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Posts Tagged ‘難問解決’


「デザインの本質を政府に、そしてデザインを国会に」


   


     6月 29th, 2013  Posted 12:00 AM

今回どういうことか二日連続して、
衆議院議員・稲田朋美大臣(ふるさと福井選出)と、
参議院議員・藤巻幸夫氏(みんなの党選出)に会いました。
稲田大臣は、私の眼鏡フレーム(MP-704)をしてくれていました。
藤巻代議士も私の眼鏡フレームを数本選んで持っています。
眼鏡フレームをデザインしていて嬉しいことは、
フレームデザインは、その人のアイコン性を決定することです。
稲田朋美代議士は、まさに「クール・ジャパン」のトップであり、
藤巻議員も、国会で「デザイン」を真正面から語っています。
私は、昨年は、前政権の防災大臣にプレゼンもしました。
それ以来、この「国難」への想いは、
まず国民として、大学人として、さらにデザイナーとしての、
職能的な役割を最も保持し、そのデザイン計画を具現化すること。
これがひょっとすれば、私最期の日本人ならではの役目です。
だから、定年退官はしましたが、阪大の自分の研究室では、
「新たな国家ミッション」のプロジェクトリーダーでいます。
これまで、政治家の人たちも「グランドデザイン」とか、
「マニフェスト」という、本来はデザイン用語を使用しています。
それだけに、プロデザイナーとしてこうした言葉の本質的、
基本的な意味と意義と手法を知らせたいと思ってきました。
今回、二人の国会議員の方、一方は与党で一方は野党です。
だからこそ、デザインは「超党派」でまず理解認識を熱望です。
「3.11」という現実を、まさか自分の生涯で体験したわけです。
あの日以来、私は、さらに真剣な自分の残照を考えてきました。
それこそ、「デザインが難問解決の制度設計の感覚的認識」を
決定的にあたえるからこそ、「政治にデザイン」なのです。
日本だからこそのモノづくり、
国難だからこその危機管理、
すでに老年世代だからこその役割、
そんなことを、「実現できる国会政治にデザイン」を!、と、
私は心から熱望しています。
さらに幸いなことは、私には安全工学の第一人者がいとこです。
彼に会って、宇宙開発技術ゆえの安全工学技術を聞けます。
これだけ私の環境があるなら、「実行と実現」あるのみです。


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「TEDxOsakaUでも、ここから始めたその意味」


   


     10月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

大学人になってから、講演会ではイニシャル画面、
あるいはプロローグ画面は常に、北極海の白熊写真を使います。
今回も、やはり、この白熊写真で始めました。
地球環境が劣悪化しているシンボル写真としては
すでに10数年前の写真ですが、
私は、
この写真ほど地球環境を表しているものはないとすら考えてきました。
流氷の上の白熊は、自分がやがて死んでいくことを知らないと思います。
白熊ほど地球上で健康体で頑丈かつ獰猛な動物はいません。
リアルに流氷が溶けて溺れていく写真も相当に見かけるようになりました。
流氷の上の白熊=日本列島の上の日本人=地球上の人間を見事に
象徴化しています。
この写真を使い始めた頃、
まさか私たち日本人が日本列島の上で「死」を実感させられ、
大震災・大津波で大勢の同胞を失いました。
けれども確実に断言できることは、
私たちはまだまだ知恵を絞れば
「生きのびること」が可能だと確信しています。
決して、アポリア=難問解決不可能では無いということです。
昨日というか、今、TEDxを終えてこのブログに向かっています。
大阪大学を代表する教授の方々に登壇していただきました。
第一外科・澤教授は心臓移植から再生医療としての心臓外科医。
医療新科学分野として「鬱病」治療の第一人者石蔵先生。
石黒教授はヒューマノイドロボット学者で世界から尊敬される一人。
河田教授はミスター阪大と呼ばれるフォトニクスの起業家であり、
私を阪大に招いていただきました。
わが研究室からは
金谷先生からの新しいオープン・ソース・ソフトウェアのプレゼン、
そして、私は「までい-Project」の下敷きになっている
PKDの進行状況を報告しました。
私にとっては、TEDxOsakaU、すべての企画から運営、
そしてそのデザインに研究室全体が一丸となって取り組んでくれたことや、
教え子たちからの支援が大きくあったことが最大の収穫でした。
もっとも、私は相変わらず、「バカヤロウ」を叫んでばかりいました。
そんな教育方法もそろそろ終焉です。
私もこの白熊状況にあることは明確に自覚認識しています。


