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「安全と安心・日本語の対語的欠落性」


   


     4月 7th, 2011  Posted 12:00 AM

日本語は、常に一語制に囚われています。
「感性」と「感情」
「優しさ」と「易しさ」
「科学」と「技術」などの対語がありますが、
一方だけの言葉を選んで、
もう一方の対語的な意味性を無視する傾向です。
これは意味の曖昧性を残しながらも、
いわば以心伝心的な日本風に寄りかかっています。
私は、常に、こうした対語的な意味性で、
一語選択言葉の相補性を確認して、本来の「ことば」原意によって、
「かたちとことばの相対論」をデザイン基底にしています。
なんといっても「安全」という言葉には、
この言葉の対語であるべき「安心」を対象化と対照化するべき、
このように考えています。
「安」はまさしく女性が屋根の下、空間の中に居る形象です。
これは女性の生命・次世代人間への連鎖性を保全する意味があります。
生殖連鎖の性である女性の保全が人類の「安全」という原意です。
一方の「安心」は、「安全」が確保されていることの安堵感です。
英語では、安全=safety・security・安心=Rilief・Reassure
フランス語でもドイツ語でも明確な対比性があります。
この対比・対照性を再確認していくとき、
「安全神話」という言葉は語りやすかったのでしょう。
曖昧性が虚仮になりました。
それこそ、聖徳太子の言「世間虚仮唯佛是真」を忘れています。
人間の世界では嘘と偽りでいっぱいだから、
その真実は仏様しか知らないのです、ということ。
なぜなら、英語でも安心をSecurity and Safetyとなり、
Security =外部からの攻撃を阻止保全し安全=Safety確保です。
したがって、安全を確保したとしても安心だというわけではないのです。
「安全」を神話として語っても、
安心という信頼は得られるわけはありません。
今、私は宇宙ステーション設計では安全工学ではなくて、
安全設計工学を担ってきた専門家からの指導と支援を受けています。
デザイン+設計に包含して、
いわゆる網羅性のデザインテーマ確立ということが肝要だと考えます。
「安全」で「安心」と
「安心」で「安全」、
それぞれの相補性が、
この網羅的なデザイン設計解を叶える企望だと期待しているのです。

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