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Posts Tagged ‘インターラクションデザイン’


『ユニバーサルデザインからヒューマン・センタードデザインへ』


   


     2月 10th, 2019  Posted 12:00 AM

「ユニバーサルデザイン」の知らせが
米国の友人たちから、私にきたのは1995年でした。
しかし、それより以前、1986年名古屋で開催された
世界デザイン博覧会でマイケル・カリルが
「ユニバーサルデザイン」を最初に語りました。
私は主体として、ユニバーサルデザインの教育を
最初に政府に提案をしました。
名古屋では市民講座や市の職員へのワークショップを行っていました。
その後、ユニバーサルデザインは
商業主義的な流れを受けてメチャクチャになっていったのです。
丁度その頃、2000年に建築誌『SD』が終巻号をむかえ
「ヒューマン・センタードデザイン」に大きく変わる時でした。
人間中心主義で、
それこそ、今ではインターラクションデザインという
ITでの「人間中心主義での関係性」が求められました。
一昨年私は学術×××××でキャリアと論戦を張り、一方的に負けました。
今では、デザインでは、至極当然の考えとして
もはや違う段階へと進んでいるユニバーサルデザインを
いまだ研究課題とする全国の家政学部に、
私は呆れかえり、その研究課題への研究費を反故にしました。
すでにそれら研究課題への応答、回答、解答はデザインの分野で
提示、具現化されていましたから。
まだまだ、ユニバーサルデザインを主軸として
語るデザイン界や、デザイン教育は多いのです。
次の次元に向かうヒューマン・センタードデザインでこそ、
デザインでの本質があります。

* 公自単情安省空


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『新たな医療機器企業の研究所のデザイン監修』


   


     10月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

金沢の21世紀現代美術館で個展をやりました。
インスタレーションでは鏡=ミラーを多用しました。
ミラーの背後には冥府があるという美術評論があるほど、
このミラーを素材とする手法は大変に難解だと私は認識しています。
が、その時のインスタレーションをさらに進化させるシュールームを
私はC.I.デザインとインテリアデザインの監修をします。
個展ではミラーを多用して様々な虚像投射をした経験があります。
それから、ミラー素材を私はキーボードでも実現しましたから、
ミラー素材とセンサーを多用することで、デザイン領域を拡大化し、
どこまで、人体投影上にバーチャルな虚像を映写させるかが課題。
そのようなアイディアをこれからのシュールームとしての実現をと
そのセンサーやプログラム化映像制作を監修しています。
ショールームにはできる限り実物展示ではなくて、
情報化映像と観客動作とのインターラクションデザインづくりです。
夢や希望は広がるばかりですが、無念なことは予算に縛られます。
結局、センサーでプログラミングはかなり予算計上と関係が深く、
それこそ、実現という不自由さからの解放作業がデザインです。
デザインは問題解決ですが、解決しての効果は解放だと再認識。
シュールームそのものが、問題提起=夢・希望を一杯展示して、
どのようにそのテーマを解決していく使命を掲げることが実は
とても困難なことでありそれが夢や希望の不自由さだと判明します。
この判明したからこそ、解決をつけていく、そのシミュレーション、
その未体験さを経験することが解放される自分に出逢えること、
かも知れないと、この仕事に取り組んだ時から感じてきました。
そこで、すでに体験しているミラーへの自分投射に、
さらにセンサーキャッチされた虚像の中の自分に出逢わせることです。
このショールームで未来の自分に出逢って開放されること、
そのデザイン監修だと私は考えています。

「知財権・意匠権改変の対象となった商品開発」
「『鏡』の存在を知り尽くすこと」


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『ヘッドセットの地道な進化は継続するだろうか』


   


     5月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

携帯電話が国内に登場した時、ちょうど私は赤坂で、
フリーランスのデザイナーになり車椅子ながら外車で遊んでいました。
そして、車載用電話の最初のユーザーになったと思います。
以後、ショルダータイプの携帯電話となり、
携帯電話のデザインにも2年程取り組みました。
が、国内の電話会社の時代遅れと喧嘩を繰り返してその仕事は、
いつもごとく無くなりました。けれども、
MOTOROLAなど海外企業の進化を徹底的に観ていました。
そして、iPhone直前にBlack Berryが登場したときに、
あの携帯に附属したかのようにヘッドセットが出てきました。
私はヘッドセットはほとんど実使用しながら収集もして、
性能評価をデザイナーとして評価を積み重ねてきました。
この連関性から、ヘッドホンとヘッドセット、
それにはイヤホンのあり方を使用し観てきたと思っています。
おそらく、人間の耳孔のかたちは全てが違うのでしょう。
まだ、まったく最適なヘッドセットはありません。
しかし、性能の進化とともに、
モバイルのアプリでの補完が進化してきているようですが、
ヘッドセットの効用性そのものが欠落しているようです。
ともかく、Hi-Fi性は全く叶っていませんが、
ヘッドセットとそのアプリケーションは地味に進化はしています。
私はあくまでもデジタルガジェットによって、
モバイル系は、その便利さがインターラクションデザインの
明らかな一つの分野になるものと判断しています。
その確かな根拠は一つだけあります。
それは、ヘッドセット企業が、ベンチャー企業として、
様々なデジタルガジェット企業として進歩していきています。
残念ながら、わが国にはこうした起業要素がありながら、
デジタルガジェットから、本来のデジタル起業家はまだ居ません。


