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Posts Tagged ‘クラウゼヴィッツ’


『資本主義からの逃走』
    「もう一度、『情報』意味の徹底検証」


   


     10月 19th, 2010  Posted 12:29 AM

情報は訳語
これまで蔓延してきた「情報」の意味、
その原意をしっかりとまとめ直しておきます。
   1■ 「情報」は森鴎外の訳語だったという事実
   2■ 「情に報いる」という誤った意味解釈の影響
   3■  日本語「情報」の原意が歪んだことの功罪
森鴎外・「大戦学理」
1. 森鴎外は軍医であり、文学、小説家であったからこそ、
訳語を与えることができたという事実は、もっと明らかにされるべきでしょう。
クラウゼヴィッツ「戦争論」の邦訳を森鴎外が行っています。
彼は「大戦学理」という中で「情勢報告」=「情報」としていたという事実から、
もう一度、言行される「情報」という言葉周辺をみなさなければ、「情報革命・情報化・情報社会」
そして、「情報空間」そのものが大きく歪曲してきたのではないだろうか、
という危惧感はぬぐえません。
あくまでも、情報という言葉は戦略用語であり、
これはとりもなおさず、対外的にはコミュニケーションを断絶し、
対内的にはコミュニケーションの了解と共有が起こるという、
何が対外であり、対内でのコミュニケーション、
この相反軸を常に変動させる要因を示唆している言葉だということです。
情に報いることは情報ではありえない
2. これまで情報は、「情に報いる」という、
あたかも情、心、気持ちの共有性という意味に、
大きくて多くの共感性あふれる意味性で解釈されてきました。
しかし、もし、情に報いるという意味なら、漢文的な統語形式ならば、
「報情」でなければなりません。これなら、レ点が入ら無ければなりません。
「報レ情」ならば、情に報いるという解釈が可能です。
また、「情」というのはきわめて感情、や情緒性などの意味が包含されていますが、
この解釈には、基本があります。
忄(りっしんべん=心)+青(あお=中国古典解釈はくろであり、どろどろとした汚れ)
=こころの中に汚れたものが流れこんでくるという状況、という意味です。
となれば、情に報いるという、あたかも清廉で清心な気持ちのやりとりという意味は、
真逆の解釈意味を与えたことになります。
再度、「情勢報告」=「情報」にもどれば、情勢=対外での事変を報告するという、
「報(報告)する情(情勢・情況)の正確さを確認することができます。
情報と意識のバランス
3.しかし、これまで情報を情に報いると、
いわばパロール的=会話的な解釈論にもメリットがありました。
それは、わが国のコミュニケーション、たとえば以心伝心的な、
相対する間での分配に「情」を配置した功は、
「情報革命」を「意識革命」=ドイツ的な解釈性に重なっていることです。
けれども、情報=意識への要因注入は、あきらかに性善的解釈だけを大きくし、
情報が伝達されていく怖さ、すなわち性悪説的な、
情報操作される危険性を度外視することを見逃してしまったことも事実=罪でした。
「情報」の形式と内容、
その均衡性=バランス感覚や情報の処置性と処理性が破綻していることに気づくべきでしょう。


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『資本主義からの逃走』
「Media Integrationからアフェレーシスを経るだろう!」


   


     9月 18th, 2010  Posted 12:00 AM

「情勢報告」=情報
「情報」という日本語に向き合ってきました。
いつごろからだったかと考えると、明確には東芝入社時に、
FORTRAN とCOBOLの研修を受けた時からだと思います。
そして、ポストインダストリー=脱工業化社会論は、
ドイツから出版された「意識革命」だったと思います。
そして、情報が森鴎外の邦訳語説に出会いました。
ところが、超有名大学教授から猛烈な「反撃」を受けました。
ちょうど、私が名古屋市立大学教授になった時でした。
驚愕し無論この教授がこのような方だったと愕然とし、私も反撃してこの発言をし続けてきました。
しかし、私はこの反撃が直感で誤りだと感じていました。
森鴎外のクラウゼヴィッツ・戦争論の翻訳・「大戦学理」にある
「情勢報告」を「情報」としていると金沢での第15回日本VR学会で教えていただきました。
しかも、私が講演で「情報は情に報いる」という事自体が大きな過ちだという指摘には
大賛同をしていただきました。
情報が情に報いるなら、表記は「報情」でなければなりません。
しかも、「情」には古代中国の文字定義意味があるので中国古典書定義からは、外れてしまいます。
「情」とは心に中に流れ込むどろどろとした「青」(中国ではこれは黒です)ですから、
人間の策略や謀略を意味します。

