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Posts Tagged ‘風潮’


4月22日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

4月22日 赤口(戊辰)

喧嘩が出来ない風潮がある。
理由は簡単である。

「喧嘩」をしないことで
「いい人」に思われたいらしい。

喧嘩も出来ない
そんな資質は、
隠花植物的な人品である。

川崎和男「喧嘩道」


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「喧嘩道には制度的なサンクションが作動する」


   


     9月 24th, 2013  Posted 12:33 AM

私は自称も「喧嘩師」となっています。
だから、すこぶる怖がられます。
結果、初めて出会うと「全然怖く無かったです」とか言われます。
喧嘩道は室町時代の武士道制度に当時規範が伝統的になりました。
喧嘩師には、現代流行で風潮の「倍返し」は全くありません。
刀を使わない喧嘩=口喧嘩=ディベート最良のサンクションです。
サンクションでマニフェストを論述したこともあります。
サンクションとは、制度的な賞罰を社会が自然決定する常識です。
常識に血は流れるはずもなく、賞罰・罪罰・顕彰での実力決定。
このところ、Nゲージにやたらに心惹かれて和やかな気分の私に、
盗作盗用でサンクションを資本主義的財力で制御する、
まるで仲良しクラブなら大丈夫の流行イベント、
その統括周囲の知性無き虚偽の実像を知りました。
負のサンクション裁量をすることにしました。
軍事拡大に蒸気機関車をナチス政権は「速度向上」をめざし、
一方では、赤十字が負傷者医療看護に蒸気機関車を創りました。
負のサンクションと正のサンクション。
私の趣味は、喧嘩道を明らかに支えているようです。
なぜなら、武士に刀はシンボルでしかなく、
それは正と負の決定をあくまでも厳正中立にも瞬間的な、
正と負のサンクションを明盛に決定づけることです。
私はこれを厳格な明解なる名辞的な大決定だと思っています。
せめて盗んではならない、盗んだもので過飾してはなりません。
しかし、風潮は、見て見ぬふりを温存し、
虚飾の中で自分を誤魔化す、そんな輩に厳格な少なからず、
「美」は創れるはずは無いのです。
美無くして、真も善も成し遂げることはできないでしょう。
M.ウェーバーで強化された資本主義偽善を容認だとするなら、
私は、この中核人物に「負のサンクション」を与えます。


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「『3D-Printer』・『3D-Printing』この風潮の大間違い」


   


     9月 7th, 2013  Posted 12:02 AM

Fablab・RepRap・Makersという米国の流行が、
その本質を見失ったままに、わが国では表面コピーされました。
結果、マスコミはこぞって「未来のモノづくりだ!」と騒ぎ、
廉価なプリンターが量販店でも発売されています。
わが国の代表的な大企業が、
3D-Printerで「金型も造れる」と言い出し、
低迷している国内企業の知ったかぶり代表が現場に指令です。
私は、「現在の3D-Printerで金型は全く不可能」と書きました。
企業現場の方々からお礼のメールを一杯いただきました。
あたかも自社企業の先進性を、3D-Printer導入話は全て嘘です。
まず、3D-Printerと3D-Printingの差異も明確にできていません。
そして、現在流行している米国の風潮は、
DIYに過ぎないモノづくりに終始しているに過ぎません。
この源であった、「光造形」・「Rapid Prototyping」も、
本来はわが国の発明でしたが、特許や当時には知財権など皆無。
だからこそ、何を造るからの3D-Printer自体の設計が必要です。
3D-Printingというモノづくりの新たな技術実務が問題です。
私は、日本から欧米に対して、デザイン主導の3D-Printer開発と、
3D-Printingの新技術がこのデザインに必要を訴求します。
現段階の日本の最も駄目な発想は、
3D-Printerという「パンドラの箱」という考え方です。
米国が拳銃まで造れてしまうというような発想自体が間違いです。
18世紀の武器を造る装置程度の低レベルさを疑うべきです。
日本の真のモノづくりを実現させるには、
私自身、「光造形システムと3D-CAD」で試行してきました。
結論は、この画像=トポロジーボトルを
3D-Printingで実現しましたが、これは技術だったからです。
大阪大学で3D-Printingのコンファレンスをしました。
私は、その時、登壇してもらった講演者に真偽を確認し、
それから日本のどのような産業に持ち込むかを決定企画しました。
来10月から、この3D-Printingデザイン講座を開設します。


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「正しい進化は、わが国が主導する!」


   


