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Posts Tagged ‘サラリーマン’


03月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 26th, 2018  Posted 12:00 AM

03月26日 大安(丁巳)

したがって、
商品担当者自身の商品への愛着や感情が
まったく感じられないものが多かった。
いかにも機械的に、
サラリーマンとして仕事をこなしている。
デザイナーといっても、
それはデザインのような
仕事をしているサラリーマン、
という印象だけが残っている。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


   


     1月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

美大を卒業すると教授命令で東芝に就職しました。
教授は他企業は認めず、(今ならパワハラ?、教え子には命令出来ず)
もし他企業ならば卒業させないとまで言われました。
しかし、東芝から始まったサラリーマンデザイナーは最高の日々でした。
サラリーマンではない、ビジネスマンになるならと、
トレーニングを上司達に教えられてきました。
僕を使いこなしていただいた上司達はすべて恩師達です。
にも関わらず、
僕は出張をすれば、ついついその地に泊まり過ぎたり、
遅刻は余りにも多いのでとうとう自由出勤が認められました。
けれども「四番バッター」と言われて入社したので、
ヒット商品は必ず出していたと思っています。
幸いにして、オーディオ分野専門であり「Aurex」のロゴも僕のデザイン。
「Aurex」での僕のデザインは今もオークションで手に入ります。
ほとんど所有しているので金沢21美術館の個展で紹介できました。
現在、東芝は企業として深刻な事態にありますが、
その理由は、顧問をしていたこともありほとんど解っています。
私のようだった東芝マンが当時は存在していたのです。
おそらくこのようなことは決して許されない時代になっているのでしょう。
入社して銀座で飲んでも、社員証でツケが効いた時代でした。
何と言っても僕のビジネスマン的やり方も
なんとなく認められた時代でした。
僕のひらめきは企業ルールをこっそりと変えてしまいましたが、
まあまあ叱られても決着してもらっていました。
電車で通勤すると、時には「電車事故」といってダイヤが変わります。
そうなると、タイムカードに「電故(電車事故)」というハンコを押します。
これをヒントに僕は「バ故(バス事故)」というハンコをモデル費で作成し、
自分だけのタイムカードに押していました。
多分半年目に労働組合にバレてしまい、大説教を受けました。
無論、デザイン部長(電器釜デザイン)にも叱られましたが
発想は認められた、そんな時代でした。
東芝は交通被災で辞職を余儀なくされましたが、つい4、5年前に、
オーディオ事業部OB・OGの「音友会」で挨拶をさせてもらいました。
東芝にはすでに教え子がデザイン部で活躍していますが、
かつて僕が天衣無縫なビジネスマン時代はすっかりと失われました。
入社した翌年「オイルショック」、退社して「バブル景気とその破綻」、
「失われた20年」という日本経済の転落とともに在った時代に、
僕の生涯が乗ってきましたが、
「バ故」というハンコが認められた大らかな日本の時代こそ、
日本が元気いっぱいの歴史を創り上げていたのだと思います。
「天衣無縫」な時代を失うことは、
時代と社会が歪むのだと思わざるをえません。


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『ベンチャー企業を再考する!・カンブリア宮殿特番に出て』


   


