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「光陰の下で佇む姿勢」


   


     7月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

今、日本は哀しみの中。
この国難の中で、
哀しみは次々と巡っています。
3.11、あの日のことを
私たちは決して忘れることはないでしょう。
しかも、台風も巨大であり、
自然の猛威に私たちは晒されています。
だからこそ、もう一度佇んで観なければいけないのでしょう。
「考」という文字が教えてくれています。
この漢字の源は「老」です。
老人=白髪で腰が曲がった形象を示しています。
そして、この老人が杖をついて佇んでいる形象が「考」になります。
つまり、考えるというのは、
老人のごとく、経験から知恵を紡ぎ出す行為ということになります。
私は、「考える」ときには、まず経験がベースになり、
それを補完するように人間や歴史が思考してきたこと、
それが経験から「学」なり「論」なり、となっていることが基盤です。
「佇む」こと、その心の中には哀しみがいっぱいあり、
哀しみがあればあるほど見過ごしてしまうことがかえって増えます。
これは私の実体験です。
見過ごしたことは膨大です。
したがって、最も重大なことは佇んでいる姿勢が問題です。
自然の猛威は光景=光と影、まさに光陰を投げかけています。
この光陰は猛スピードであって、立っているどころか、
佇んでいる姿勢を保つことさえ出来がたいと思います。
哀しみが怒りとなれば、佇む余裕どころか攻撃姿勢となり、
喜びと楽しみは、佇むことを一時忘れてしまうものです。
私は、たとえば本当に今の時代、
光陰のごとき事象すべてを見渡して佇む必要性を感じます。
あらためて、このまま情報化の進展が「クラウドだけ」に、
エネルギーのあり方が「脱原発だけ」に、
もっと国際的な関係論が「民主主義だけ」に、
自然と技術が「調和だけ」に、などなどに想いを巡らして
「佇む」姿勢保持で光陰を受け止められるのかということでしょう。
私に突き刺さってくる「光陰の矢」はまだまだ多いようです。

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