     7月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

本日、阪大で「3D-PRINTING」の講演会をします。
私は阪大出身の若手エンジニアリングデザイナーから依頼。
阪大出身者であり、「次世代を開花する」職能は応援します。
そして、ほとんど大疑問だった「3D-PRINTING」ですから、
光造形・ラピッドプロトタイピングから3Dを始めた私には、
「MAKERS」を読んだときに実務経験無しを全否定してました。
案の上、米国での大統領の表明から大流行には真偽不確でした。
そのまま日本もこのブームにこそ、
いわゆるベンチャー企業はこれだという風潮が起こりました。
家庭用・業務用・工業用・研究用が全てを包含したブームゆえ、
とうとう、わが国の大企業が「金型まで可能ゆえ云々」とは、
これは日本の知性の浅薄さを露呈してしまうと直感しました。
まず、ベンチャーと言って進歩した企業は限定されています。
しかも、国内の大企業、その経営者にデザイン理念がありません。
だからこそ、ベンチャーに期待をかけますから、
「誤解が蓄積」すればするほど、
いわゆる「3D-PRINTINGのイノベーション」情報は錯乱します。
そこで、阪大では3人の教授たちは「教示の姿勢」で、
このイベントを引き受けた次第です。
まず、断っておきます。
私が大学人になって掲げてきた三つの革命は当たっています。
         ●光重合革命
         ●遺伝子革命
         ●電磁波革命
この全てが「3D-PRINTING」に適合しています。
だから、「3D-PRINTING」の時代は必ず来るでしょう。
だからといって、
3D-PRINTERはインクジェット方式だけではありません。
大事なことは私が光造形システムで試行してきたことの欠落です。
それは、「何を進化させるか」です。
あたかも、これまでの進化ではなくて突然変異を起こすことです。
本日、私は専門家チームも来阪してもらいました。
「3D-PRINTING」の技術とデザインは阪大が中核になります。


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「誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決」


   


     2月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

60歳還暦から徐々に自分の「命」を考え始めました。
多分、亡父もそうだったのだろうと想像します。
64歳になって阪大も退官となると、
自分の「命とデザイン職能」を随分と考えるようになりました。
まだまだ語り尽くさなければならない「デザイン」があります。
そういう意味では、私は大変に幸運でした。
なぜなら、日本の工業デザイン、
その出発点を際立たせた製品を選びぬくと「五つの製品」があります。
画面の製品すべてがその代表作だと言えるでしょう。
この五つの製品が「日本のデザイン」を決定づけてきたものと考えます。
そして、この五つの製品それぞれのデザイナーは、
全ての人が私のデザイン・デザイナーとしての師匠たちです。
醤油ビンは栄久庵先生、毎日デザイン賞で推薦文をいただき、
いくつかのデザイン講演をご一緒しました。
電気釜は、東芝時代の部長・岩田先生であり、いつも私は怒鳴られれば
喧嘩を望みながらもかわいがっていただきました。
柳先生のバタフライスツールは
美大時代・東芝時代・フリーランスになっても先生でした。
平野先生のファイルシステムは今もなお超ロング製品であり、
19歳から徹底的にデザイン発想・表現・伝達を鍛えられて、
今でも先生には阪大退官での最終講義にも来ていただけます。
スバルデザインの佐々木先生には、美大時代の非常勤先生であり、
一時の日本デザイン界トップはすべてが先生の弟子たちでした。
この5人の先生方と会話し、
デザイナーとしては、沢山の先生方に教わってこそ、
現在の私が「生きぬいていく」ことになりました。
阪大退官を目前にして、
「伝え残していること」が沢山あることになっています。
幸いにも私は、日本のデザイン界スタートの代表作とともに、
そのデザイナー先輩全てに教わることができました。
そして、全ての先生方から教わったのは、
「デザインといえば意匠=かたち造形の専門家」という
意識や風潮や認識ではなかったことです。
常に、哲学であり、理念であり、思考結果の意匠であっても、
「根本は問題解決の実務」そのものだったことです。
私は、デザイン=機能とは決して思っていません。
デザインは問題解決に造形が寄り添い、
性能・効能・機能の造形言語と、
形態言語の表現性と意味性だということです。
結局、日本人として、デザイナー命として、
モノのわび・さび・幽玄まで、
問題解決の「言語化」ができるかだと思い続けています。


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「商店街・地下街は壊れていくのかもしれない」


   


