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『昭和に「東京」への地方から・歌手たちの想い』


   


     5月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

「東京」、一極集中は昭和から今なおさらに強まっています。
地方から東京への想いは、この代表的な団塊世代の歌手たち、
彼らの「東京」詩情があって歌謡曲のタイトルに象徴されました。
矢沢永吉=広島、やしきたかじん=大阪、松山千春=北海道から
それぞれの歌詞内容に彼らの東京への想いが歌われました。
しかも、すべてが昭和の時代であり、私と同世代のきもちでした。
彼らがふるさとから、東京での自己表現をめざし、
あきらめというよりも、都市構造を見透かした歌手たちでした。
私にとっての東京時代は7年間定住でしたが、
その後は、距離をとって傍観し、月1上京しています。
最も「変だ!、おかしい!」と思っていたのはバブル時期でした。
その頃、東京がバブルだとは福井にいた私には不明でしたが、
ちょうどその当時はApple本社・クパチーノとの関係だけの仕事。
東京から来訪するプロデューサーと称する人たちの異様さは、
今も明確に覚えていますが、彼らは今、存在していません。
東京一極集中は、現在、ますます勢力を露わにしています。
比して、廃村ということばを辞めて「終村」らしいのです。
私は日本列島の集落=村体制づくりにこそ新政策が必要でしょう、
が、その政策、村づくりデザインは行き詰まっていると感じます。
ひょっとすれば、「東京」と謳われた時に、
現在のシャッター通りまでが予知されていたのかも知れません。
私のふるさと福井県も人口は80万人を減少させています。
月1回、帰省する度に私は精彩を欠いていくふるさとを知ります。
この「都・対・鄙」に、私は鄙びと=雛美人デザイン論、
これを若き日に書きましたが、伝統工芸にだけ適用させました。
おそらく、3.11以後、さらに一極集中が強靭化するなかで、
私はあらためて雛美人デザイン論が必要だと思っています。
「終村」は決して言ってもつくってもいけない観念です!

花綵を断ち切った、都と鄙 けれどもNetwork社会に希望」
金融工学の始祖はマルクスだった_15


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