     1月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

わが国で「ベンチャー企業」が喧騒化されたのはIT企業の登場でした。
それは「デジタル社会が後押しした」イノベーションイデオロギー、
その大誤りの読み違えだったと私は思うことができるようになりました。
まず、「イノベーション=技術革新」ではないこと。
IT企業が寄りかかりすぎたインターネット社会観の悪弊。
そして、大企業経営者が失った信頼感があります。
シュンペンターに戻れば、技術革新ではなくて、組織の官僚化と企業論、
この思考を存分に高めていけば、イノベーションの本質が見えるはずです。
しかし、ほとんどの人にはその本質知らずが蔓延しています。
私はこのことこそ、日本株式会社がまさに倒産した事実だと考えます。
そして、デジタル社会の具体的な象徴はインターネットでした。
このインターネットに寄りかかりすぎたベンチャー企業は、
やがて消滅されるのに30年も要さないことでしょう。
今ではおそらくすべての大学には、
あたかも就活以上に「ベンチャー企業の起業化促進」こそ教育、
そんな風潮がまかり通っていますが、これは「大間違い」です。
これを促進させたのは、わが国大企業の経営者たちの「器の小ささ」です。
誰だって、サラリーマンという儚さは嫌なはずですが、
それをそのままにしてきたわが国の経済界の大失態があったことです。
敗戦国家であっても、ベンチャー企業として認められてきたのは、
「HONDA」と「SONY」だけでした。
それが世界経済で容認されてきた真の理由を知るべきです。
私は最近KK塾
デザインコンサルタントとしてそのことに注力しています。
つまり、「デジタル社会」は人間らしさを自然から剥奪してしまいました。
人間らしさを「ベンチャー企業起業化」には、
イノベーション・デジタル・インターネットから開放されるべきです。
明確なデーターがあります。
● ベンチャー企業が1000社生まれても2.8社しか30年後には残りません。
● しかし、300年以上の企業が3000社日本には有ります。
この二つの対照的な事実に、ベンチャー企業起業ブームを再考すべきです。
300年の歴史ある企業哲学にはすべての共通哲学があります。
昨日、ロボット学者森先生の講義で、私は改めてこのことを確信しました。

【カンブリア宮殿】
・放送予定日:2014年1月9日(木)よる10:00 – 10:54
・放送局:テレビ東京系にて放送
・詳細はこちら>>


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「2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない」


   


     12月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

私は基本的に、予定調和論などは信じません。
しかし、統計的な崩壊の予測は
それなりの実感が重なればそうかもしれない、と思います。
私自身、大学に関わってきました。
大学人になって17年、名古屋市立大学と大阪大学でその立場になりました。
それ以前は、
母校やその他の大学で非常勤講師や客員教授を務めてきました。
幸いなことは、どの大学にしろ、
それなりの能力評価を受けて入学してきた学生ゆえに、
基本学力的なことではまったく心配はしませんでした。
しかし、精神的なことや高校時代までには知識というより、
常識的なことを知る学生は年々減少、
若者能力が低下していることは否めません。
そして、大変な教授の苦労は学生たちの就職問題です。
その時期、その時代の経済的な動向を就活ではまともに受けていることや、
企業の人事採用にあきれることも随分とありました。
日本の企業力の低下傾向やサラリーマン社会となっている
大企業の実態を知ることで、
わが国の国力の低下を直視することが数多くありました。
さて、問題はもう「少子化」影響が明確に現れてきています。
今年は、大学就学生が180万人だったと聞きます。
ところが、2018年には108万人となると、
特に私立大学の倒産が一挙に起こるという予測があります。
もっとも、大学レベルの設定が、私にはよくわからない偏差値で、
偏差値40というのは、高卒能力すら備わっていないはずですが、
大学への就学希望は年々高まっていて、
そのランクの大学48%は、学生が集まらないだろうとさえ言われています。
今、小中学校の一学年が平均120万にしかいないわけですから、
この「少子化」は、日本の大学制度から破綻していくのでしょう。
私は、47歳で大学人になり、「大学設置委員会」での教授資格は
名古屋市立大学に博士後期課程設置に関わることで、
大変に厳格な資格審査を受けました。
その厳密な厳しさが大学制度にあることは容認しますが、
商業主義的に「私立大学」が設置されてきたことは、
あまりにこの「少子化傾向」を見過ごしてきた官僚や
審議委員のいい加減さは罰せられるべきでしょう。
こんな人が審議委員だと随分見てきました。
2018年、私は大学崩壊を目の当たりに傍観していることでしょう。
なぜなら、私はその時、69歳になっています。
日本の大学は「制度」根本が変革される時期到来だと思います。


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「TEDxOsakaUでのプレゼンテーションは態度と姿勢だ」


   


