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Posts Tagged ‘駅’


「自宅近くに・・・桜と大阪城に」


   


     4月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

私の自宅は大阪市内の中央区にあります。
中央区というだけあって、
公共的な施設がいっぱいある・・・ようです。
なにしろ、大阪に来て8年目ですが、
ほとんど阪大の吹田キャンパスや阪大中之島センターや、
ホテルのレストラン、駅といっても新大阪、伊丹空港だけです。
名古屋時代もそれほどよく知りません。
ただ、大阪は18歳の時にある予備校国公立医進コースで、
結構受験勉強をしていましたから、
天王寺、阿倍野筋や大阪での危険地帯から
梅田界隈や心斎橋などは当時はよく知っていました。
だから、自分が知っている場所に行きたいと思いつつ、
まだ行ったことが無い状況です。
自宅から車で数分の大阪府警察本部に行ってきました。
以前から、この建築はまさに威厳ある建物と思っていましたが、
近寄ってもほとんどそのいわば威厳ある威嚇性はありませんでした。
阪大の工学研究科長、副研究科長はじめこれから私が手掛けていく
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」開設の表敬訪問でした。
建築の全体像は、本部内の広報室、これも質素でしたが、
昔のハーレーのサイドカーがあり
白バイや機動隊員のユニフォームをじっくり見ました。
ワイフのおどけ写真を訪問記念に撮りました。
大阪府警本部長自身が、公共政策の危機管理学を
慶応大学総合政策学部で2年教えておられたので、
その時の講義内容や学生の受講態度、
そして、講義内容の立派なパンフレットを拝見しました。
今回は表敬訪問だったのですが、
彼の時間に合わせて、「寄附講座開設の記念講演」を企画しています。
さて、建物の異様さは警察権力を表現していましたが、
周囲には大阪城と桜が晴天で美しい景観でした。
けれど警察庁のインテリアに比較すると実に質素でシンプルでした。
私がプロジェクト・リーダーになる領域では、
「防犯防災」や「救急救護」での警察権力の警備から防犯・救護、
そして新たな警察装備や装置へのプロダクトデザインをめざします。


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「新幹線ホームのエレベーターは再デザイン必要」


   


     11月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

車椅子になって、まず不便極まりなかったのが鉄道でした。
ある政治家秘書の方と陳情に行ったことがあります。
その後、扇千景大臣が視察して3年後に、
新幹線ホームにエレベーターが設置されました。
だから、車椅子の者にとっては結構便利になりましたが、
これからの高齢社会を考えると、
駅ホームとエレベーターの設置数はもっと増加させるべきでしょう。
しかも、日本人マナーはすこぶる悪くて、
障害者も妊婦も優先されるわけどころか、
階段を使うより楽だから、
平然とエレベーター利用者は数多いと言っていいでしょう。
ガラスで封じ込められたユニット的機器としてのエレベーター、
そのデザインは、醜悪な形態言語になっています。
そして、エレベーター機構技術が
進化しているとは言い難いと私は思っています。
透明で機構や実装構造が見えるというのは、
それなりの技術成果かもしれませんが、
機構整理されたデザインにまで完成度はありません。
まず、地震になれば、エレベーターは停止させなければなりません。
駅構内やホームが火事ということはほとんどありえないでしょうが、
火事には使用不可能となる機器システムです。
私は、まず、公衆が利用・使用し、
駅が所有するエレベーターの「記号性」を問い直しておきたいと思います。
この透明化された機器システムが「意味していること」と、
「意味されている」存在性を再考すべきだと提案しておきます。
それは、公的なモノである性能性・機能性・効能性、
こうした「意味作用」が
エレベーターの造形言語は何であっただろうかということです。
おそらく、この造形言語を追い求めれば、
新たなエレベーター技術を進化させる革新的な発想を
造形言語の意図からうながすことが出来ると確信している次第です。


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「乗り換え駅、これは人生のある象徴かもしれない」


   


     7月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

「駅」は不思議かつ重大な場所だと思います。
そして人生には、人それぞれが人生でのいくつかの「駅」を持っています。
それも「乗り換え駅」でしかないけれども、
それなりに、人生の結節点になっている場としての「駅」があるものです。
私にとって、
もう二度と立ち寄ることが出来ない駅の一つが「米原駅」です。
思いがけなくこだま700系、各駅停車に乗ったら、米原駅に停車しました。
この駅は、福井から東京や大阪に出るときには、
北陸線から東海道線や新幹線に乗り換える駅です。
大阪での浪人時代も、ここから北陸に帰りました。
だからこの駅前に2~3回は降りたことがあります。
冬、もう北陸線が無くて駅で一晩始発列車を待ったこともあります。
もう40余年ほど前ですから、
駅前にはパチンコ店が2件程度の小さな駅前でした。
それこそ「新横浜」に就職で上京したとき、
「えっ、ここから私の人生が始まる・・・なぜ・・」って思うほど、
ほとんど荒れ地に鉄条網があった時代です。
現在の「新横浜」などは、
これが時代変化なんだと思うほど大きな駅、駅前になっています。
きっと、米原駅前も相当に変わっていると思います。
米原駅は、車いすになったときには、
あぁ、あの駅に行くことはもう無いなーと思いました。
なぜなら、新幹線から北陸線には長くて急な階段があったからです。
今はどうなっているのでしょうか。
人は、「駅」がいくつかあるものです。
さらに、「乗り継ぎ駅」、決して駅前に出ることはない「駅」もあります。
だから、そのまま、人生にも出発点や到着点のごとき「駅」がありますが、
「乗り換え駅」のような人生の結節点であり、
その結節点の光景・風景・情景を、
知らず仕舞いの「駅」もあると思っています。


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