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「『危機管理デザイン賞』創設のねらい」


   


     8月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

建築家が最も忌まわしき存在としているモノ、
その一つが「消火器」です。
しかし、これは公共的な場・建築には
必ず「見える場所」に配置されていなければなりません。
壁をくり抜いてオシャレな収納をやり過ぎると、
消防署から注意が入りやり直しとなります。
「消火器」は絶対必需品ですが、
徹底したデザインでの優れたモノはほとんど見かけません。
また、見慣れない消火器だったら、
いざ、という時に使えないかもしれません。
また「消火器販売を装った詐欺商法」もあります。
すぐれたデザイン開発が必要なモノであり日本が創るモノです。
この消火器を事例としても、
「いざ」という危機に対する万全体制づくりは現代問題になっています。
危機というのは、「いざ」とか、「まさか」の事態です。
私たち日本人は、
3.11で自然災害と原発事故で「想定外」を思い知らされました。
私自身、1000年に一度を、
わが人生でここまで思い知ることは「想定外」でした。
つくづく思うのです。
父は20世紀最後に逝きました。21世紀を見ていません。
もし、父が生きていたら、
彼なりに必死で「行学を祖国に尽くした」と思います。
1000年に一度をこれだけ経験したならば、
とことん、「危機管理」にデザインで対峙します。
大学人になってから「公共ネットワーク機構理事」職でもあり、
デザインの専門家として、
「危機管理対策」を提言する立場にありました。
「危機管理学」という学術的領域もありますが、
まだまだこの学域の存在も知られていません。
「危機とは、大変なことになるかもしれない危うい場合を、
危険な状態」というシンプルな定義があります。
ところが現代は、自然災害、人的災害という大区分がさらに複雑化し、
しかも情報での危機意識は
情報操作という危険認識をも作動させています。
デザインは、危機問題の問題解決・難問解決を図る有効な手法であり、
理念形成での形式・形態・制度設計にもつながっています。
本日、「危機管理デザイン賞」
Risk Management Design Award=RiMDA賞創設を発表し、
危機管理産業分野、対テロ対策特殊装備、学校病院危機対策装備から、
警察消防特殊装備をmade in japan化して国際化する趣旨です。


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『資本主義からの逃走』
 「デザインは『付加』するものではないということ・5」


   


     7月 23rd, 2010  Posted 12:45 AM

付加価値論への議論意志
私はデザイナーとして、
「デザイン価値」は「付加価値」ではないことを、
経験上から様々な角度から述べています。
そして、デザイン価値は「全体価値」という結論を今後も変えることはないでしょう。
しかし、デザインはやはり「付加価値」と断言する人を、
批判も非難もしようとは思っていません。
まして揶揄したり排撃する志はまったくありません。
ただし、議論をする意志は明快に持っています。
その理由は、
人間は様々な「価値観」・「価値感」を持ち合っていることまでを否定するようでは、
自分本来の志としての美学性を失うことになるでしょう。
そして、あらためて私の役割は、
「デザインは付加価値ではありえず、全体価値」ということを
実作・製品・商品・デザイン運動で証明していくことです。
「ことば」と「かたち」の相対性を発言していきます。
前回は、人間とモノの関係=近さという距離性と距離感について記しました。
それをさらに、深めておきたいと考えます。
近さ・隔たりは、次の言葉が距離構造の術語として上げられます。