     10月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

研究室とオーザックスタッフ、元スタッフ総出で開催します。
私のテーマは、3.11の復興計画と南海トラフ、
「までい-Project」を
PKDにまで連動させることのデザイン運動の紹介です。
ようやく、政権内でも新閣僚になりましたが、
「までい-Project」は大臣にもプレゼン、
その前には石巻市にも出向きましたが、まったくの徒労でした。
新政権になったら、
これまでの事実はしっかりと記録し発表する覚悟でいます。
ともかく、私は、デザイナーですから「絶対に実現」を目指していますが、
大臣も、官僚も、大企業の経営トップたちとサラリーマンには、
結局、彼らにとっては「他人事」だとつくづく思い知らされました。
TEDではそのような愚痴をプレゼンするつもりは皆無です。
あくまでも「前向き」な態度と姿勢を堅持するつもりでいます。
したがって、ビジュアルプレゼンテーションも、
すべて、いつものように「自作」に徹しています。
時々、私のプレゼンはスタッフが作成していると見られますが、
どのようなプレゼンテーションであっても、
「すべて自作」は大学人になってからもやり通してきました。
だから、
Keynoteの使い方やTipsは相当に自分で磨き抜いてきた自負があります。
3.11は、日本人の私たちに、
自然の力と原子力技術の未熟さを思い知らされました。
よって、私たちこそ、この地球環境の保全と、
最新技術と日常生活を世界に向けて発信できると考えます。
2004年から提案しているPKD=Peace-Keeping Designも、
経皮注射器から経肺接種ワクチンへと進展させています。
私たち日本人こそ、
未来の地球環境や世界的な問題解決を
沢山の同胞を失なったことで熟知したのです。
 
・「共同幻想」にはしない
・「共同謀議」には持ち込まない
・「視覚的情報化」を真摯に伝達する

私が「TEDxOsakaU」・阪大主体化に込めた決意です。
そして、阪大を退官後もこの活動は「実現」することをめざすでしょう。
危機管理デザイン賞」を創設したのもすべて
この一連の活動に連鎖しています。
「私的な想い」を公的にする使命は、
「公的立場たる者」では、私的な感情だけが優先しています。
これぞ、「後凋の心」しかない輩=チャラケた連中を払拭するつもりです。


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「君の居場所・coppers早川(篤史)作品「KAIJIN 75」」


   


     9月 10th, 2012  Posted 12:27 AM

届いていました。
先般、松屋銀座での個展ギャラリーに2日通いました。
本当に久しぶりにアート作品を求めました。
早川親子の鍛金彫刻作品です。
アッと思うほど、惹き付けられました。
その夜に、あの作品群の中のアレを、
わが家のやっぱりスピーカーシステムJBL4343の上に置こう。
そう決心すると、ともかく会議前に求めておこうと決めました。
正直、仕事中も、
すでに自宅に作品が来ているイメージが常に浮かび上がっては消える、
そんな繰り返しが起こっているのは、
仕事への情熱を演技している連中への怒りを抑えられました。
「大企業病」というのは、
大企業にぶら下がっているサラリーマンの罹病だと定義できました。
それに引き替え、早川親子(父と息子)の作品は、
父がまずは師匠でありながらも、息子さんは二代目でも無く
この親子の強烈なライバル関係が清々しいのです。
この作品は息子さんの作品です。
生きている実感と社会での役割を凜と果たしているのです。
それが見事に作品に表れています。
彼らは、三重県で制作活動をされています。
いわゆる芸術関連の学歴などは無いそうですが、
そんなことはどうでもいいことです。
ところが、芸術系の学歴の無いことから作品への上から目線の人や、
この作品をロボットにして動かしたらとか、
LEDで光らせるべきと忠告されるそうです。
私はアート作品へのそのような期待は、
まあまあ一般的興味が膨らんだだけに過ぎないことだと思いますが、
つまらない鑑賞の仕方だと言っておきます。
もちろん、銅と真鍮という素材加工の技術性やその染色方法は、
高度でオリジナリティが存分であることが基本です。
しかし、もっと重大なことは、
「作品を私物化」したときに、その物欲と美学的な満足度を
どれほど真剣に「日常化」していく決心と作品への憧憬です。
私にとって、買い求めてまで側に置いて毎日眺めるのは、
常に、眼を透明にできる作品と出会うことです。
この作品は、これから私と一緒に、
私のオーディオ=耳と眼が共時性を持って、
生きている確認ができることです。
これから、この作品と対話したことも書き残したいと思っています。


