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Posts Tagged ‘高校時代’


「2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない」


   


     12月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

私は基本的に、予定調和論などは信じません。
しかし、統計的な崩壊の予測は
それなりの実感が重なればそうかもしれない、と思います。
私自身、大学に関わってきました。
大学人になって17年、名古屋市立大学と大阪大学でその立場になりました。
それ以前は、
母校やその他の大学で非常勤講師や客員教授を務めてきました。
幸いなことは、どの大学にしろ、
それなりの能力評価を受けて入学してきた学生ゆえに、
基本学力的なことではまったく心配はしませんでした。
しかし、精神的なことや高校時代までには知識というより、
常識的なことを知る学生は年々減少、
若者能力が低下していることは否めません。
そして、大変な教授の苦労は学生たちの就職問題です。
その時期、その時代の経済的な動向を就活ではまともに受けていることや、
企業の人事採用にあきれることも随分とありました。
日本の企業力の低下傾向やサラリーマン社会となっている
大企業の実態を知ることで、
わが国の国力の低下を直視することが数多くありました。
さて、問題はもう「少子化」影響が明確に現れてきています。
今年は、大学就学生が180万人だったと聞きます。
ところが、2018年には108万人となると、
特に私立大学の倒産が一挙に起こるという予測があります。
もっとも、大学レベルの設定が、私にはよくわからない偏差値で、
偏差値40というのは、高卒能力すら備わっていないはずですが、
大学への就学希望は年々高まっていて、
そのランクの大学48%は、学生が集まらないだろうとさえ言われています。
今、小中学校の一学年が平均120万にしかいないわけですから、
この「少子化」は、日本の大学制度から破綻していくのでしょう。
私は、47歳で大学人になり、「大学設置委員会」での教授資格は
名古屋市立大学に博士後期課程設置に関わることで、
大変に厳格な資格審査を受けました。
その厳密な厳しさが大学制度にあることは容認しますが、
商業主義的に「私立大学」が設置されてきたことは、
あまりにこの「少子化傾向」を見過ごしてきた官僚や
審議委員のいい加減さは罰せられるべきでしょう。
こんな人が審議委員だと随分見てきました。
2018年、私は大学崩壊を目の当たりに傍観していることでしょう。
なぜなら、私はその時、69歳になっています。
日本の大学は「制度」根本が変革される時期到来だと思います。


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「トランスジャパンアルプスレース・過酷さの美学」


   


     10月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

中高大と登山を青春時代の大きな経験にしてきた私にとって、
このNHKスペシャル番組は、感激と感動で涙が流れました。
富山湾から駿河湾まで、
北アルプス・中央アルプス・南アルプス全長415Kmです。
フルマラソン10回・富士山登山10回を8日間というレースでした。
初めて
このような山岳レースがアスリート種目になっていることを知りました。
しかも、優勝しようが何も見返りはありません。
自分を自省した経験だけが自分の内面に残るだけです。
中学・高校時代は福井県内1500m級から白馬から後立山連峰縦走、
大学時代、夏休みは必ず早月尾根から剣岳で、
源治郎・長次郎でスキー、六峰ではロッククライミングと
40日は入っていました。
後立山縦走をして大町に降りるのです。
だから、
この過酷さが身に染みると同時に、「やってみたい」一心が残りました。
トライアスロンをしていた
建築家の友人をうらやましく思ったこともあります。
ともかく、肉体の限界を山岳に委ねて「自分とのひたすら対話」だけは、
どれほど自身を修練させてくれるのでしょうか。
車椅子になって、最も哀しかったことは、
水泳・飛び込み・スキー・ロッククライミング・少林寺拳法が
出来なくなったことです。
ある意味では、
どうして大学までは
そうしたことに懸命な修行をしてきたのだろうかを今なお考えます。
冬の鹿島槍ヶ岳では、遭難一歩手前であり、
源次郎尾根からのアプザイレン後に滑落したときにも、
車椅子になる寸前だったと思い出します。
深夜番組で、日本アルプスの景観だけの番組が大好きです。
特に、自分が登ったことのあるアルプスでは、
あのあたりにお花畑があるとか、
雷鳥はあそこに沢山いたなどを思い出します。
高校時代に買ってもらったピッケルは、
今の時代とまったく違いますが、今なお持っています。
感激し感動する心の回路を十二分にしない限り、
感性は磨くことは不可能だというのが私なりの定説です。
この回路をいつもオープンにしておいてこそ、
「感謝」という感性の仕上げができます。
そして、この回路形成には肉体の酷使が基本なのかもしれません。
もうそのような無理ができない身体になったことは哀しみですが、
それでもこのレースのドキュメントを観るだけで、
参加し格闘したアルピニストの人たちに大感謝でした。


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「喧嘩とは、自分に売ることが基本だ」


   


