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Posts Tagged ‘「意」を制御’


「資本主義からの逃走」
     「自分の『意』を見つめることから」


   


     1月 12th, 2011  Posted 12:00 AM

意は心音
意思と意志が人生を決定。
意思にも意志にも「心」あり。
意・思・志、この三つの漢字に「心」。
私はこの中で、最も生涯分からず仕舞いになる言葉。
それは「意」だと思ってきました。
そして、心なる思考を司っている言葉こそ、「意」だと考えてきました。
私がオーディオマニアであり、「音」に関わってきたのも、
この「意」を知り尽くしたかったのかもしれません。
私が「音」にこだわり、「音響機器」から「音」の具体と抽象、
さらに主観と客観をこの40年以上追いかけていると思っています。
「音」+「心」は、明らかに心音です。
これは、生まれてすぐに心拍となる心臓の鼓動です。
したがって、この心拍、心音が停止すれば、
人間は死にます。生涯が終わるわけです。
ということは、あらためて「意」が生命、生きていることです。
生きていることというのは、自分の身体の中の「意」を制御することです。
ところが、心拍・心音は制御は不可能です。
時に心臓の鼓動が早まったりするのは、正常な身体リズムであれば、
それは交感神経と副交感神経が「心」の動きを正直に表しています。
これは私自身がデザインと医学を結びつけようと仕掛けられた啓示かもしれません。
意志決定と意思決定
ともかく、「意思」と「意志」をまず明白にして、
「意志決定」と「意思決定」は同一であるのだろうか、
もしくは何か違いがあるのだろうかを「意」に焦点を合わせて見つめ目直したいと考えます。


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