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Posts Tagged ‘電子出版’


『雑誌付録の誤った感覚が拡大しているのだろう』


   


     2月 17th, 2017  Posted 12:00 AM



今や出版業界はその経済的状況は相当に悪化しています。
大好きないわゆる雑誌が廃刊に追い込まれています。
大きくは電子出版にてPadで持ち歩けることもあります。
デジタル化で文章や写真などを
本当に手軽に「見る」ことができる時代になりました。
街から「本屋」さんが消えていっています。
それでも印刷された書籍の魅力は
まだ私にはとても捨てられるものではありません。
しかし、私にとってもいつでも手軽さから、
iPadには300冊ほど持ち歩いています。
子どもの頃、雑誌の付録がとても楽しみでした。
最近では女性向けのファッション系雑誌には付録がついています。
しかし、このファッション系雑誌では男女問わずに、
バックやサイフまでの現物がそれなりの完成度で付録になっています。
時に本屋さんで、「今度の付録、かわいい」とかの声を聞くと、
その程度のバックやサイフに何を驚喜=狂気しているのだろうと思います。
よくよく見詰めてみると、確かに商品ぽい、仕上がりになっていますが、
この程度のモノでの評価を私はこのように見てしまうのです。
「本物を知らない」から「かわいい」とかの評価に紛れさせる付録付きという、
この程度の雑誌づくりなのかと思ってしまいます。
もちろん、私は高級ブランドと言われているファッション系のバックについても
「どこで、その皮革が採れ、染色は日本でなければ」とかで、
その高級店舗の店員さんを問い詰めてしまうことがあります。
つまり、こうした特にファッション系雑誌での付録が、
とても中途半端なモノづくりだと判定しているのです。
そういう意味では決してワイフには、こうした付録付きのファッション雑誌、
こうした雑誌購入購買は猛反対します。
それこそ海外の高級ブランドの製品であっても、
プロとして「これは認めることが絶対に出来ない」と購入反対をします。
結局こうした雑誌付録のモノ自体がモノ選択のセンスを壊したのです。
それは「かわいい」とかいう言葉に押し込んだ
低レベルな感覚を押しつけたのだと思っています。


* 『広報誌がまだジャーナリズムである』
* 「印刷の未来はまだ来ない・・・なぜだ」
* 『失われてしまっているジャーナリズムは雑誌に歴然』
* 「街から消えていく店舗だろうか・古書店」
* 「『松丸本舗主義』・松岡正剛へのアフェクション」


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『モバイルのヘッドホンアンプもここまできたか!』


   


     1月 18th, 2015  Posted 12:00 AM



正直、自分の趣味の話になると、結局、オーディオとか筆記具とか、
自分の嗜好性、その偏り方を確かめることができます。
しかし、もっと本格的な趣味性は危ないから書けません。
書こうとするものなら、ほとんど社会性を失うかも知れませんから。
だから、それは別個のwebか電子出版か、限定講演でもします。
さて、どれほどヘッドホンを試し、インナーも試してきたでしょう。
商品が届くとワイフに叱られますが、理由をつけています。
デザインのためとか、オーディオだけははずせないとかです。
そして、またこうしてブログアップしてしまいます。
この写真を見れば、おそらく現在これ以上の局部音場は無いはずです。
チャック・マンジョーネをこのヘッドホンで、
しかもスピーカーユニットメーカーだからこその音づくりです。
なぜ、彼の音楽でなければ分からないのか、
そのようなことはすっかりオーディオ雑誌から消えています。
理由は、それを書ける評論家が居なくなったからです。
メーカー機嫌取りのオーディオ雑誌ばかりになっているからです。
そんな時代ゆえ出版そのものがダメになってきているのです。
私が本格的にオーディオの世界に入った時は、
ヘッドホンとオープンリール2chデッキだけでした。
だから、音質はまず、局部音場で確認できると信じてきました。
ヘッドホンはプロとして最高のモノをデザインし、
そのための音場と人間工学的な設計デザインは熟知しています。
かってウォークマンから人はアウトドアで音楽を楽しむことを知り、
それがiPodでまた別次元の進化を見せてきましたが、
まだまだピュア・オーディオの世界には来ていませんでした。
ウォークマンの本当の裏側も書いてきました。
それだけにヘッドホンアンプも様々に自分の耳で確認してきました。
だからこの写真のアンプとヘッドホンと試聴音楽でわかるでしょう。
そして、次の段階に気づいてほしいと思っています。


