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Posts Tagged ‘関与’


『「炊く」を事例に、再度、IoT・AIの美しさを』


   


     10月 21st, 2017  Posted 12:00 AM




日本人はお米を食べます。
それはご飯を炊いての日常的な主食です。
私は山岳部時代は飯盒炊飯から浪人時代はコッヘル炊飯で、
お米を炊く、という手続き、手法を覚えました。
また東芝時代のデザイン部長I氏は、
日本で最初の電器釜(左)を間近で見、
日本人の主食、そのお釜のスタートを知りました。
最近は、電気製品も産業経済的には、
電気炊飯器の様々な工夫やマイコン制御など、
もう本当に大変な競合を見ています。
また、伝統的には、鋳物鍋から陶器鍋など、
これらも大変な「ご飯の美味しさ」競争をしています。
自宅ではワイフは、真空電気炊飯器から陶器鍋から、鋳物鍋なども、
料理での「炊き」分け方をしてもらっています。
そして、私は毎年の電気釜や単純な陶器から鋳物、
さらには新素材適用を見ています。
おそらく、今ではお米毎の炊き方までが制御されている時代です。
主食ゆえの炊き方器がこれほど選択肢の豊富さは日本独特でしょうが、
中国や韓国からも日本製の素晴らしさはアジア圏には
すっかり定着もしてきました。
しかし、最初の電気釜は、主食炊飯の問題解答でしたが、
現在の全ての炊飯器は「応答」商品、あるいは「回答」商品だと思います。
したがって、デザインするという造形言語でのデザイン意図と、
デザインされている形態言語ではデザイン内容を、
私は改めてもう一度、炊飯器のもっともっと発明から解答商品が、
全世界の料理体験=料理の四辺形にデザインが関与すべきと思っています。
そして、これは炊飯器を事例にしていますが、
インダストリアルデザイン、プロダクトデザインにおいては、
電気炊飯から素材毎炊飯だけではなくて、
いわゆるIoTやAIでの技術革新がデザインそのものに関係していると
私は判断しています。
書き置きますが、技術革新がイノベーションではありません。
正直、デザイン、デザイン判断での商品価値での
私が最も大事な美しさがIoT・AIとの関わり方が
さらにデザインのデザインが希求されていると判断しているのです。


* 『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』
* 『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
* 『美学性を語れる講師を「KK適塾」は選ぶ』
* 『盤という人類文化にAI相手は無意味である』
* 『「天然物」?という価値観を確認する』


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07月05日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

07月05日 仏滅(癸巳)


「美意識」とは、
視覚と聴覚に深く
関与している。
よって、天性であり、
経験では取得できない、と
私は判断している。



川崎和男の発想表現手法


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『メセナフィランソロピーが「ジン」酒造企業ではどうか』


   


     5月 26th, 2016  Posted 12:00 AM



デザインは「日本酒から人工臓器まで」とか、
デザイン対象を拡大するために酒、臓器、原子力などを選んできました。
それゆえに、対象領域に関しては知識獲得やその経験をしてきました。
ウィスキーについては、父から教えられたことが元ですが、
大学時代にはほぼ一年間、金沢の高級バーでスーツ姿のままキッチンで
皿洗いやグラス磨きのアルバイトをしました。そこのバーテンダーから、
洋酒やカクテルのことをわずかに教わっていたことがあります。
年齢とともにかも知れませんし、もはや禁酒禁煙を解放したこともあり、
最近はマティーニなどカクテル特にジンに拘りを持つようになりました。
ジンは英国のお酒というイメージをもっていましたが、
私が絶対に英国のこのブランドというジンが輸入が停止。
だからジンについて調べているうちに、元来はオランダ産でした。
が、今や英国での「ジンブーム」や、
それこそ007でのマティーニのカクテルレシピまでが
流行の原因だとわかりました。
お酒にはひとつの市場倫理があります。
それは「お酒は飲めば飲むほど=売れれば売れるほど」の同一性には
文化のパトローネ足る企業倫理がなければ意味がありません。
したがって、酒造関連企業の、メセナのフィランソロピーは
企業存在、社会的な効能性の完備は当然のことです。
このことに気づいていない酒造企業は、
社会的存在性が無いと言ってもいいわけです。
そういう意味では、ジンを取り巻くメセナの効能性を
再確認したいと思っています。
メセナのフィランソロピーにデザインは深く関与すべきだと思っています。

*『きっとまた心配されると思うが・・・ダビドフの文化』
*『クールビズ・ネクタイ文化は終わろうとしているか』
*『酒とタバコと、そして・・・』
*『パトローネが文化を再考察させるデザイン戦略』
*『新作007・ボンドカーでも確認できた曲線美』


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『難問解決の大ヒントは「素材」開発デザインの美です』


   