     9月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

大阪に来て以来、京都の地下街は私の遊び場になっています。
しかし、日本全国、地方の商店街、そして地下街も,
年々、その活性度を失ってきていると思います。
この京都の地下街は、来る度に商店の入れ替わりが多く、
大きな店舗である書店や洋品店などは縮小されていくのがよく分かります。
私は、フリーランスになって地方のデザイナーとして活動をしてきました。
だから、当時から地方都市と大都市比較を様々に調べてきました。
当時、大都市の条件を決めていたことがあります。
地下鉄があること、
地下街があること、
そして、著名なチェーン店舗があることや
競合しあうデパートがいくつかあることでした。
そこで、地方の商店街も
それなりの「地方色や伝統性」などの存在価値観の有無、
これはかなり重要な要因でした。
そんな大都市の商店街・地下街と
地方の商店街はすでに同等に寂れ始めていると言っていいでしょう。
これはデパートの存在価値が失われてきていることとも連鎖しています。
結局は、ようやく21世紀でのすべての街存在のパラダイムが
大変革し始めていると考えるべきでしょう。
大阪も最近は、デパートの新築や新たな駅前開発がありますが、
私は未来性を見通していないことを残念に思って見ています。
さて、先月、この京都地下街はいくつかの店舗が改装中でした。
今回新装開店されていたのは、
100円ショップやマッサージ店やネイルサロンなどでしたが、
大きなアクセサリーショップなどは店仕舞いされていました。
社会風潮がそのまま地下街に反映しています。
京都は観光都市ですが、
その観点からは金沢の地下街のような「京都らしさ」は皆無です。
地下街には絶対に店舗を構えないというブランド店舗があることは、
ある種のブランド・アイデンティティ・デザインポリシーです。
それでも、
この地下街から寺町通りへの観光プロセスが全く思慮されていません。
そして、今、最も恐れることは、
地下街にまでおよぶかもしれない天災への
防災対策デザインがあってほしいということです。
商店街・地下街は今世紀には大変革してしまうことを想像しています。


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「扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている」


   


     5月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

以前、ファンの方から私の著作を絵柄にした扇子をいただきました。
それも京都の老舗、「宮脇賣扇庵」の物でした。
この「宮脇賣扇庵」で様々の扇子を見ていて、また発見しました。
自然描写で特にまた葉っぱの写実性が崩れているものが多少ありました。
私はこの「扇絵」という日本の伝統的なキャンバスには憧れがあります。
そこで、展示してある「正確」なものと駄目なものを見分けていました。
大声で「あれ、間違っている」と言ってワイフに叱られました。
「また大きな声で、駄目でしょ」って。
「間違いは指摘しておくべきだ」と。
お店の方と話をしたら、その通りです、との回答をいただきました。
時折、プロの日本画家、日本画画材でないと扇制作は不可能、
膠が扇制作では大きく影響しますが、
日本画家の先生でも間違いが多くなってきている、とのことでした。
このところ陶磁器での自然写実とデフォルメも間違いが余りにも当然です。
いづれ、私も「扇子」を特注して作品化したいと考えていますから、
「宮脇賣扇庵」さんには
徹底して「絵の制作での注意点」を講義していただきました。
「扇子」はまさに日本の発明品です。
本来ウチワ的な風をしかける調度品は
エジプトから中国と世界的にありますが、
「折りたたみ」=foldingの形態にしたのは、
まさに「日本らしさ」であり、
「携帯性」と「凝縮性」は、日本のモノづくりを端的に表しています。
要は(この漢字も扇子の部品名にあり)
いわゆるfolding ・mobileは
デザインの一つの造形のあり方だと思っています。
しかし、こうしたモノが文房具には大変に多くて感心しますが、
家電やその他の機器にはまったく欠落してきている風潮が
増加しているように思えてなりません。
文房具のダウンサイジング(凝縮性)・ミニチュア化・折りたたみ性は、
多分日本は最高に進化を遂げています。
にもかかわらず、機器設計において、
このモノづくり精神性は壊れてしまったのかもしれません。
その象徴が、自然写実でのデフォルメであっても基本を崩していることは、
日本の伝統文化を壊しているものと指摘しておきたいと思います。
デザインの世界から、さらに新たな表現領域への興味は強まっています。
もちろん、デザイン本来での、「補助人工心臓」や「透析医療器」などの
ダウンサイジングは、今、一番追いかけているテーマです。

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2月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 17th, 2012  Posted 10:00 AM

2月17日 友引(戊申)

残念ながら日本には全般的に、
「わがまま」であっては
ならないという風潮がある。

しかしそれは、
プレゼンテーションの基本を
根本からくずしているのだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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「月食、それは風化させてはならない啓示です」


   


