kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘シンボル’


6月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2020  Posted 12:00 AM

6月7日 先勝(辛巳)

おそらく、
クラマタにとっての薔薇のシンボルは、
「生」であったはずだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』19 ビュー・ポイントからのミス・ブランチ


目次を見る

6月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 3rd, 2020  Posted 12:00 AM

6月3日 先負(丁丑)

椅子の座るという機能性を
超越した存在性は、
このシンボルとしての価値が必然である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』19 ビュー・ポイントからのミス・ブランチ


目次を見る

『「戌年」の私に10年前発想デザイン使命がやってきた』


   


     1月 3rd, 2018  Posted 12:00 AM

今年は「戌年」であり、私の人生では6回目です。
いわゆる数え年なら70歳になりますから、人生最期で引退となります。
どういうわけか、毎年歳末になると翌年の十二支シンボルをいただきます。
昨年歳末は富山市と関係があって、薬品業界の方から、
富山名産のお酒でしかも十二支シンボルパッケージ入りという限定商品、
それがやってきました。
私にはある動物的な勘があると思っています。
もう10年前に「ドライパウダー薬品」を思いついて、
それで阪大博士課程では、それをテーマにしてきました。
正直なところこの研究が何に繋がるのかは私の中では「いつの日か」、
そんなことを夢見ていたのですが、
「先生、薬品がドライ化するのですか?」と、
この質問を何度も学生たちから受けていました。
これは経鼻型と言って、鼻で吸引してすぐに動脈にという考え方でした。
いくつものいわゆる「出す宛て無しのラブレター」という
私なりのアドバンスデザインでしたが、
きっちりと10年経って、ある薬品メーカーから、
このドライパウダー吸引機器のデザインは見ておられたらしくて、
今年はその開発に入ることが出来そうです。
その使命を持ってこの犬がやってきたのだと思っています。
さらに、この薬品メーカーでの薬剤には、
これも私がずーっと「デザイン不完全」と思っていたモノがありました。
これにも大きな革新を与えることが出来そうです。
おそらく人生最期のデザイン実務の大きなテーマ、
それはまだ誰もが果たしていないこと、
デザインされても私は間違いと思っていた、
そのデザイン実務ができそうです。
それは言語論、形態論、空間論が記号論になるモノだということです。

*「酉年」シンボル


目次を見る

『ザハ・ハディド建築案の反故は日本が壊れ始めた象徴』


   


     11月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

日本は敗戦後、懸命にこの国家をひたすら進歩させてきました。
しかし、現状、この国家はいつから国難状況になってしまったのかを
猛省して回復を成し遂げるべきです。
まず、政権交代があまりに風評で行われてしまったかを私は指摘します。
そこに襲いかかった3.11に天災と人災。
未だ国籍不明の議員による能無しの「仕分け」は、
私自身被害者として「やり直し」を申し立てます。
3.11復興と南海トラフリスク対策を防災大臣にも懸命に図りました。が、
前政権は全く戦略も戦術も無かったと判断しています。
決定的なことは、国立競技場の建設に群がり、予算問題から結局、
建設やり直しが、この国家観を破壊したシンボルでしょう。
私自身、香港の理工科大学に初めて行ったとき、
タクシーから降りた瞬間、この建築の巨大さに
「建築が人間に与える感覚を初めて受けました」。
それが、ザハ・ハディドの設計でした。
そういえば、国立競技場も当時は彼女の建築案が採用されたのでした。
親友である建築家内藤廣氏が
やっと多大な図面制作をする場所を確保したと聞いていました。
ところが、建設費の膨大さにザハ・ハディドの設計案は反故されたのです。
おそらく、ザハ・ハディドの建築案であったなら、
わが国の新しい景観設計は進化を遂げていたことでしょう。
彼女の設計案が取り下げられた直後に逝去されてしまったのです。
最近、彼女のデザインが実現されています。
これは彼女のハイヒールデザインですが、
工業デザイナーとして、自分自身も取り組んだだけに、
このデザインを私は評価しています。
自分デザインのハイヒールは結局実現されませんでしたが、実現されたこと、
その最終形態言語=デザイン意味されている内容あるかたちに、
私はプロとして評価を与えたいと思っています。
最近もある研究所で福島復興の基盤アイディアと実際の現地実験を見せて、
「これでも研究所なのか」と、怒り心頭になりました。
壊れゆく日本という国家は、少子化・高齢化・格差社会だけではなくて、
いつ来ても想定内の天災と、取り戻せない拉致被害者、
日本人が狂い始めた象徴かザハ・ハディドのあの建築案を捨てた時が
極めて象徴的だったと思っています。

* 「仕分けされたプロジェクトの重要性から現政権を否定」
* 「自然との喧嘩・調和などありえない」
* 『「ふくしま」だから未来と絆で、夢のプロジェクトとは?!』
* 「この日からの再出発、再認識」
* 『権威権力者を「演じる覚悟」を見せた建築家』


目次を見る

『京都に隠れ家あり』


   