     5月 25th, 2016  Posted 12:00 AM



自分にとってデザインはまずは問題解決をねらうことですが、
その答は常に、「応答」・「回答」・「解答」があります。
そしてそのそれぞれは「美学的」であることが一番です。
プラトンの言葉にも、
答に迷ったなら「美しさ」が第一というものがあります。
真・善・美の中で美だけをよりどころにしてきました。
したがって、答える条件として「素材」を新素材化しなければ、
「美しいモノ」としての
それこそ難問解決の解答は無いと確信してきたのです。
一昨日は素材メーカーと会い、昨日はメガネメーカーと会いました。
今最も取り憑かれているのは3Dプリンターで
「素材」そのもののアウトプットです。
かつて、福井にもどった時にメガネフレーム素材は、
ようやくチタンに気づいた時でした。
それはオーディオの世界から10年遅れていました。
とてもエンジニアリングプラスチックなど気づいてもいませんでした。
まだヘッドホンが300gの時代に、
エンプラ(エンジニアリングプラスチック)で
150gを実現しヒットさせていましたから、
エンプラメーカーを福井に呼びました。
しかし、当時はやっとチタンであり、
エンプラの提案などは全く採用されない有様。
もう30年になりますが、
ようやく3Dプリンター成果での素材がドイツで受賞になり、
これからこの世界が必ず拡大していくはずです。
しかも、この新素材は生体適合性を持っていて、
アレルギーもなく、殺菌も可能です。
新しい素材に触ると未来の「美しい解答」が見えてきます。
それは商品アイテムをもっともっと見せてくれるのです。
今や、車から手術機器、さらには素材の細胞化までが
おそらくデザイナーが最も関与することになるはずです。
ちなみに、メガネは「サバエ」というより「フクイ」の技術が一番です。
最先端は「フクイ」が成し遂げ、
その下請けが「サバエ」だと強調しておきます。

*『素材=ボロンとダイヤモンドですでに開発していた』
*『ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり』
*『「瞬感」SHUNKAN=液晶サングラスを実現しました』
*『I seeの世界観』
*『商品が記号となった実例・私の体験と確認』


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『伝統の革新は新素材開発と情報エンジニアリングを図る』


   


     5月 7th, 2016  Posted 12:00 AM



一般には陶磁器で一括りにされてしまいますが、
これは明確に素材から陶器と磁器に区別して理解しておく必要があります。
簡単には「陶器」は土器からの古代歴史性があります。
六大古窯は陶器の歴史として、縄文の時代が深く関与しています。
なぜなら「陶器」は土を粘土にして焼き上げた歴史が歴然とあります。
「磁器」の歴史は石の粉をさらには骨の粉を粘土状にして焼いたモノ。
しかし、陶磁器なるモノはありえません。
なぜなら、陶器と磁器になるように土と石それぞれの粉を焼き上げるには、
現代的なセラミックとしての工業技術が不可欠です。
したがって、今、最も注目出来るのは、
手前味噌ながら磁器にプラチナ釉薬での鏡面仕上げですが、
完全にこの製造方法はオープンゆえ、
あたかも自分たちのオリジナルという盗用がはびこり出しています。
しかし、六大古窯であった越前焼に、素材である青粘土と新技法での
革新的な陶器が若い作家から生まれました。
この越前焼が最高品になる可能性があります。そうするつもりです。
この技法によって、ようやく、デザイン的な解決を
自分の鍛え上げてきたタケフナイフビレッジとの協同をねらっています。
陶磁器にしてもすでに焼成温度の管理は不可欠ですが、
これだけではありません。
新しい素材の応用、技法としての加工エンジニアリングが決め手でしょう。
この革新的な素材開発と情報エンジニアリング、そのデジタル手法を
伝統工芸の伝統技の継承とその革新性に再配置していきます。
それは新デザイナーの登用とともに解決制作をデザインします。

*『有田プラチナ釉薬仕上げ工程デザイン』
*『六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした』
*『最高級品・アストバリーの技法を超えるには』
*『陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断』
*『陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない』


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『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』


   


     12月 25th, 2015  Posted 12:00 AM



「力」という概念は「ち」と「から=空」だと考えています。
そして「力」の概念は単純にはベクトルで一つの理解点ができます。
ベクトルには、作用点・大きさ・方向があります。
そこで、医学と工学で作用点から医学と工学の合力ができます。
この合力の大きさはストレートにすでに「医工連携」になります。
同様に、文系と理系の合力が「文理融合」というわけです。
そこで、これらそれぞれの作用点に「デザイン思考」を置いて、
あたかもそれぞれの合力は、学域を拡大力化して大きな効果、
すなわち、イノベーションとなって変革・革新をしてくれるという
そのような錯覚あるいは錯誤感を与えていることは間違いありません。
これは私自身も「力」を概念化して発展的な希望論にするときには
利用・運用可能な手法であることは間違いありません。
こうした「力」=作用点・大きさ・方向はニュートン的な合力形成です。
私はこれが明確な誤りだと断言できるわけではありません。
しかし、「力」の概念が進化していることをさらに深度を深める必要を
私自身デザイン手法であるデザイン思考そのものの
進化と深化を提唱します。
あらためて、この図示を見比べてほしいと考えています。
二つのことに気づいて欲しいのです。
医学と工学で確かに「医工連携」力が出来上がります。
これにデザインが加わるとするなら
医工連携とデザインでの方向が必要です。
さらに、文系と理系で「文理融合」が出来あがり、
これにデザインが関与した場合の論理は生まれていません。
そこからが今年4月からの私のミッションでした。
そこで、この合力にそれぞれデザインとの合力では
「何がデザイン」になっていくだろうかがテーマでした。
つまり、「デザインとは何か?」ということの要素や要因が浮かびます。
これはすでにニュートン的な力学での合力である、
それこそベクトル的な論理では無理なことが明らかになりました。
そして私のミッションである合力ベクトルでの「力」は、
ニュートン力学から量子論的な力学での、
「強い・弱い、いずれかの相互作用」と
「重力」と「電磁力」のメタファー的な力学を関与することが必要でした。
相互作用は距離感や学域の効用効果の範囲を決定します。
同様に、重力的なことは時代性の影響力であり、
電磁力は、経済と文化と歴史がフレミング的な影響力を与えると思います。