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「また、新たな展開だ・・・」


   


     8月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

2001年、私は彼と出逢いました。
その年に私はGマーク選定の総合審査委員長でした。
商品内容について、説明を求める審査に加わりました。
その会場に、まるで異様な若者集団が現れました。
サラリーマン的なグレー色の中に、
髪は緑や金髪で、ロックグループのような若者集団でした。
だから、私はようやくGマークにも
このような集団が来てくれることをとても嬉しく思いました。
その集団のリーダーは、当時、25歳だったと思います。
彼も、指輪してブレスレット、長髪の私が
審査委員長だったことにビックリしていたと後で聞きました。
部門別審査委員会では、彼らの商品には、
「インタラクションデザイン賞」と
グランプリ候補にと、すでに決めていてその確認でした。
私は、彼らに聞きました。
「どこで売るの?」、と。
「秋葉原です」
「じゃ、秋葉原ではインタラクションデザイン賞では通じないね」
「でしょうね」
「分かりました。分かりやすく『中小企業庁長官賞』なら?」
「それなら説得しやすいかも」、ということで、
グランプリ候補にもなりました。
授賞式では、私は大企業に向けて、ある演説をしてしまいました。
「商品説明が時代遅れになってきています。
是非とも『デジタルステージ』の商品内容、
特に取説に注目してほしい」と。
結果、「取説だけほしい」と言ってきた大企業があったらしいのです。
もう彼は一児のパパとなり、
まさにSNS時代の寵児になっています。
原発問題でもさかんにオピニオンリーダー的発言をしつつ、
彼のUstは、websiteづくりにはたまらない人気番組になっています。
改めて、新作を出しました。
まだ内容は確かめていませんが、
それ以前に仕上げていた著作もヒットしたようです。
私は、彼を大学で講師に招いたこともあります。
とことん、自分が欲しいモノを実現していくさわやかさは、
今もまったく変わっていません。
大阪で合宿するように彼に求めています。


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1月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 9th, 2012  Posted 10:00 AM

1月9日 先負(己巳)

したがって、
商品担当者自身の商品への愛着や感情が
まったく感じられないものが多かった。
いかにも機械的に、
サラリーマンとして仕事をこなしている。
デザイナーといっても、
それはデザインのような
仕事をしているサラリーマン、
という印象だけが残っている。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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「講演会でも感じ取ってしまう近頃!」


   


     11月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

先日の市長選、そのTVドキュメントを見て、
最もビックリしたのは、元府知事がトイレ使用を
ある場所で拒絶されていたシーンでした。
「独裁者に!、トイレなど貸せるか!!!」、
この横暴な選挙民になり果てた一部の大阪人は情けない存在です。
今回の選挙戦での幼稚な闘争を見ると、
本当に潔い日本人が居なくなったようです。
同様なことを最近、講演会や講習会で感じます。
特に「サラリーマン」しかも大企業の社員たちです。
比べて地方や中小企業、
さらに海外の中国や韓国には礼節と熱心さがあります。
遠慮無く質問は多様にわたり、時には講演時間以上になります。
大企業の社員に限って、
日常的な学習と自己修練が欠落し始めているのか「質問無し」。
最も大企業の経営者能力が日本人らしさを失っているから、
社員に日本人の無礼節さが伝染しているのでしょう。
地方や中小企業では、講演が終われば「質問攻め」です。
大企業の社員は、仲間内の手前もあってか照れ故か「質問無し」です。
もっともそれは私の講演内容に問題があったものと自己反省します。
が、少なからず2画面で16:9、PinPスタイルなど、万全を期しますから、
「質問無し」はショックです。
けれども最近は、
大企業の社員のレベルが低いのだと判断することにしました。
そして正社員しかそうした講演に出席出来ない、
この企業組織問題に連関しているのかもしれません。
企業で、当然ながら専門知識があるはずなのに、
ある質問では、私は本当に驚いてしまいました。
その程度の知識を知らずになぜ「商品化」しているのだろうか、
こんな思いにかられました。
経営者の利益独占に感染しているのでしょう。
これまで、大企業での講演やコンサルを経験してきました。
大学人から解放されたら地方行政から、商店街、
中小企業、宗教界、そして大企業、大学まで、
私が生きた証として、能力性・倫理性・美学性、
さらに礼節性を書き残したいと思っています。
そういえば、大阪市主催の講演会は本当にわずかです。
大阪市活性化を懸命に訴求してきましたが、
「具現化プラン」に向かったことは、
この6年、一度もありませんでした。
大阪市役所も大企業なので、
サラリーマン的症状に冒されていたことは明白です。
福井時代も市や県に向けて批判すれば、
必ず「仕打ち」にあってきましたが、今はまったくなくなり、
よく私の提案やアイディアを受け入れてもらえます。
さて、このブログでの大企業サラリーマン向け発言も、
「トイレは貸さない」というようなしっぺ返しにあうかも?です。
構いません、それは大企業のサラリーマンとして、
「生きていない」ことを自己証明しているのです。
まったく、東北の市町村にはリーダーがいっぱいおられます。
ところが、東京の政治集団はもちろんのこと、
政府・官僚・経財界にリーダーは皆無です。
これが日本の現状です。
地方、中小企業が、日本を再生することは間違いないでしょう。