     9月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

私は、「喧嘩師デザイナー」だと自称もしています。
だから、誰にでも喧嘩を売るということで怖がられています。
デザイナーは喧嘩師であれ」でもしっかりと記述していますが、
まずは、「自分に喧嘩を売る」ことを
根本的な原則にしなければなりません。
喧嘩を売る、とはチャラけた言い方だと「自己啓発」でしょう。
「自己啓発」類の本やその著者は、
私に言わせれば、高校時代に出会っていれば殴っていたでしょう。
この系譜で言うと、「仲良しクラブ的なこと」は大嫌いです。
表向きのチャラけた連中を見る度に、
現在は公的立場でもあるからもの凄く我慢します。
チャラけた発言などはひたすら無視することにしています。
「腹が立つ」とは、武士道における「腹こそ心の在処」だからです。
「切腹」とは「腹=心」の清廉潔白さを
最終の自死をもって証明する美学的精進だと考えます。
しかしこれこそ、
「自分に喧嘩を売っている」ことにもつながっていますが、
今では許されない行為ですが私は認めています。
「自己啓発」なんて言葉自体がだめです。
せめて、「自己鍛錬」・「自己精進」です。
鍛錬と精進は、
仏教的な精神的な自己犠牲を強いる、これこそ「勉強」です。
心臓発作を経験する40代半ばまで、
「睡眠時間4時間」を自分に強いてきました。
それはほとんどが、読書とスケッチでした。
「本を徹底的に読む」・「スケッチを毎日描く」・「文章を書く」、
これが、私の鍛錬と精進の核心です。
だから、毎日ここでのブログも精進の一つの形式にすぎません。
私の毎日の記録は、手帖・メモ帖・スケッチ帳が、
鍛錬と修練の「喧嘩ツール」になっています。
なぜ「帖」であり、「帳」なのかも、
勉強ゆえに区別されるべき詳細な日本の美学の証なのです。


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「『ヘルメスの杖』というシンボルの現代的意味」


   


     6月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

日本では、緊急・救急のマークは「赤十字」です。
私には苦い経験があります。
高校時代の級友がドクターとなって、病院を建てました。
その建築設計施工をアドバイスし、病院マークなども作りました。
そのときに、赤色で部分的に「赤十字」が入っていたら、
地元の赤十字病院からクレームが入りました。
初めて知りました。「赤十字マーク」は日本赤十字社の商標です。
よって、×印が赤十字形になっていても、
「意匠権侵害」になるのです。
したがってわが国では日赤系認定以外ではこのマークは使えません。
「赤十字マーク」は国際的な標準マークですが、日本ではすべて、
日本赤十字社のみが使用権と認定機関だけ使用可能です。
救急車でも赤十字マークをつけている車両は日本赤十字社関連だけです。
この赤十字に対して、さらに世界的なシンボルとなりうるのが、
「ヘルメスの杖」と呼ばれているシンボルです。
外国の救急車などや大学や、治安機関では、
このシンボルの持っている意味は古代歴史的にも国際的です。
語源的にはギリシア語「Kerykeion」=伝令官の原義があります。
蛇が纏わり付き、天使の羽や男根的なイメージは、
シンボルとしての意味を伝統として継承されてきました。
それはメルクリウスの持ち物としての杖であり、美の女神・豊穣や、
平和・休戦から勤勉や雄弁など、
天体的には水星の天使といわれるラファエロから、
治癒力・道徳的な正当性・善行など、
人間の倫理的な自覚力までを表しています。
赤十字はまさに、救命を意図したシンボルですが、
商標権に縛られているからには、
この「ヘルメスの杖」は、倫理性や正義感、治癒力、治安性まで、
古代的なイコン性からも十分にシンボル化可能で有り、
このシンボルをマークとして使用することで、
国際的な伝統的象徴性まで意図できるものと考えています。
「ヘルメスの杖」が象徴的な機能を表現するものとして、
これを展開したシンボルマークの展開を、
デザイン賞創設の視覚アイデンティフィケーションへと考えています。


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4月23日 staffblog


   


     4月 23rd, 2012  Posted 10:46 PM

4月23日

ボスの母校である
福井県立高志高校の同窓会にて
ムービーを通し母校への想いを語る
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

そのための
ムービーインタビューがありました。

高志高の3世代にわたる卒業生の中で
第1世代代表として
インタビューを行いました。

楽しかった高校時代の想いで、
大幅に予定時間を伸ばしてしまったですが、
インタビューに来られた方も高志高の後輩で
高校時代から地元の原子力問題まで
幅広く話しができ、
とても有意義な時間でした。
地元福井への深かい愛情を感じました。


また、インタビューの後は
就活中の川崎研究室博士前期課程の学生
二人の面接アドバイスも。


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「絢爛な九谷焼・日本陶磁器の将来」


   


     11月 6th, 2011  Posted 12:00 AM

北陸育ちの子供の頃から、陶磁器は九谷焼。
高校時代、故徳田正彦氏(金沢美大先輩)の
九谷焼には感動していました。

父は彼の作品収集家でしたが、
私も一輪挿しは彼のモノが大好きでわずかに持っています。
ワシントンの在米日本大使館入り口正面には、
三代目徳田八十吉作(正彦)の大皿が出迎えてくれます。