     10月 24th, 2017  Posted 12:00 AM

京都は私にとってはやはり日本の代表都市だと思います。
東京は私には首都と言っても時代流行の軽薄な都会でしかありません。
日本の文化を支えてきたのは、越前=福井県と美濃=岐阜県であり、
これが文明を伝統化して文化を支援したというのが私の信念です。
なぜなら、京都も奈良も、根本的な文化を支えてきた労働の里=鄙は、
福井県と岐阜県であることは間違いありません。
なぜなら、刀剣、和紙、漆器、陶器は、この二つがあればこそです。
私の母方は、宮大工でありそれは紀州から京都に住み、
関ヶ原にて秀吉と家康に分断され、負けた一族は逃げて越前のもっと鄙に
隠れ住むことでした。
奈良には「お水おくり」があり、京都には「鯖街道」があるがごとく、
都文化を支えていたと言い切れます。
そして私自身、ワイフは京都生まれ京都育ち。
よって、毎月、映画を観ることにして京都には滞在します。
私は身しょう者対応が出来ているのは、日本では京都と金沢であり、
それがなんとも文化を最もシンボル化していると判断しているのです。
そして、これは京都の隠れ家でもあり、スタッフに先般、初めて見せました。
正直、私は家という住処意識は全くありませんから、
これは私の一応隠れ家ですが、ほとんどがいずれはワイフの住処でしょう。
この家の設計は友人の作品でもありますが、
手づくり感を大事にする友人建築家と工業製品感が当然という私、
この対立は、設計から施工にあたって大変な論議をしたものです。
この家が建つ前には、ほとんどが空き地でしたが、
今ではすっかりと住宅地になっていますが、
造形的には平屋建てのたたずまいは美しいと思います。
私は建築デザインよりも工業デザインがどれほど繊細で難しいかを存分熟知。
日本の住宅建築は、工業デザインが主体であるべきと思っています。
だから日本の住宅建築で最も軽視されてきたのは、
耐震性や土砂災害であり、それ以上に、
すべての住宅にはシェルターが必須だったことです。
「家」のパターン・ランゲージで言えば、
日本の住宅には絶対にあらゆる自然災害と防衛としてのシェルターは、
本当に大切だったと今は特にそう思います。

* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 「青い空は動くのです、しかも晩夏の空にアラート不要」
* 『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』
* 「車とエレベーター」
* 『「森羅万象悉く紙なり」とは神と死に直結している』


目次を見る

『薔薇というシンボルから花言葉も消した問題解決』


   


     10月 7th, 2017  Posted 12:30 AM

美大時代に、絵・スケッチが最も下手だった私が練習で描いたのは、
薔薇と菊の花が一番多かったことを思い出します。
薔薇は花弁と茨・棘の関係を最もよく観察していました。
菊は花苞と葉っぱの葉脈でした。
花というと直ぐに、薔薇と菊が練習した思い出に重なります。
47歳の母を見送ったとき、彼女を取り囲んでいた菊は好きではありません。
薔薇の品種改良はとてつもなく進化しています。
薔薇というロマンティックさもありますが、
一時は薔薇の花言葉をすべて暗記していたこともあります。
最も、よく薔薇で女性へのアプローチなどはふやけた男だという意志は、
今でも全く変わりません。
しかし、薔薇それぞれの色を見れば、
最近の映画では、決して間違ってはいけないはずなのに、
花言葉に気づかない監督?や助監督?に呆れることが多いです。
最近はある企業ブランドの薔薇をシンボルとしてきたその理由からも、
このようなシンボル、あるいはマークはあり得ないだろうと思って、
幾何学的にとか、特に化粧品とかの
ブランドマークとかを全て見詰めています。
そして、なぜ人は薔薇にロマンを求めるのかは、
どうも自分には似合わないとか思いながらも、
「薔薇は美しい」対「美しい薔薇」を再考しているのです。
これはあの「花は美しい」と「美しい花」を薔薇に求めているのです。
決して薔薇はあれほどの棘があってもロマン性は傷まないのです。
だから、それこそクライアントがもっと薔薇をシンボルに求めたい、
その気分・気持ちと商品価値性を現代整合性を見直しているのです。
もう一度、菊と薔薇を見直し、さらには牡丹という花など、
花言葉を決めてきた極めて人の物語性的な存在感を求め直しています。
きっとそれはグラフィカルなシンボル性の目印としてのデザインなのですが、
私自身は、花言葉も放れ、ロマン性を翻したそんなデコレーションとしても
薔薇という存在感に問題解決を必ず置きたいと思っています。

* 『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』
* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『注射器はまだまだ痛い』
* 『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』
* 『デザインというスタイリングの二種類』


目次を見る

『代表的なシンボル作品が廉価のために失ったこと』


   


