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Posts Tagged ‘シンプル’


9月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 16th, 2023  Posted 12:00 AM

9月16日 先負(丁丑)

クラマタの
どのイスやテーブルを見ても、
それらは、単純明快で、
まさしくシンプルであることを
徹底的に形態化しようとしていた。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


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『医と工と美のメガネ』


   


     3月 25th, 2021  Posted 7:00 PM

一見シンプルなデザイン、
それは今までにない機能的な形態を実現したものだった。
100年以上もの歴史を持つ高級眼鏡フレーム製造販売の老舗、
増永眼鏡(福井県・福井市)との協業による作品
「カズオカワサキ・アクト」だ。うたい文句は
「あらゆる人間にとって使い易い“ニンゲンノメガネ”」だが、
これは単に人間工学に基づいたものではないという。
人間工学を踏まえさらに昇華させた
ヒューマン・サイエンシズ・アンド・アドバンスド・テクノロジー
HUSATによるデザインなのだという。
レンズを保持するパーツのリムは、
フロント全体の変形を抑える形に、
テンプルとフロントをつなぐヨロイというバネ部分は
フレームの破損を防ぐとともに
快適なかけ心地を感じさせる仕組みになっている。
テンプルはバネ部分に効率よく力が分散するようにし、
フィットしやすいノーズパッドも
かけ心地のよさをプラスしている。
かけていて心地よいだけでなく、
安心安全をも追及しなければいけないのだ。
川崎さんのデザインは「スマート&テクノロジー」がテーマだ。
今回の作品も最小限のパーツで性能性・効能性そして機能性と
美しさを追求した存在感を具現化したモノとなっている。
単にモノをデザインするのだけでなく
モノの根本的な問題をデザインで解決するのだという。
眼鏡は人間の顔の中で一番大切な個所、
命にもかかわる所に関係している。
医療的な面をもデザインに入れ込まなければ、
常に安心安全に使うことはできない。
そんな不安を払拭すべくデザインが
川崎さんの作り出すモノなのだ。
眼鏡は装飾品と身体機能の補正
あるいは医療機具としてあるべきもの。
よって医学や工学などの専門知識を
デザインでまとめているという。
デザインをする過程においての
スケッチは処分していたそうだが、
後輩たちにもその術を受け継いでもらうために
今では保存している。この新しいデザインの解決策を
将来デザインに携わる人にも伝えていってほしい。


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11月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 26th, 2020  Posted 12:00 AM

11月26日 先負(癸酉)

『指標としてのデザイン』

このシンプルさは
明確に
美学と哲学を
照射していたものだ。

artificial heart:川崎和男展


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10月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM

10月3日 先勝(癸酉)

クラマタの
どのイスやテーブルを見ても、
それらは、単純明快で、
まさしくシンプルであることを
徹底的に形態化しようとしていた。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


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『英国のPDE国家資格にまで連続したハイバックチェア』


   


     11月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

英国にはPDEという国家資格があります。
それはグラスゴー大学とグラスゴー美術学校でスタートしました。
PDE(Product Design Engineering)であり、修士号資格。
これは大学で技術を学び、美術学校でデザイン。その逆もあります。
要は、デザインと技術を共に学んだというデザイナーの称号です。
これを創りあげるために、名古屋に在住していた教授がいました。
そのグラスゴー美術学校は、チャールズ・レイニー・マッキントシュ
(Chales Rennie Mackntosh)を記念した学校です。
マッキントシュの作品では、このハイバックチェアには、
いわゆるデザイン史におけるアーツアンドクラフト運動と
本来は日本発のアールヌーヴォーが彼の椅子に息づいています。
そして、見詰め直してほしいことがあります。
写真両サイドのハイバックチェアは、アールヌーヴォー、いわゆる加飾性。
この加飾性は、室内調度の決定因です。
したがって、室内との調和性が最も問われている作品です。
ところが、中央のシンプルさはマッキントッシュの名作になっているのです。
理由は、空間での存在性だけではなくて、
空間の質を椅子存在が決定づけていることです。
いわば、座るという行為に対応するよりも、
空間質を決定づけていることによって、
自宅でも室内そのもののいわゆる質量までを制御しているということであり、
世界の名作椅子のほとんどは、室内での使い勝手よりも、
室内そのものを演出する象徴的な存在の決定因になっていることです。
結局世界の名作椅子は10点であれ、50点であれそれこそ100点選別しても、
バウハウス時代やシェーカー教徒、アジア:中国の禅所乗物、
ソクタツやテンスからは逃れることができません。
もはや、人間工学で椅子は絶対に語れないことに気づくべきでしょう。
最大の理由は、
使い勝手よりも結局は空間質の決定因が求められているということです。
おそらく、恩師・柳宗理のバタフライスツール、
倉俣史郎のハイ・ハウ・ザムーン、内田繁のセプテンバーを
デザイナーの私はやはり追い抜ける椅子デザインをしなければなりません。