● 近接=nearby
● 近似=approximation
● 近傍=neighborhood

こうした言葉が術語化される領域は、文学から数学までに及びます。
したがって、それぞれの学問領域で術語意味を確認しなければならないでしょう。
たとえば、「近似」=approxiationは数学術語ですが、
これが文学としては、島村抱月の戯曲術語として残っています。
演劇用語であることは意外と知られていません。
むしろ、数学での近似値・近似式・近似計算の方がなじみがあるでしょう。
私はこうした術語定義は、
レトリックやアナロジー、あるいはメタファーとして、
デザインによる造形論理への展開ができると思っています。
それが、私が「ことば」と「かたち」・対・「かたち」と「ことば」、
この相補的でかつ相対的な論理性であり、
この論理無き造形感覚には、
「全体価値」、すなわち、「問題解決」と「難問解決」、
これらの応答・回答・解答成果=デザイン価値は創出されないと確信しています。


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『資本主義からの逃走』
  「デザインは『付加』するものではないということ・2」


   


     7月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

デザインは応用芸術ではない
デザインという職能効果は、バウハウス時代に様々なアプローチがあり、
建築や芸術との学際性に位置づけられていました。
その後、米国の大量生産と大量消費に結びつきました。
デザインが「付加価値」というのを招き入れたとするなら、この時代です。
「デザインは外観づくりの応用芸術」と見なされた過去があったことです。
以前、「デザイン講座」的なTV番組の中ですら、デザイン評論家が、
「商品の外観は、付加価値」的な発言を講義していました。
それは、当時の経済評論家たちも追随する風潮であり、それが歴史的な誤謬だと、
私は考えており、デザイン界の一部には容認できない内容でした。
当時、デザイナー仲間で、哲学者N先生の元にて理論構築をしたことがあります。
デザインの本質的な役割に、「問題解決」・「難問解決」と結論を持ち合いました。
私も参加し、議論させてもらっていましたが、
その時には、すでに私は「タケフナイフビレッジ」を「越前打刃物産地」に実現していました。
「タケフナイフビレッジ」に掲げたテーマは、
「私たちは美しい切れ味を鍛えています」ということでした。
これは、明白に、伝統技・産地活性と存続・刃物の未来性でした。
そして、問題解決は、三つの方向で見いだしていました。
それは「モデル化」です。
● 伝統技の現代的な技術進化・伝統技の徹底的な分析
● 素材開発から市場流通のデザイン主導
● 産地の未来像を時系列的にデザイン計画
この三つの「モデル化」は、そのまま「デザイン価値」が産業化されていない、他の地場産業、
中小企業、さらには「付加価値という誤解がまかり通っている大企業」にまで、
展開することができると私は確信しました。
特に、テクニックからエンジニアリングにするためのテクノロジーは、
デザインが持ち込むことができる。
産地存在の広報広告には、ブランドの確立から、
産地アイデンティフィケーションの確立が必然であるということ。
「製品」から「商品」になるための「情報戦略」
こうしたことを統合化し、主導するのがデザインであり、
産地がただ産業化していると思い込んでいる「商品」は、
すでに現代的な「価値評価」が行われていないことを、
産地職人のみんなに伝えていくことでした。
最も、彼らが「商品価値」として認識してくれたことがあります。
それは「商品写真」でした。
「このカメラマンはダメダ」という会話を聞いた時です。
「このナイフのこことここの光り方が撮れきっていない」という評価に私は驚きました。
すでに、彼らにとって、デザインによって可能になったことは、
「付加された外観的なこと」ではなかったわけです。
ユーザーに「製品価値」が消費する「商品価値」となるためには、
産地存在から製品までを「全体価値」にしていくデザイン、
それが不可欠になっているという認識でした。
そこで、私がその「全体価値」を「物語」と言って彼らに伝えていました。


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『資本主義からの逃走』
 「解にある三つの手続き=問題解決の三段階」


