全・安心・防災・防犯へ。
デザインを危機=危険時を機会として
解決を図るデザイン実務文理学際学にすることが可能になります。
危機解決では、リスク:起こるであろう危険だけではなくて、
クライシス:起こってしまった危険との、両方の危険回避と解決を、
デザイン実務に向けるという論理的な図解も、
学術と芸術の学際はデザインに集約するという段階に至りました。
実際は大阪大学大学院の医学系研究科にこの寄附講座を設置して
後期からは私が授業をやり、社会的には「KK塾」を
霞ヶ関にある大阪大学の分校的な場所で講座を開設します。
講師は、私がすべてのとりまとめをしますが、
選び抜いた講師陣を配置することになっています。
「KK塾」は、以前は大阪で実施してきましたが、
どうしても東京でという
この要請が強いことや講師陣を東京にも拡大することができます。
「デザイン思考」が例えば、医工連携+デザインになってきましたが、
私が看医工学という、保健学がきわめて真の人間学、
それは環境化(人工:ロボットや情報と自然との調和ではない)に
最適であることをこの図解では、明確になっていると考えます。
当然にPKD=Peace-Keeping Designと「完全無菌」対「抗体保健」を
なんとしても3.11復興と気候異変+感染症防止に向ける開発は
年内には、「デジタルアッサンブラージュ」としての
機器装置からロボティックス情報環境づくりで
これがデザインであるという、
デザインと何らかの発想を大転換できると考えています。


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