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『資本主義からの逃走』
 「貨幣感覚が地価からクレジットカード=Bitsへ、
  これが危ない!」


   


     1月 29th, 2010  Posted 1:01 AM

とち・かち・いのち

特に日本人は「土地」とち=に価値と命まで重ねます。
資本主義が利潤をなんらかの差異性や差別感覚に、
すっかりと置き換えたときから、
「伝統的な」、品格と美学性を失い始めました。
そしてそれが資本主義の自由競争だとさえ、
虚妄的に思い込みが正当化されました。
私が、デジタル社会orBits社会という制度生理に、
なんて思っていると、それはとてつもない蟻地獄です。
負債は土地価値=地価をつりあげます。
そして急転落を仕掛ける機関を政治も見逃します。
地価が暴落することは、この半世紀繰り返されました。

地価暴落は「変」!

しかし、これが「変!」ということも、
今度は時代生理になって、経験値が出てきます。
そして、債務・借金は、「見えなくて触れない」、
にもかかわらず、その正体はクレジット=Bitsです。
かつて古今東西、貸し手は借り手が返済可能な範囲で、
貸し手の利潤に論理性を品格・美学を持っていました。
それは、100円貸したら、
200円までを限界として、利息・利潤を、
時代生理と社会生理にしていました。
資本主義のスタート時には、
このルールはまったく健全だったと考えて正解です。
バブルがどうでした?
バブル崩壊がどうでした?
サブプライムはひたすらの利潤追求でしょう?
金融取引って?
自由資本主義社会に関わらず国営企業はつぶれない?
なぜ・・・・・?ですね。
こうした基本にBitsの計量経済が影響してたことは、
間違いありません。
クレジット金融は、スパイラルな蟻地獄です。
スパイラルな蟻地獄は、本来はアナログだったのに、
なぜでしょうか?
決して、
Bits社会とBits時代を信用=クレジットするなんて、
品格も美学も失います。

利潤限界と利潤限度の制度化=クレジット・リデザイン

利潤に「制度としての限度」をBitsで決定する、
それはもはや政治では不可能です。
デザインという職能だけが出来るはずです。


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