   


     3月 11th, 2010  Posted 1:46 AM


「解」という文字も素晴らしくわかりやすい漢字です。
角があるウシに刃物ですから、
そのまま、ウシという対象物を刃物で「解体」する、
と考えていいでしょう。
解体・分解・解剖
だから「対象物」を「解体・分解・解剖」する。
これを第一段階とします。
そうすると、
今度は、「解体や分解や解剖してみたモノやコトを」、
「解釈・解説し、理解」しなければなりません。
これが第二段階です。
解釈・解説・理解
そうして、解釈することができる。解説することができる。
こうしたことは、第一段階でのモノ・コトを、
理解しないと出来ないことです。
そうして、理解しているから解釈もできる・解説もできる、
ということにつながります。
解放
この第一段階・第二段階で、やっと「解放」されるのです。
つまり、そうだったのか、「答が見つかってホッとした」。
この問題から解放された。
それこそ、「問題解決」あるいは「難問解決」からの解放です。
これが、「問題」ー「解答」です。
これまで、
「話題」ー「応答」
「課題」ー「回答」
ということから、真に、デザイン解決というのは、
「問題解決」での「デザイン解答」であるべきなのです。
問題ー解答
ProblemーSolution
Design Problem—Design Solution
これに至るのは、
「解」と言う文字に潜んでいる三段階だと私は確信しています。


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『資本主義からの逃走』
 「応答や回答は、デザイン解に至らずか・・・」


   


     3月 10th, 2010  Posted 1:15 AM


私は「答」という文字は実に完成された文字・漢字だと思います。
「箱」という文字にも竹冠があります。
この竹冠は、まさしく竹という素材でできた蓋だそうです。
だから箱というのは蓋があって対象物が入っている容器です。
となれば、竹で出来た、多分編まれた蓋がピッタし合うこと、
これが「答」ということになります。
私は、「答が違う」というのは、蓋がうまく合っていない、
そういうことになるんだと思います。
話題ー応答
そこで、「話題=Topics」に対して「応答=Reply」があり、
「課題=Question」に対して「回答=Answer」があるわけです。
そこで学校の勉強は、Q&Aに過ぎません。
セールスマンもQ&Aのマニュアルをもたされます。
さて、話題ー応答というのは会話に他なりません。
ただし、これはリアルな会話であり、Twitterでの会話は、
別次元です。デジタル時代のchatやE-mailは、
応答が、Face to Faceとは大きく異なってきました。
「会話」=パロールという事態は情報コミュニケーションで、
大きく変貌してしまったのです。
課題ー回答
これは、教育現場での「会話」による「課題ー回答」の質も
変容させています。
したがって、デザイン解決は「話題ー応答」でもなければ、
「課題ー回答」でも無いことが求められています。
前回私は「回答」という二重性には強度があると述べました。
それは、商品のコンセプトが、
「話題性」になるというのは「応答」しているだけです。
「課題性」への「回答」商品も、本質的価値は持たないのです。
核心は、「問題解決」・「難問解決」です。
デザイン解決
問題=problemー解答=solution
それは、真に「問題=problem」に「解答=solution」です。
これこそ、デザイン解決、
すなわち、デザイン問題に対してのデザイン解答です。
これこそ、「デザイン」に最も突きつけられている、
デザインソルーションが出来たかどうかと言うことでしょう。


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『資本主義からの逃走』
  「Made in Japanの復権は、売国奴たちの追放である」


   


     12月 26th, 2009  Posted 8:06 PM

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日本の資本主義は、先進国家群の中では特殊です。
資本論での批判の対象になるような形式ではありません。
だから、
その形式には内容も、それこそ、G6/G7とは異質でした。
その「異質性」は、大きな賛同や賛美を受けたり、
あるいは、
その「異質性」が、バッシングされてきました。
賛美に酔うこと無かれ、バッシングには反撃を!
というのが私の思考と実践=行学です。
したがって、
私が、「資本主義からの逃走」とアジテートしているのは、