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「書店の存亡・バーンズアンドノーブル」


   


     1月 8th, 2012  Posted 12:00 AM


電子出版と書店、この構造の進展は加速度的になっています。
とうとう米国でトップの大型書店経営が怪しくなってきました。
amazonの革新的なeコマースは、書籍だけでなく、
本当にもはや、デパートの存在も危うくさせています。
バーンズ・アンド・ノーブルには、
私は1週間通った経験があります。
学位審査での医学英語合格をなんとかしようと、
最適な参考書を選びにともかく渡米し通い方法を考えました。
手に入れたのは「Clinical Interview」系の医学書でした。
200ページから400ページの書籍3冊の中で、
ともかく一番薄い本を受験用にしたことがあります。
確かニューヨーク市内には4店舗あり専門分野毎の店舗でした。
医学書だけでなく、聴診器や医学臓器モデルも売っていました。
おしゃれな店舗もあって、いくらでも立ち読みもできれば、
店舗内にコーヒーショップもあり読書ができる空間でした。
電子出版というのは、なんともいまだに語感が慣れませんが、
私自身も「自炊」が当然になっていますし、
ほとんどamazonで書籍は手に入れています。
書店には大変に申し訳ないことですが、やっぱり便利です。
年末に京都寺町通りの大書店が無くなっていました。
これはとても大きなショックでした。
ああ、自分にも責任があるけれど・・・ごめんなさいです。
京都は学生が日本でも最大に多い街にも関わらず、
書店が無くなってしまったのです。
学生も書店・本屋通いはしないのでしょうか。
書店が街に残る手法は一つだけあるのではと思っています。
それはショップ構成と書籍のショーアップ戦略が必要でしょう。
デザイナーとしてプランは持っています。
バーンズ・アンド・ノーブルが電子ブックnookを商品展開始めた時、
私はこれでこの書店企業の終末が見えました。
まず、電子Book「nook」は全くデザイン的に何の魅力もありません。
単なるビューアーというプロダクトデザインというモノ、
その程度の経営意思決定力では競合勝負不可能です。
しかも、ダウンロード方式にも革新性はありませんでした。
つまり、21世紀に入って世界の構造が変革し始めています。
そして書籍という形式・形態、しかも
情報というコンテンツとコンテクストが変貌。
要は、今世紀、「情報」を核とした変貌や変革は、
世界構造をも変化させているのです。
「書店」は前世紀の街要素・知識情報の象徴になってしまったのです。
思い切った「書店形式」がデザイン的に必要です。
そして、電子Bookという安易なプロダクトデザインでは、
世界変革は困難どころか終焉に加速度を持たせてしまうということです。


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「資本主義からの逃走」
     「3D情報の錯視化によるメタメディアの起動」


   


     1月 25th, 2011  Posted 1:10 AM

3D情報の錯視
透視図法による現実描写。
この描写は、2次元平面に立体が存在。
そして、この描写は視覚的な錯覚を起こします。
代表的な図・絵画としてはエッシャー作品があります。
あたかも、立体ながら実際には有りようの無い世界観です。
もう一つは鏡像現象が立体的である時にも錯視が発生します。
私は、2006年・金沢21世紀現代美術館の個展で、
この鏡像現象を展示手法にしました。
床・天井・壁を鏡面とした空間にモノを展示すれば、
錯視によって、あたかも三階建ての吹き抜け空間が生まれます。
これは、設計段階では、単なる鏡像現象を狙っていましたが、
現実空間では、想像以上の錯視空間が生まれて、
鑑賞者に大きな驚愕をあたえることができました。
したがって、3D情報にはある意味では情報処理での、
錯視的な印象が起因するのではないだろうかという予感があります。
このやや危惧的な予感の反極には、
情報が3D化からnD化すれば、その情報質と高密度な感覚受容も期待できることも予想できます。
私は、錯視の運用によって、情報確認の直視=情報理解の深度化を最も期待するわけです。
そして、この期待感の中で、
情報の媒介となるこれまでのメディアそのものが変質するということです。
メタメディア・ホログラメディア
このメディアを、メタメディア、あるいはホログラメディアという名辞を考えています。
たとえば、6D-CADというのは、
3Dでの立体映像が、物質次元・時間次元・人員次元の設計変位によって変化します。
つまり、nD情報化のデザインは、
メタメディアもしくはホログラメディアそのものを発見し発明することだと考えます。
新たなメタメディア・デザイナーという職能が要請される時代、
そんな時代が眼前になってきているとさえ思っています。
電子出版という現状の流れのメディア変化というのは、
実は、メタメディアへ変貌しかかっているのでしょう。


