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『資本主義からの逃走』
    「 『奇跡』は教育だけが起こせる、恩師との別れ」


   


     9月 8th, 2010  Posted 12:00 AM

奇跡=教えることで教わる
私は金沢美術工芸大学という、地方公立大学卒業を最も誇りに思っています。
私はいわゆる旧帝大でも講義をしますが、
自分の卒業した大学の方が本当に良かったと思うのです。
私の生涯を決定づけたのは、その大学に大きな縁(えにし)があったのでしょう。
人には、必ずや「ある道程」が宿命づけられているのでしょう。
なぜなら、その美大で「鍛えられ、かけがえない恩師たち」に出会えたからでした。
大学とは、恩師が得られなかったら無駄極まりない場と考えます。
90歳高齢となられた恩師を見送りました。
この夏、この酷暑ゆえ、心配をしていましたが、
先生は遺言にて、初七日を過ぎてからのみ連絡とされ、奥様から連絡があったという次第です。
昨年は、金沢で会うことができました。
頭脳は明晰なままでしたが、すでに杖無しながらゆっくりと歩かれるようにはなっておられました。
私も還暦ゆえ、「あと少し大学で精進します」と、伝えたところ、
「君はもういいよ、残り少ない大学時代を楽しんでゆったりとやりなさい」、
意外な言葉をいただきました。 
交通被災の時も相当な心配をかけました。
ふるさとでの仕事ぶりもすべからく相談していました。
私が大学人を希望したとき、ある大学の公募を受けようと相談したとき、えらく叱られました。
「君には、その道をもう整えてあるからしばらく待ちなさい」とのことでした。
学長候補になったとき、あまりの事情を聞かれて辞任するべしとの教えをいただきました。
大学移籍もすべからく私は頼りっぱなしでした。それは私の父からの教えもあります。
「三歩下がっても、師の影は踏まず」であり、師は自分以上に私を知り尽くされているからです。
私も大学で教えるようになってから、
師の経験を素直に受け入れることが人生では最大重要だと考えられるようになりました。
大学人になるとき、
「君はデザイン全能の人間になっているから、
デザインで『奇跡』も起こせると思っているだろう」、そんな問いかけをいただきました。
「デザインはそこまで出来ると思ってます」と答えると、
「まだまだだなー、だから大学で教えることで教わってきなさい、
『奇跡』を起こせるのは教育だ」と教えられました。
「君は美大に入って、やっと絵が描け、そしてデザイン技らしきものを身につけ、
思考方法も職能家としてデザイナーの卵になるという『奇跡』を身につけたはずだ」と。
叱ることと怒ることも、その違いを教えられました。
私は、「十牛図」にまさにその教え通りを見ています。
覚悟はしていましたが、恩師をまた一人見送りました。
充分に仕事をし終えてから、
「先生、これだけはやり終えてきました」と報告したいと思っています。
この悲しみは、両親や両祖父母やおぢおばたちとの別れとはことなりますが、
耐え難い辛さです。
今日は、もうひとりの恩師に電話しながら大泣きしてしまいました。
この歳になっても、私は恩師たちに恵まれています。


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