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『資本主義からの逃走』
「資本主義という宗教・宗教としての資本主義・1」


   


     11月 16th, 2009  Posted 12:00 AM

不干齊巴鼻庵という人物を知っておられるでしょうか。
日本の神を全否定した人です。
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破堤宇子・ハビアン 1868

ハビアンというクリスチャン名で、
出自としては禅宗からキリスト教に転向したようですが、
その経歴などは不明です。
キリシタンの文化的知識人としては、
「妙貞問答」による、キリスト教の優位性を
仏教と儒教に対して論破した力量に、
私は確かに敬服します。かの林羅山も、
彼との論議では一目置いたとも言われています。

しかし、この「妙貞問答」は、徳川家康によって、
あらたな仏教・儒教・武士道によって、
対・キリスト教への確実な理論武装を与えたと思います。
なぜなら、織田信長は、仏教による武装勢力を焼き払い、
キリスト教文化には心惹かれながらも、
日本の防護にのみ利用しました。秀吉もこれを見習い、
キリスト教との距離感を、いつでも問題視しました。
茶道によって、信仰はあらためて自然信仰にもどりました。
これは千利休の国家策略だったことも大きな力でした。
私は千利休はグランド・デザイナーだったと判断します。

家康が明らかに、仏教・儒教・武士道・対・キリスト教を
国家治世手法としての宗教力・信仰力の制御に、
実際的には「妙貞問答」はマニュアルだったと思います。

私は、この日本独自の「対・キリスト教」信仰心制御は、
対・資本主義に対しての大きな過去の歴史の知恵です。
あくまでも、資本主義の基盤は、キリスト教信仰です。
キリスト教信仰の「勤勉さ」と、
仏教、あるいは神道での「勤勉さ」の大きな違いを、
今、再検討することが
日本の経済主義志向を決定するでしょう。
日本人の「勤勉さ」は、まさに「お天道さま」なのです。
「お天道さま」への自己の
「働きがい」と「生きがい」です。
ここに、「経世済民」があるのです。
G6・G7=資本主義経済連合において、
わが国だけ、キリスト教を背景にしていないことにこそ、
資本主義から、離脱と逃走が必ず可能だと信じています。

つまり、日本こそ、世界への「経世済民」を示せます。
自然とともにある「神の国」という思想を
再度復活させることです。

「神の国」とは戦時中のプロパガンダ用語ではありません。
ハチマキをして、「神の国」には必ず「神風」が吹く、
というような幼稚さやアジテーション行動ではなくて、
「神の国」という自然と人間が共生=ともいきできる
知識・知恵・思いやりの世界観思想化を意味します。


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