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Posts Tagged ‘インダストリアルデザイナー’


『Hyperloopどころでは無いインダストリアルデザイン界』


   


     8月 4th, 2019  Posted 12:00 AM

駅と線路と言えば、「鉄道」に限られています。
長らく私も鉄道ファンです。もう少し時間の余裕ができたら
鉄道マニア、オタクの域に達したいものです。
乗り鉄、撮り鉄、録り鉄・・とありますが私は鉄道模型を収集しており
Zゲージを中心に、限られたモノには執着しています。
今回このHyperloopも、
新たな鉄道形式がとても早いスピードで凄いなーとは思いますが、
米国のインダストリアルデザイナーのいろんな見解を聞いてみたいです。
最も、国内の新幹線の中、そして地域の各種鉄道をみると、
デザインを誤解しているし、線路と駅との関係も一新べきでしょう。
ようやく今頃、自動車は変わろうとしていますが、
110年も進化がストップしていました。
デザイナーとして何台もの車を乗ってきましたが、
私の最後の自動車は自分の望んでいた車で終わります。
私の「最後の・・・ 」モノたちには、進化の兆しをつけれるように、
デザインで「やりたいモノ」があります。まだまだ「革命前夜」です。


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『徹底した「最終仕上げ」でデザインは決定』


   


     7月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

63歳で阪大を定年退官して、
幸いにも京都のミネルヴァ書房から私の作品集を出版されました。
最も、自分の作品集出版には、(決して口出ししない)ことが鉄則です。
が、やっぱり口出しをして、出版はその翌年64歳でした。
その作品集も「川崎和男・全仕事」でしたが、
「いや、生きている限りデザインしたい」と言い張って、
「川崎和男Design」という図鑑にしてもらいました。
表紙から紙質も選び抜いて、インダストリアルデザイナーとしての
「デザイン仕様」は、表紙には「3D-ホログラム写真」、
特に3D写真も最新印刷で、とりわけその裏表紙にも職人さんから
その熟考された「型」までを見せてもらいました。
おそらく美術出版誌ではトップの仕上げになりました。
私の最近の口癖は「簡単なモノのデザインがしたい」、です。
実際デザインする対象で「易しいモノ」があるわけではありません。
ともかく論文読んでとか、最新技術で命と向き合う医療機器以外、
決して容易ではない「日用品的存在」のモノです。
これは先般、このメーカーが出展したのですが、モノは日用品です。
仕上げは本体素材の仕上げは、カーブに沿わせた「ヘアーライン」なのです。
おそらく、この仕上げはB&OのCDプレーヤー以外は無いはずです。
(モノは何?)、想像してください。

* 『「図鑑」=作品集はもう一冊は出したい』
* 「64歳ー私のデザイン作品集『図鑑』編集中」
* 『私の図鑑、サンヤツ広告されました!』
* 『作品集ようやく束見本ができたが・・・』
* 『音場空間を再調整再整備し直しました』


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『製品から商品へのデザイン投資のサインカーブ』


   


     11月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

日本は貿易立国でなければ国家存続は不可能です。
貿易立国である大きな条件として、
自分はモノづくり、そのデザインを職能としてきました。
もはや特にインダストリアルデザイナー、プロダクトデザイナーは、
私の天職になっていると公言できるほど様々な領域の工業製品、伝統工芸に
デザイン手法、つまり問題解決・価値創出・未来創成に関わってきました。
その成果も、すでに何冊かの作品集になっています。
そして今なおデザイン教育者としての立場では、
「KK適塾」を開催してきています。
そうした中で、原丈人氏の「公益資本主義」での
基幹産業としてのベンチャーキャピタルの図とデザインの関係を
「KK適塾」でも紹介しましたが、この展開と詳細さを深めていきます。
現在わが国の製品開発から商品展開は
「失われた20年」や「ガラパゴス化」など、
日本の産業その低迷化は見事にデザインへの不信感にもつながっています。
重厚長大が軽薄短小となり、バブルの崩壊、リーマンショックは、
結局、日本の家電業界、その基盤産業をすっかりと失い、
これはやがて自動車産業界をも危うくしていくものと考えます。
したがって、このいわば正弦波的(サインカーブ的)に、
製品開発投資から商品投資として、デザインがどのように関わっていくかを
正直、この数日これまでの製品開発から商品展開を経験値と適合し、
新たな問題解決・価値創出・未来創成=デザイン、
この指標化を考えていました。

* 『やっと4冊目の作品集が出来上がった!』
* 『silienceからパラ理論とメタ理論への展開が可能になる』
* 『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
* 『「KK適塾」は日本からのデザイン思想と実務の発信』
* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』


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『昨日大先輩は旅立たれた・栄久庵憲司氏から私の評価文』


   


     3月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

日本のインダストリアルデザインを創った人は2名。
その一人である栄久庵憲司氏の公的葬儀も終わりました。
葬儀には献花をさせていただきました。
これは私が毎日デザイン賞1990年に授賞したときの評価文です。