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『安全と安心・防災と防犯は学際化デザインになる』


   


     10月 13th, 2015  Posted 12:00 AM



気候変動と感染症の増大は天災を我々に与えます。
決して自然とは調和など不可能ですから、
天災はすぐに人災になります。
危機は管理ではなくて危機解決を即、実行しなければなりません。
安全と安心・防災と防犯によって私たちの生活は強固に守られるべきです。
私はデザインを理工学・医工学・文理学・政経学に冠して、
設計学・計画学・編集学・情報学で取り囲んできました。
そしてその根幹には「学際化」=コンシリエンスを与えました。
安全と安心は、価値学・信頼学によって解決が可能です。
防災と防犯は、健康学・防衛学が解決を近接させるでしょう。
デザイナーの資質にはどうしても学術性と芸術性が必要です。
これまでのデザインではどこか文科系のような印象でしたが、
私は理科系が必須だと考えています。
それを端的に集約しているのは、人間学の根本です。
確かに人間学部とか人間学科がありますが、
よくよく人間学を問い詰めてみるとそれは保健学に焦点化できました。
その保健学と防衛学を計画学で医工学と政経学の均衡上に配置しています。
防衛学は70年間戦争をしてこなかった敗戦国だけに、
こうした学術+芸術=学際に位置させることは日本では異質ですが、
戦争というよりテロ社会は
防災と防犯にデザインでの問題解決が不可欠です。
一方で価値学と信頼学がデザインに関与することで、
安全と安心が人間社会に確約されることになることは間違いありません。
私は長年、デザインは学術+芸術・文科系+理科系の学際化が、
物事・事物の「学際的デザイン」がデザイナーには求められていることを
ことばとかたちの相対論で40余年語ってきたと思っています。
コンシリエンスデザインによる学際性を看医工学に集中させました。
それは明らかにデザイン医工学が人間学としての保健学を基盤にして、
具体的には、「完全無菌」=アレルギー・アトピー・感染症を無菌化し、
人間が無菌になればなるほど弱体化することは間違いありません。
よって、その防御を「抗体保健」=免疫学へのデザインアプローチを
私は次世代デザイン=コンシリエンスデザインと看医工学で具体化します。
「KK塾」ではこの次世代デザインを方向付ける講師陣を選びぬきました。
この講座には招聘教授は現在2名を配置しています。


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『資本主義からの逃走』
  「民主主義と民衆主義を混乱混濁させるイノベーション」


   


     1月 2nd, 2010  Posted 8:00 AM

100102nenga

私の民主主義への疑念は、かねてよりありました。
民主主義の基本といわれる
● 「多数決の原則」
● 「合意形成の制御」
という二つによりかかっています。
けれども私には「多数決」にしても「合意性」にしても、
技術進化による「イノベーション」と、
資本蓄積の配分での「インフレーション」の結果です。
いずれも「社会生理」の反応が、
巨大に関与していることに、
注視する時代だということです。


INNOVATION・INFLATION


私は「イノベーション」と「インフレーション」が、
まさしく「資本主義」の基底キーワードだと思います。
したがって、
現代経済社会の「資本主義」と
現代世界観の「民主主義」は
根底で連鎖しているというこになります。


情報操作による人気という合意


そこで、「イノベーション」によって、
「社会生理」が大きく影響されたのは、
「情報認識」と「情報判断」による「情報評価」です。
その「情報操作」をするのは、コンピューター技術です。
とりわけ、コンピューターはインターネットにより、
マスコミ・ジャーナリズムその表現内容を変貌しました。
その表現内容は「感覚の分別性」を混乱混濁させました。
この混乱と混濁を利用して、
民主主義の多数決や合意性は、
確実に、「権力」で「操作」が可能なわけです。
結果として、民主主権ではなく、
大衆と民衆への「合意」ではなく「人気」が作用し、
民衆の多数意見を集中させる権力構造力になっています。
哀しいかな、日本の民主主義は確実に民衆主義の反映を、
民主主義の意思決定の「場」である
「議会制民主主義」に置き換えています。
日本人は、目覚めるべきです。
少なからず、「イノベーション」の選別の偏りそのままが
国民の分別力を失わせているというのが、私の判断です。
「民主主義」は、「人気の多数決での合意」でありません。


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