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『資本主義からの逃走』
   「敗戦で学びながらも、またそうなるのだろうか。」


   


     11月 25th, 2010  Posted 12:00 AM

米寿ゆえの告白
この歳になるとすでに、
私のほぼ叔父・伯父・叔母・伯母は逝きました。
ところが、まだ矍鑠とした八十八歳の伯父から手紙を受け取りました。
打ち明けられたのです。
伯父は終戦間近に徴兵された事務兵だったとか。
広島に赴任してある日、瀬戸内海に漕ぎ出した時に、閃光と爆音で海に投げ出されたとのことです。
ともかく泳いで泳いでフラフラになりながらようやく陸地に上がると、
そこは地獄だったこと、その描写が書かれていました。
伯父は被爆者手帳を持ちながらも、
そのことはこれまで一切話してこなかった理由も書き添えられていました。
あの伯父の戦争体験を知りました。
被爆者であったことや、連日の死体処理を泣き果てながらやり通したこと。
今日まで、被爆の後遺症に六十数年間、一人で怯えて生きてきたことでした。
そして米寿となり、これで、やっと甥の私はじめ家族みんなに初めてこのことを明かして、
ヒロシマのあの日を語り継ぐ決心がやっとついたとのことでした。
私の父も日華事変で徴兵され大東亜戦争勃発のまま、
満州・蒙古・中国から最終はインドシナ解放戦線で「明号作戦」に関わり、フィリピンに抑留。
帰国したのはすでに28歳だったことだけは、私が大学人になるときに語ってくれました。
晴耕雨読の毎日は「明号作戦」の詳細を書き残す日々でした。
あってはならないこと
終戦から65年という月日は、経済的な景気はどうであれ、秩序ある日常に、
私は生きてこられたと思っています。
それでも私にも、敗戦のトラウマは残存しているようです。
「戦争には勝ち負けがあり、負けたらすべての責務を背負うこと」。
これが最大の問題ではありません。
秩序ある平和な日常の大切さは、
かっての敗戦経験者から聞き取り学びとるべきことがとても重大だということです。
原子力を戦争抑止力にまだしようとする国家の存在があります。
それどころか、国境をめぐって、またとうとう爆撃をやり合う時代に入るのだろうか。
こうしたまったく暗闇に私たちは誘い込まれるのでしょうか。
人間の根源的な悲劇性と壮絶極まりない「哀しみ」に直面しているのでしょうか。
得体無き、恐怖感を覚えます。


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