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Posts Tagged ‘クロノフィリア’


「唐津くんちに願いをかけて」


   


     3月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

ローカル=地方、あるいは鄙にこそ、
日本の伝統は息づき、そしていまなお継承されています。
唐津では、その伝統的祭りの「唐津くんち」・曳山の展示館を見ました。
「唐津くんち」もまさしくこの地方の陶磁器産業興隆と同時期、
1600年代中期からの祭事でした。
もっとも、日本各地にはこうした曳山という山車が
祭りの中心になる所が数々ありますが、
祭り時でなければ見られませんが、
展示館があればいつでも見ることができます。
しかもその展示館前に唐津神社がありました。
この山車にも、
しっかりと3.11からの国難に立ち向かう願いの山車がありました。
こうした各地にある山車、特に、九州には三大くんちがあると聞きました。
「くんち」=おくんちは、旧暦の9月9日の九にちが語源のようです。
したがって、「唐津くんち」は11月2,3,4日、地元は燃えに燃えるそうです。
佐賀県知事も唐津出身ゆえにこの祭りが
子供の頃から最大の関心事だったと前夜聞かされました。
漆の一閑張りで造りあげられた山車=曳山の大胆な造形に心惹かれました。
ローカルはまさにトポフィリア=場所愛の「まち」です。
この祭りも本来は火消し役であった装束がそのまま残り、
決まって、地元の消防団組織と連関を持っているようです。
日本各地の伝統行事である「祭り」は、
都市化=クロノフィリア=時間愛によって衰退する現象がありますが、
やはり、トポフィリアである=地元愛を具現化する消防団組織、
そのボランティア組織で守られていくことが最良と考えます。
明日から、私は、被災地に「までい-Project」のプレゼンに入ります。
壮大なデザイン計画を持ち込みたいと考えています。
唐津で撮影してきた写真を整理し、特にこの「唐津くんち」曳山にも、
日本復活の願いがありました。
40年のデザイナー経験を生かすべき、
今夜もプレゼン資料づくりをしています。

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『資本主義からの逃走』
  「花綵を断ち切った、都と鄙
           けれどもNetwork社会に希望」


   


     12月 8th, 2009  Posted 10:00 AM

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米国に従属してしまった日本は分断された。
戦後生まれの私には、
米国のあらゆるモノが眩しかったのです。
大きな冷蔵庫、自家用車、電化製品、・・・
そして、「アイビースタイル」で、ファッションを、
それこそネクタイの結び方まで学びました。
正直、60年代の「安保闘争」を田舎のTVで見つめる時、
日本が壊れていく、そんな東京でのデモ行進の異様さは、
とても、悲しかったのを覚えています。
70年代には、まさに、私も大学生になっていました。
完全なる「ノンポリ」でした。
むしろ、学生運動に走る連中を殴っていました。
それよりも、音楽やデザインに、心惹かれていました。

やがて、知るのです。
三島由紀夫の切腹が訴えようとしていたことに、
私は目覚めました。「日本が壊れていく」と・・・
明らかに、東京一極集中は日本を分断していきます。

私は、北陸の地方都市から東京を「対象化」しました。
そして、「雛美人文化論」を心底にしながら、
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伝統工芸産地に、「デザインの導入」に関わります。
やがて見えてきます。
「鄙」と「都」の関係です。
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明らかに、唯一の「都」=「東京」には、
「クロノフィリア(時間偏狂者)」が集中していきます。
一方、日本全国の地方都市は「鄙」と化します。
そこでは「トポフィリア(場所偏狂者)」で、
「土地自慢」こそ「地方の活性化」だという偏狂さです。
今なおこれは歴然とした、
「資本」としての「土地」感覚そのものです。
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「都」での金融資本と、「鄙」での土地資本が意識分断、
すなわち「花綵の国」は、金融資本も土地資本も、
価値を喪失して、私たちの心まで分断しました。

ところが、
情報時代=ネットワーク社会」は、この分断を、
新たな「花綵」にしてくれるのかもしれません。
すでに、「都」も「鄙」も、
ネットワーク社会=意識社会によって、
「bit資本」が、金融・土地・資材・食糧に至るまで、
「花綵ネットワーク社会」が創出されるでしょう。
私は「逃走」します。
それでも明らかに私の「希望」は、
このネットワークが、再び「花綵の国」へと、
デザインが導いていくものと確信している次第です。


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