* 『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』
* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 「『闇に座す』=土・立、修辞学的な造形の込めた願い」
* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


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「本当は地味なのに」


   


     4月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

ワイフの多分趣味、あるいは実用なのかは不明ですが、
「髪留め・ヘアークリップ」のブランドがあります。
これは日本国内の有名ブランド街などで見ると、
どれだけ店舗デザインという
いわば一般的には店舗デコレーションに多額の費用がかかっています。
ところが、この有名ブランドのパリ店は、
私がこれで十分だと思うほど、
シンプルで、装飾もなく、ただ漫然としていて、
20年あまり店舗デザインが変わっていません。
だから、ワイフもこの店でしかヘアークリップを求めませんが、
私もこのシンプルさが多分、長い間に変貌していないと思います。
しかし、
訪ねるたびに、
目新しいデザイン(解決という意匠)の新作が仰天するほどあります。
一度、ソォーと彼女の髪留めのコレクションを
写真に撮りたいと思うほど見事です。
プロダクトデザイン、インダストリアルデザインという専門家としても、
「デザイン」の解決策、意匠案、装飾性のバランスを見るのです。
もちろんパリでは絶対に超高額なブランドショップも、
くまなく見ることにしています。
そうすればどれだけその店が優しくて美しいかを、
再確認することができます。
パリは美しい街ですが、車倚子には以前から、
バリアフリーになってはいますが、行動は相当に困難です。
多分、私の車倚子だから走行が出来るのだと確信しています。
これまで、入れなかった場はほとんどありませんでした。
人の手をかりなければならないこともありました。
そして、
車倚子を無視する相手にはいつも堂々と喧嘩を仕掛けました。
嫌なヤツは海外にも必ず居る者です。
そういえば、昔は、
「あなたがそんな喧嘩を仕掛けると、銃で撃たれるから」と、
現地住人の友人にひどく叱られた想いもあります。
それは、胸ポケットに手を入れた瞬間でした。
話がずれましたが、
「髪留め」という言葉、あるいは「かんざし」という日本語も、
そして女性にとっての髪留めのデザインは、
私がデザインしてみたい一つです。
きっと、これもやり出せば、5年はかかるかもしれません。
アイディアは、もう随分見てきましたし、
こんな「かんざし」があってもいいと思っているぐらいです。
そういう意味では、こうした今では超有名ブランドのパリ店、
その「地味さ」には、
真のデザイン理念があると思えてなりません。


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「モダンデザインによる製造の完成度アップ」


   


     3月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

コーヒーや紅茶のソーサーとカップ、
その寸法、容積の伝統的ルールをモダンデザインは解放をめざします。
しかし、瞠目すべきことはモダンデザインの本質表現があることです。
伝統的な形態の容積ルールを乗りこえるためには、
中心的な機能に注目します。
それは、手に持ったときと熱さの問題、
唇とカップとの接触面を改善して機能的な完成度を求めます。
すでにこの作品(INOX)は20年程前に製造中止になってしまいました。
このメーカーはケットルが今もモダンデザインを追求しています。
このデミタスカップとベースはステンレス製ながら、
カップ構造は二重になっています。
そして、飲み口部分の精微な仕上げは手仕事です。
したがって、とても製造コストは市販価格を支えきらないでしょう。
だからもうこのような製品は商品にはならないのです。
しかし、デザイナーは今一度、こうしたモダンデザインの極み、
すなわち、素材・形態・仕上げを学び直すべきと考えます。
カップとソーサーの伝統的なルールをモダンデザインは解放していますが、
主機能としての飲みやすい温度、保温性能、素材など、
その最終仕上げによる製品完成度の質が見事です。
今や経済動向は世界的にもデフレ傾向です。
完成度をミニマムなシンプルな形態に追求するモダンデザイン的な手法、
そうした手法や理念は市場価値を失っているかもしれません。
あらためて、ユーザーの所有価値観と使用価値観によって、
製品価値のあり方の見直しが必要だと思います。
私は、このステンレス製のモダンデザイン、その製品完成度こそ、
デザインの本質があると思っています。

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