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「この技術はデザインによって大変革の時期がきた」


   


     8月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

鏡面平板にキーボードをデザインしました。
Mac用には「Touching Feedback Keyborad」は実現しました。
しかし、すでにkeyboard入力に終焉をつけたと思っています。
もはや、映像照射されたキーボード入力にFeadbackが実現します。
かつて、触覚フィードバックをHAPTICと呼んでいましたが、
すでにこの言葉は企業名になりましたから、使えません。
だからと言って、この企業の技術進化はストップしています。
あらためて、触覚フィードバックは、
鏡面平板のキーボードからも解放されなければいけません。
つまり、技術進化の方向はデザインが一つの結論を出しました。
それは、空中に存在する映像=バーチャルな文字入力、
この入力時に「触覚フィードバック」が可能になってきたことです。
私はあらゆるキーボード、タイプライターからPCまでの、
きわめてエポック的なキーボードを使用してきましたが、
結論は、バーチャル的文字盤とその触覚性能でした。
私はこれらの技術進化をするのは「デザイン先導」だと思います。
まさしく、先般も米国との打ち合わせの中では、
デザインによる技術進化が求められその意味を実感した次第です。
現在、この映写技術には距離感があります。
この距離感を瞳孔距離と一致させれば、モノは消滅するのです。
必要な技術は「触覚フィードバック」と、
その使い勝手ユーザビリティに見合った相互性能性です。
すなわち、インターラクションデザインでの方向性提示です。
結局、最も重大なことは、技術進化を促すデザイン先導力。
そして問題はデザイナー自身の技術認識力になるでしょう。
確かに、インターラクションデザインは、
プロダクトデザインの大きな一分野になっていますが、
この力量が、websiteに反映されているだけでは無意味です。
是非とも、デザイナー自身がバーチャル領域での、
基本的なインターラクションとフィードバック感覚、
これらの実感的認識をモノの世界に持ち込むことだと思います。
たとえば、車の運転においても触覚フィードバック車両開発は、
国際的にも遅れていることは事実です。


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「防潮堤工事は土木工学ではありえず」


   


     12月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

大津波は海から襲いかかってきました。
その高さは想像を絶していました。
それよりも注目すべきは、押し寄せて来た時よりも、
「引き浪の力」がどれほど強かったかは
以前も書きました。
あらためて陸と海岸線での痕跡を見ると、
防潮堤の高さも当然ながら必要ですが、
バリア形態設計が誤りだったことを確認できます。
海からの大津波を受け止める力より、
引き浪でコンクリートは海側に歪んでいます。
この防潮堤に叩き付けられていた遺体が多かったと聞きます。
陸上では、道路路側帯のポールが地面に叩き付けられています。
それほど巨大で暴力的な力だと考えるべきです。
今回、土木工事の杜撰さも明らかになりました。
まさに土建事業と行政既得権の横暴さは罰せられるべきものです。
それは東京浦安地域の埋め立て地でも明らかでした。
液状化も手抜き工事そのものであり、
徹底した地盤工事の東京ディズニーランドはOK。
むしろ江戸時代の埋め立て地は大丈夫でした。
港湾工事が土木工学に頼ってきた制度設計そのものを再検証すべきです。
むしろ、港湾工事が土木工学よりも
海事工学・船舶工学が担うべきなのです。
港湾工学は海事システム工学をわが国は制度として受け入れていません。
仙台メディアテークという建築があります。
エレベーター・階段は、船舶工学の溶接技術で建造されています。
あの発想が一つのヒントになると考えます。
行方不明者は海に連れ去られたのです。
大津波で山に追いやられ犠牲となった方は、
高い樹木に留まって亡くなられました。
多くの行方不明者の真実、
生き延びた方々の証言からも海への引き浪の力でした。
したがって、
コンクリートの防潮堤設計は根本で見直すべきと私は考えます。
引き浪力への流体設計は海事工学であり土木工学ではありえないのです。
防潮堤は、大津波を受け止める形態と引き波力をも拡散させるべきです。
そこには新たな防潮堤と引き潮拡散の造形デザイン、
それが波動とのインターラクションデザインになります。
ともかく土木工学よりも、
海事港湾工学が制度設計の中心だと私は思っています。
これは、私自身が関西海洋教育アライアンスで
海洋デザイン戦略論」を担当してきた知識です。

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