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『資本主義からの逃走』
「*ファッションそのままデザイン、着こなしのDandyism*」


   


     4月 14th, 2010  Posted 2:13 AM

Fashion
Designを語るとき、ファッションとの関係を話します。
それは、「デザイン」という言葉、
この言葉は「洋装デザイン」として戦後定着したからです。
だから、デザイン・ファッション・流行が一直線上にある、
そのことは至極、一般的な認識であり、常識だと思っています。
そこで私は、この普遍的なデザインファッションについて、
それは現代の大げさに言えば、
資本主義との密接さを語るために記述しておきます。
私のファッション感覚です。
男がファッションを意識し始めるのは、私は学生服からでした。
高校時代には「仕立て」てもらっていました。
中学からの憧れでしたから、
母はその想いをすぐに聞き入れてくれました。
高校指定の規則がありましたが、そのままですが、
校章入りの金ボタンでも、その下はファスナーで、
最上級の布地でした。いわゆる礼服と同等の布地でした。
大学時代には、なるべくスーツとネクタイで登校する友人もいました。
だからジーンズよりも、スーツ姿をなるべきいっぱい見てきました。
企業に就職したら、粋がって、ドレスシャツや、
とてもサラリーマンとは見られないことをしていたようです。

ふるさとに帰ったときは、
如何にデザイナーっぽく見られないか、ということで、
ワイシャツは白、地味なネクタイ、髪も短めを意識しました。
それこそ銀行員のように見られることを戦略と考えました。
二つの理由がありました。
まず、デザイナーという職業は
服装からも「遊び人風」にみられます。
もう一つは、車イスです。
車イスでカジュアルなファッションは、
働いている印象が与えられないとか、
威厳ある姿には見えないのです。
やはり、人は「車イス=障害者=プロとは見ない」
という感覚があります。
私は、イタリア製のダブルで白ワイシャツと、
ブランドものの地味なネクタイ、
この印象が与えるファッションデザインをベクトル化しました。
したがって、ある意味ではデザイン界とか建築界では、
スーツやネクタイを、「自由業的な印象」という先入観で、
ネクタイをしないとか、スーツよりジーンズが、
まさしくプロっぽい、そんなムードがあるようです。
私は、かえって、この選択は間違っていると思います。
Dandyism
最高級と言われるスーツやブランドモノには、
それなりの性能性がほぼ完璧です。だから機能性があります。
それはジーンズの機能性を超えています。
おそらくすべてのブランドのネクタイを試みてきていて、
その「モノ性能」は評価できます。
まさしく、それは、私の万年筆、腕時計、カメラ、自動車への
趣味感と一致しています。ダンディズム思想があります。
ワイシャツもスーツも同じです。
私は、ファッション性としての一面である
「見てくれ・見栄・外見」の効能性、
それが読み取れないデザイナーセンスは疑っています。
この話は、連続させないと、
デザイン論=資本主義論にならないでしょう。


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