apheresis

したがって、戦争での情勢とは戦略の動勢を探って報とし伝達するという意味になります。
そこで、これまで一部で語ってきたのは、「アフェレーシス」でした。
これはギリシア語・aheresis=「分離」を意味しています。
現在、アフェレシスは医学術語で「血液分離」として人工透析などの基礎用語になっています。
そこで、私は、「ユビキタス」=どこでもコンピューターとの対話環境がある、
となれば、「情報の分離」が必須になるということで、アフェレーシスという段階が必至であり、
このステップ経なければならないということを若手ベンチャーの指導者にその話をしてきました。
「情勢報告」=「情報」も分離して、プライオリティが必要だということです。
そこで、「情報社会」ではアフェレーシスが重大になると自信をもって発言します。
私がMedia IntegrationからMedia Allianceへのステップにaphereis、
その分離ダイナミックスが重要になるという提案です。
「戦争論」は資本論にとってもエンゲルスが絶対に参考にすべきと言われた論理でしたが、
クラウゼヴィッツは、「戦争論」を書き上げることはできなかった論理でした。
私は、情勢の分離が知識と意識にどのように影響していくかは、
当時はまだ熟考不足があったものと考えます。
戦争論理でいえば、「孫子の兵法」が見事に言い尽くしているというのが私の判断です。


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『資本主義からの逃走』
  「Media Allianceが果たしてくれそうなこと」


   


     9月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

コンピュータが消える日
マイクロソフト社が、Windows7の発売を前に、
この私に講演を依頼されました。
Mac派の私を、なぜ?とまで思いました。
そこで「コンピュータが消える日」という講演タイトルでは、議論に議論でしたが、
タイトルと内容が大きな見通しということでOKしていただきました。
ユビキタス・クラウド、では次は?、ということになります。
ユビキタスを追いかけているもうすっかり著名なベンチャーには、
あるコンセプトを話してありました。これはまたここでまとめていきます。
そして、Media IntegrationからMedia Allianceへというところに私の発想はたどり着いています。
ちょうど、金沢での日本VR(Virtual Reality)学会にて講演をしました。
その準備で、Ambient=情報空間までの系譜を、調べあげました。
そして、ちょうど阪大で浅田教授のVo-Calという「音声発生ロボット」のデザイン、
これも私の研究室の大きなテーマですが、
VR学会で浅田教授の講演にその内容がまとめられていました。
研究室では、無駄話ばかりしていたと思いましたが、それがやっとまとまった気がしています。
Mediaには、ロボットの存在も大きく介入してきます。
ロボットとの協働・情報空間
したがって、すでに、空気のような、水のような、日常まったく無意識ながら、
人間を取り囲む情報空間で、提携や協働=Allianceするのは、
非在化したコンピューターとロボットになっていくことは間違いないでしょう。
「情勢報告」=情報・森鴎外の邦訳
「情報」もかねてより、森鴎外の訳語であり、
決して「情に報いる」という解釈は間違っていると主張してきました。
この発言は、ある有名教授にFAXでも、散々にやられましたが、わたしも相当やりかえしました。
「情報とは情に報いる」という解釈はまったく間違いです。
森鴎外が翻訳したクラウゼヴィッツ「戦争論」に明確に、
「情勢報告」を「情報」としているということを教えられました。
リアルな存在としてのロボットとバーチャルなコンピュータの協働=アライアンスを、
これから私は、焦点化していく決心がついたということです。


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