     12月 12th, 2011  Posted 12:00 AM

昨日2011年12月10日夜、皆既月食でした。
20代後半に車椅子となった私は、
仏教書と易経にのめり込んでいました。
そして当時、「流行通信」というファッション誌で、
始めて連載を書き始めたのです。
音楽と音響機器というテーマでしたが、
二回目には「修景論」をまとめました。
風景の要因には、日食・月食・彗星・雷雨暴風、
この四つが易経では大きな天地異変の変動、
その結論が述べられています。
易経を単純に「占い」とみなしている風潮は、
明らかに熟慮不足だと認識すべきでしょう。
そして風景は風と景気を根本で支えている東洋の智恵です。
日本風とか、和風、修景としての光景と風景と情景を
明確に定義づけています。
だから、景観は景気を動かします。
景気の善し悪しは、例えば不景気、
それは「気」=きもちを落とし込み=鬱病と重なるわけです。
月食は天変異変を歴史にもたらしてきました。
3.11は今なお、私たちを解放すること無く、
哀しみと悲しみを残しています。
12月9日、死者15841人であり、行方不明者は、
未だに3493人という哀しみをぬぐい去ることは不可能です。
月食が天変異変を知らせているとするなら、
私たちには「祈り」しかありません。
そして、絶望してはならないのです。
その基本として私たちは3.11のあの光景を語り継ぐのです。
つまり、人間には忘却するという精神的解放がありますが、
それを「風化」と呼んではならないのです。
私たちに吹いてくる「風」は、微風から暴風まであります。
あらためて修景、そして「風景」によって、
やがて生と死の光景に入っていく生命、
その意義を見つめなおすべきでしょう。
「風が吹いている場」は空なる間、空間ということになります。
空間に「風流」を求めるとき、私たちは解放されるのでしょう。

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「大阪は革新都市になりうるだろうか」


   


     11月 29th, 2011  Posted 12:00 AM

「革新」とは原意、刃物で切り裂くことです。
「革」は獣の皮をピーンと張った象形であり、
「新」とは斧があるように、樹木を切った切り口。
いづれも、緊張感と切り口から新芽が出るさまを
見事に表しています。
大阪都構想を掲げた大阪府と大阪市の闘争は、
民主主義にて選挙戦になりました。
大阪都を形成しようとする元知事と現市長の闘争でした。
私は大阪府・大阪市いづれも府民も市民も公務員も、
本当に関西弁の重要な言い回しを失っていると、
在住しながらその思いに悶々としてきました。
「好きでっか」・「儲かりまっか」・「ホンマでっか」、
この言葉だけが価値観になってしまった風俗は、
偽装し、悪事に平然とする風土になってしまったのです。
つまり、「好き嫌い」・「損得勘定」・「嘘・本当」だけの価値観。
かつての関西独自の高度な人情味あふれた「正義感」、
その言葉「よろしゅうおましたな」という
判断を喪失してしまったのです。
生活保護の不正受け取り、ひき逃げや軽犯罪の多発、
こんな生活環境の中では、損得勘定だけの街でした。
私は18歳の時、一年間大阪で浪人生活を、
人情味あふれる天王寺阿倍野界隈で過ごしたことがありますが、
その時の人情味は消え失せ、損得勘定では、
「ぼったくり取引を平然とする」ことに呆れました。
したがって、根本的な解決イコール「革新」を期待せざるをえません。
正直、市長に革新の意気込みは感じること適わず、
されど若き府知事の言動には、
憤り任せだけではとの心配もあります。
しかし、今、この大阪に憤りからの革新があれば、
何かが変わるかもしれません。
ところが、元府知事の出自を激しく罵る風潮が、
選挙戦での嫌らしさこそ、大阪の汚濁の象徴になりました。
これは教育委員会はじめ行政の奢りが明確であり、彼らが独裁でした。
大阪の行政組織の大きな抵抗が現在の日本を示しているでしょう。
結果、府知事が市長となりました。
投票所の入り口には元府知事を支援する若者が静かに立ち並んでいました。
「若さ」は無茶を選びがちですが、それはまさに、
「革」をピーンと張り、樹木に斧を振るうがごとき情景です。
これこそ「革新」の具体的景観であってほしいと願っています。
40年ぶりのダブル選挙であり投票率は60%以上に到達しました。
大阪市民府民の革新への期待の大きさが表れています。
新知事と新市長に大阪の「革新」、
それは日本を革新することにつながってほしいと願うばかりです。
今回の選挙結果は、日本の将来への不安を希望にしたい結果でした。

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