逃走闘争

●「逃走」=「闘争」であり、
「どこに逃げ込んで保全さを確保するか」ということです。
そこで、まず私が忌み嫌うこと、特に経済界や政界で、
あきらかに「異質性」を担保としてきた日本、
その「日本なりのイデオロギーとしての資本主義」を
まったく、欧米化させようとしたり、
欧米に追随したり、
やはりこれからは、アジア・中国だ、韓国だ、と
言い出している輩たちを喧嘩相手に選ばなければなりません。
私の表現は直線で明確に「売国奴たち」を討伐することです。

今、政権交代での「静かであってほしい革命」も、
やや「社会主義的、時に共産主義的なムード」を散見。
となれば、
そうしたことに荷担している連中は、売国奴でしょう。

●ソビエトの崩壊とベルリンの壁が
 証明したイデオロギーの消滅。
 溶けたと言われるイデオロギーはジメジメしています。
●ベトナム戦争からポルポト政権の壊滅、天安門事件での
 現在アジアの発展とその裏側の変遷史。
●未だアフガンに連綿としている宗教戦争。
 決して巻き込まれない日本の平和思想観の維持です。

こうしたこと以上に、日本を追い込んでいる、
わが国の一部「自虐史観」ゆえの北朝鮮問題には、
やはり、「異質性」を暗黙に共有してきた日本が、
まさに分断されかかっていることを確認してしまいます。
私は、たかがデザイナーです。
まだまだ「デザイン」=「問題解決の理想手法」
デザイン」=「難問解決の理想主義イデオロギー」です。
すなわち、
されど「デザイナー」であり、「デザイン」です。
私は、「売国奴」を必殺・追放するためにこそ、
このアジテーション文を武器にしたいと考えています。
「売国奴」のリストアップデザインが不可欠です。
リストづくりを開始します。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義、その逃走の基本方程式」


   


     12月 1st, 2009  Posted 7:39 PM

デザイン」は、「問題解決の方法」だとこれまで、
ズッーと私は、一般に、学生に、企業に伝えてきました。
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それも「問題解決」でありしかも「難問解決」なのです。
その唯一の方法だとさえ確信しています。
ただし、宗教ではありません。奇跡は起こせません。
まして、科学・技術・芸術でもないのです。
科学と技術とを接着・融合させるたった一つの方法です。
ところで「科学技術」という日本語は大きな間違いです。
哲学者・中村雄二郎先生は、
「科学」は「分科学」の略語にすぎないと教えられました。
デザインの難問解決という論議から、
問題解決の簡潔な方程式を、
私はデザイン思考の基本と基準にしてきました。

つまり「問題」には、
  ●「話題」=Topics
  ●「課題」=Question
  ●「問題」=Problem
があります。

この解決は、
  ■  Topics – Reply
  ■  Question – Answer
  ■  Problem – Solution
ということまでが、本来の方程式=equationです。

この方程式は、デザインでは次の二つになります。
AlgorithmとProgramです。
そこで、「資本論」のために、
マルクス(数学に関する遺稿集)が、なぜ導関数を
エンゲルスに教えたのかがわかるはずです。
数学的思考は、応答と回答は、
「算数」や「数学」で学ぶことができます。
芸術も、応答的な作品と回答的な作品しかありません。
091201solution2
本来、「問題解決」・「難問解決」によって「解答」が
創出されるのです。
創出されるから、クリエィティブでなければいけません。
しかも「解答」は美しさが必要です。
私は、「逃走する方程式」はかくあるべきと考えています。
そして、デザインには、
「デザイン数理学」というAlgorithmとProgramが、
「分科学」として「技術」を支え、
造形言語によって美しさが創出されるのだと思います。
「資本主義から逃走できるデザイン」、
その時代を牽引できるデザイナーは限られているのは、
多分、「仕分けられた」才能でしょう。


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