日本各地の焼き物に心惹かれるようになったのは、
50代になってからでした。
モダンデザイン一辺倒だった私にとって、
特に九谷焼の絢爛さに興味はありませんでした。
最近、有田焼産地で陶磁器に向かい合うようになって、
あらためて国内外の陶磁器をじっくりと観ています。
日本各地ではいわゆる作家モノでも、
伝統のはき違えや伝統技が衰退していると判断しています。
今年発表されたエルメスの新作陶磁器の「ブルー」は秀逸です。
加色が青系や赤系は、日本は負けているとさえ最近思っています。
洞爺湖サミットでは陶磁器の万年筆が記念品でしたが、
私は伝統技が残っているモノとは評価していません。

先般、「長谷川等伯・狩野派展」(出光美術館)で、
「古九谷」を観ました。そのまま金沢に行ったので、
あらためて「古九谷写し」が欲しくなり、
それなら日常食器はすべからく、
九谷焼にしようと思い買い込みました。
おそらく年齢がその考えを引き込んだのでしょう。
九谷焼は日本の最初の貿易品でした。
当時貿易されていた九谷陶磁器は、
まるでガラスのような半透明の薄さと、
その緻密な加飾技術は再現できるのでしょうか。

私自身、伝統工芸(打刃物・和紙・漆)に関わり、
デザインでの産地活性化を目指してきました。
今、陶磁器に関わりながら、
「絢爛豪華さ」を日本の美学から学び直したいのです。
日本の伝統工芸産地のあり方を、再度、
デザインが加担する事は熟考を要するでしょう。
伝統工芸産地で、デザイナーが加担しているのか、
デザイナー自らの存在性で産地を踏み台にしているのか、
これは「作品」=「商品」で明確に、自分の美学性で見極め、
駄目なモノは全否定批評しようと思っています。
なぜなら、そんな作家やデザイナーを見かけるからです。
私なりの「絢爛豪華さ」はやはり、日本の伝統工芸産地、
この文脈に回帰し、そして創造することになります。


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『資本主義からの逃走』
「*ファッションそのままデザイン、着こなしのDandyism*」


   


     4月 14th, 2010  Posted 2:13 AM

Fashion
Designを語るとき、ファッションとの関係を話します。
それは、「デザイン」という言葉、
この言葉は「洋装デザイン」として戦後定着したからです。
だから、デザイン・ファッション・流行が一直線上にある、
そのことは至極、一般的な認識であり、常識だと思っています。
そこで私は、この普遍的なデザインファッションについて、
それは現代の大げさに言えば、
資本主義との密接さを語るために記述しておきます。
私のファッション感覚です。
男がファッションを意識し始めるのは、私は学生服からでした。
高校時代には「仕立て」てもらっていました。
中学からの憧れでしたから、
母はその想いをすぐに聞き入れてくれました。
高校指定の規則がありましたが、そのままですが、
校章入りの金ボタンでも、その下はファスナーで、
最上級の布地でした。いわゆる礼服と同等の布地でした。
大学時代には、なるべくスーツとネクタイで登校する友人もいました。
だからジーンズよりも、スーツ姿をなるべきいっぱい見てきました。
企業に就職したら、粋がって、ドレスシャツや、
とてもサラリーマンとは見られないことをしていたようです。

ふるさとに帰ったときは、
如何にデザイナーっぽく見られないか、ということで、
ワイシャツは白、地味なネクタイ、髪も短めを意識しました。
それこそ銀行員のように見られることを戦略と考えました。
二つの理由がありました。
まず、デザイナーという職業は
服装からも「遊び人風」にみられます。
もう一つは、車イスです。
車イスでカジュアルなファッションは、
働いている印象が与えられないとか、
威厳ある姿には見えないのです。
やはり、人は「車イス=障害者=プロとは見ない」
という感覚があります。
私は、イタリア製のダブルで白ワイシャツと、
ブランドものの地味なネクタイ、
この印象が与えるファッションデザインをベクトル化しました。
したがって、ある意味ではデザイン界とか建築界では、
スーツやネクタイを、「自由業的な印象」という先入観で、
ネクタイをしないとか、スーツよりジーンズが、
まさしくプロっぽい、そんなムードがあるようです。
私は、かえって、この選択は間違っていると思います。
Dandyism
最高級と言われるスーツやブランドモノには、
それなりの性能性がほぼ完璧です。だから機能性があります。
それはジーンズの機能性を超えています。
おそらくすべてのブランドのネクタイを試みてきていて、
その「モノ性能」は評価できます。
まさしく、それは、私の万年筆、腕時計、カメラ、自動車への
趣味感と一致しています。ダンディズム思想があります。
ワイシャツもスーツも同じです。
私は、ファッション性としての一面である
「見てくれ・見栄・外見」の効能性、
それが読み取れないデザイナーセンスは疑っています。
この話は、連続させないと、
デザイン論=資本主義論にならないでしょう。


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