川崎和男の「身障者用具へのデザイン的視点」・栄久庵憲司

川崎和男は情熱家であり、なかなかの硬骨漢だ。
今どき希有な存在と言ってよい。
若いころ大企業で未来を嘱望されたスターデザイナーだったそうだ。
不幸にして自動車事故に遭い半身不随となった今は、
車椅子の人となってしまった。しかし彼と会っていると、
1点の同情すら寄せつけない迫力が伝わってくる。
同情する側が同情されるハメになってしまう。
つまり、豊富な思考とスピードのある行動力がそうさせているのである。
加えて、デザイン希求の烈しさはもって生まれた天性もさることながら、
事故以後更に涵養された感がある。

彼は言う。「ノーマライゼーション(Normalization)」、
正常化ということだ。
人は誰でも普通に暮らしてゆけることこそ肝要。
事故に遭遇しようが年をとろうが普通で当たり前に
暮らせるように社会がつくられていなければならない。
特別というのはよくない。
「僕は今車椅子に乗っているが、それは2本足で歩くのと同じこと。
車椅子の人という特別な目で見られるのは真っ平だ。
むしろ羨ましがられる人間になることこそ本領というものだ。
それにはこの車椅子をデザインするに限る。
「My own rainbow wheel chair」。
デザインは人間の実体から生まれてこそ真のデザインというものだ。
いい車を見たら、人は欲しいと思う。
当たり前のことではないか。僕は人々をそんな気持ちにさせたい」

気の強い男だが、それが彼の魅力でありまた人を圧倒しもするのだ。
強い美意識が常に彼の胸の中で爆発している。
インダストリアルデザイナーたるものは生活を実感し、
その中からかたちを創り出すことを業としている。
川崎和男にはそれがある。
線密な観察と周到な計算、
それに生き甲斐を感じさせる妄想的な造形力、
それが遂に自らの車を自らの手でものにしたのである。
私も何回か彼と一緒する機会があったが、
何時も彼の入場は絢爛としている。
それは身体障害というレッテルがそうさせるのではなく、
それを克服した証としての車椅子に乗ってやってくるからだ。
美しく彩られ、軽やかに移動する彼の車椅子を見ると、
大袈裟な言い方だが、瑞雲に乗った川崎がやって来るようで思わず
手を合わせたくなるというものだ。
時代を先駆するものは皆そうであるといってよい。
川崎も例外ではない。
しかしだれにとっても、その前に自己との闘いの克服がある。
川崎の精神の到達境地を測る術もないが、1つだけは分かる。
人間は1つの接面で生きているということだ。
皆同じなのだ。自らの接面を世界化して見せる
「Design For Normalization」この念仏は、実に説得力がある。

©毎日新聞社「毎日デザイン賞」事務局

1988年にNewYorkでの栄久庵先生の表彰式には私も出席。
まさかその後、この評価文をいただくとは思いませんでした。
だから、受賞後も先生の評価を大事に生きてきたと思っています。

 

「誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決」


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『資本主義からの逃走』
「情報・日本語であるための曖昧性」


   


     5月 29th, 2010  Posted 11:39 AM

情報
「情報」という言葉は、森鴎外の訳語であったという説があります。
そして、そういう説があるらしい、ということを15余年程前に、
ある誌面で書いたところ、強烈な否定論を大学のFAXでいただいたことがありました。
あまりの強烈さゆえ、今も鮮明にその時の驚きと、
その指摘人物=著名学者を覚えています。
それから、日本語での「情報」という言葉については、
とりわけ慎重になる癖がついたと自覚しています。

ドイツ・英国・米国の「情報」
ところが、あるとき偶然にも、
海外のインダストリアルデザイナー友人達と会合を持ったときに貴重な体験をしました。
英国人・ドイツ人・アメリカ人、そして私=日本人での会合でした。
パソコンという言葉が登場した頃であり、
今後、このパソコンで「何」が変わっていくか、というテーマになりました。
決して、これは議論でもなく和気藹々とした会話だったのです。
まず、会話では、コンピューターのパーソナル化、
すなわち、「日常生活でパソコンの存在」が、「ポストインダストリー=脱・工業化社会」、
この言葉での書籍も一段とビジネス書は増えてきた頃でした。
結局は、「工業社会から情報時代」に入る。
そうなれば、インダストリアルデザインの職能範囲、拡大するのか縮小するのか、
あるいはもう終焉し、デザイン職能が変態するかもというとめどない会話になりました。
そこで、行き着いた各国語での「情報」という言葉がどこに集約し収束しました。
だから、焦点がどこに至るのだろうかということでした。
まず、ドイツが、脱・工業化を国際的には最初の発言者だったという確認でした。
それは、「意識社会」の出現、という予測でした。

意識=Consciousness

パソコンが大きな刺激を与える存在になるというのが、ドイツ人の主張でした。
ところが、英国人は「知識社会」の深度がますます重要になっていくという主張をしました。

知識=Knowledge
を膨大にストックし、
その知識配分の格差が増大してくるという話題でした。
米国人は、ちょうどArpanetがInternetになっていくことから考えても、
これはIntelligenceの国家・民族・宗教・思想・主義などの諜報性に、
対立や調和や共有が様々に起こりそうだということの主張でした。
情報は、情感的な伝達性という意味が日本語の根底にはあるようだということを話をしました。
彼らと明らかに違っていたのは、
情感という感覚的な曖昧性が日本語にはあることをその時、私は改めて知ったのです。
この曖昧さは現在も温存されたまま、
「情報=インフォーメーション」という単一な茫漠とした意味合いのままなのです。


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