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「資本主義からの逃走」
   「地デジ化を基本にしたデジタルインフラ化は急務」


   


     1月 23rd, 2011  Posted 12:00 AM

「国家的なデジタル情報化戦略」皆無
この7月には、TV放送は地デジになります。
地デジ化は明らかに政治的戦略のはずです。
政治的といっても、これは貧困な政策にすぎません。
産業的には家電産業の活性化であり、
大衆的に国民購買を強制しているにすぎません。
エコポイント制度も私には、
なんとなく戦後の配給制度(実体験はしていませんが)にしか思えません。
地デジに象徴された、「国家的なデジタル情報化戦略」が皆無だと観ています。
わが国は、TV放映も免許制度ですが、デジタル技術が電子出版によって出版界も、
放送免許制度も、レンタルビデオ商売もすべからく崩壊させていくことは明らかです。
インターネットですら、大きな変革が急激に起動する時代です。
たとえば、私は自分の大学講義はUST公開しています。
TwitterやFacebookというソーシャルメディアへの批判もありますが、
「情報」への欲望は、それこそマルクス的な所有感・使用感を超えています。
デジタル技術はすべからく一新
情報に対する、実名主義=Facebookや掲示板での匿名主義、
いづれも民主主義のある種の開放感や自由性は根本的基盤として人類が確立してきたことです。
この実名主義と匿名主義のバランスが
最も健全な情報化を構築することを文化化と知性化すべきでしょう。
発信された匿名性はほとんど崩壊が始まっていることを実体験しています。
少なからず、その具体例としてのWiFi化はインフラ整備しなければならなくなるはずです。
ケータイもスマートフォンをさらに超越した、
メタ・ケータイ=無料がデジタル国家情報戦略になるべきだと考えます。
その最も手短な地デジの具体例として、私は3D映像を認めています。
韓国では3D放送が開始されようとされている意味では、
日本の政治に「地デジ」の次戦略がありません。
私は、すべからく日常生活での「生活情報のデジタル化」は、
TVと車に集約させる技術開発支援・デジタルインフラ整備・エネルギー供給システム、
これらの政策的制度化は急務だと私は考えています。


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『資本主義からの逃走』
「イノベーションの錯乱作用」


   


     8月 15th, 2010  Posted 1:26 AM

「社会階級論」
コンピュータ、特にパソコンが登場した頃には、
「電脳」と中国風な呼び方がありました。
電子端末機やケータイ、今や、ガラケー(わが国の孤立している携帯電話)、
そして電子出版などは、イノベーションだろうか、となげかけつつ、
私は「イノベーションにあらず」と断言しています。
まずは、イノベーション=技術革新という日本の基本的な認識違いを指摘しています。
つまり、イノベーションを提示したシュンペンター・「社会階級論」1927年には、
次の裁決が予知されています。
「暫時的な経済には、
 社会主義的な管理体系の可能性が準備され、
 個人的な企業能力者の無用による
 ブルジョア階級の衰退が予想できる。
  そして、
 資本主義文明は崩壊する」

とまで予知断言されているのです。
1929年の大恐慌を、彼の予言はあまりにも見事に的中させました。
そして連綿とくすぶってきた資本主義文明の脆弱さは、
まさに現在の日本そのもののように思えるのです。
景気・価値・モノ・制度に対する「革新」が及ぼす錯乱作用の結果だと考えます。
資本主義文明は、「技術革新」の結果が電脳から電子出版へのあたかも進化だったと考えても、
この文明の結果は崩壊ということになります。
私はわが国自身がすでに崩壊していることに気づかず、
まだまだ資本主義そのものへの諦観が「逃走」と言い続けているのです。
無論、私は電脳が大好きであり、電脳による価値・制度・モノの革新は確信しています。
しかし、景気への錯乱作用はまったく資本主義至上主義者には予測不可能となっています。
ここが最大の問題であり、とりわけ、わが国はまず「政治的」な錯乱から逃走ができないのです。
私は電脳を花とすれば、道元の示唆に重なります。
愛着・棄嫌
『花(=電脳)愛着に散り、
草(=これが何かですが)棄嫌におふるのみなり』 だとさえ思っています。


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