     6月 30th, 2017  Posted 12:00 AM

このサイドテーブルがモダンデザインだろうか、と私は考えてきました。
フランスで1930年代にインテリアとプロダクトデザインで、
当時の建築家にも大きな影響を与えたアイリーングレーの作品です。
彼女は元々アールデコのインテリアデザインに強く拘っていたらしいのです。
建築がコンクリートで無殺風景になりがちになることに、
デザインで、アールデコとデ・スティルをベースにしたデザイナーでした。
ただ活動期間は20年間であり視覚障害になったことから引退をしていたから、
引退後の1960年代からのデザインへの眼差し:批評、批判を探しています。
ともかく、サイドテーブルといえば、
このモノが現代も代表的なシンボルにさえなっています。
したがって、この作品が中国製で廉価になっていますが見分けられます。
それはこのテーブルのガラストップとその端面仕上げです。
最近ではガラスカットで端面処理加工無しは明らかに中国製です。
正直、このテーブルのモダンデザイン形式が
最高だと思っているわけではありませんが、
次世代の日本のデザイナーならば、ガラス端面の仕上げは必ずテーパ無しを
デザイン仕様は遵守して欲しいのです。
日本のモノづくりは、今では私には、
明言すれば「安物づくり」で日本のモノづくり産業は不要です。
ところが、最近では世界的なデザイン賞授賞作品にも、
確実なデザイン仕様がおろそかなモノが出てきました。
家電業界が終焉し、やがては車業界も危うくなると私は予測しています。
もはや私はデザイン審査の機会がかなりあります。
しかも審査委員長であることからも、
ほぼ十年ぐらい前には、ともかく日本製がほとんど入賞してしまい、
海外製をなんとか入賞させないと、
この業界が国際的にならないと、気を回したものでした。
ところが最近は日本製が見当たらないし、盗作は絶対に許せないほど、
日本のモノづくりが低迷しているのです。

* 『若手デザイナーの海外個展を応援する』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 『日本の経済界には「伯楽」がいなくなった』
* 『今年度最終「KK適塾」で基幹産業を紹介する』
* 『Max Billの賞杯があったことを思い出した』


目次を見る

『「森永キャラメル」が多分生涯の必需品なのだろう』


   


     1月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

私は母の教えからでしょうか、全く間食をしません。
また、人間の食感というのは14~15歳で決定しているという説があります。
したがって、食への食感は天性と後天的には環境で決まっているのです。
だから、いわゆる「舌が肥えている」というのは、
本当は先天性と環境だと思います。
そういうわけでしょうか、私にとって、
現代では様々な飴やキャラメルがありますが、根本的には
森永のキャラメルとチュッパチャプス以外はほとんで興味無しです。
だから今でも森永のキャラメルは欠かすことのできない私の必需品です。
美大時代に冬山で食べ物がすっかり無くなったときには、
私が持っていたキャラメルをみんなで回して舐めていたものです。
それこそ、「お前、4回も舐めたろう」なんて笑いあいながら、
ひょっとすれば、
遭難するかも知れないと思った気持ちを全員が誤魔化していました。
幸いに救助されましたが、入山届けをしていなくて、
とても叱られて歩かされて下山した思い出があります。
入山届けを出すことは、「弱虫」とかで粋がっていたのでしょう。
小学校の帰り道に森永キャラメル、その営業所があった記憶があります。
何故、覚えているかというと、
森永の懸賞募集ではたびたび当選していたのです。
絵のコンテストや塗り絵などではバトミントンのセットまで貰ったのです。
ところが、途中で森永のシンボルであるエンゼルマークが変わりました。
ところが、このキャラメルだけは今なお商標登録そのままであり、
パッケージも変わりません。無念ながらパッケージは悉く変わっています。
それゆえに、今でも時々でもなく、このキャラメルは必需品です。
でも、最近、「大粒」というタイプが出てきていますが、
味も大味過ぎると思いつつも、買ってしまうのです。
おそらく、このキャラメルは私の生涯とともにあるのでしょう。

* 「パリで見っけた『ChupaChups』のminiがあった」
* 「やっぱり、チュッパチャプスにもどる」
* 『ジッポーのあかりをデジタルアッサンブラージュ』
* 「金平糖なればこその品格に・・・」
* 「マルチツールナイフをワインスクリューから検分」


目次を見る

『Red & Blue 生誕が来年で100年になる』


   


     1月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

かつて「プラトンのオルゴール」2004年にギャラリー「間」で開催。
これは2006年に21世紀美術館で私の個展となりインスタレーション、
さらに制作スケッチまでが永久収蔵されました。
この展覧会では自分が敬愛し影響を受けた人物12人を選びました。
今、私は自分のデザイン、その原器、原形と呼ぶべき作品があります。
デ・スティルの影響を受けた椅子となれば、それは
「レッド・アンド・ブルー」Red & Blueがその一つになります。
そして、この椅子には自分の思い出、そして私デザインが重なります。
ともかく、最近は○○○生誕100年とか、モノ100年のイベント情報が
必ず香港経由で私に届きます。
そして中国でこうしたイベントだけではなく、
デザイン活動やデザイナー推挙が必ず香港経由で入ってきますが、
私にはこの裏側の政治的目論見=策略が見え隠れしています。
脇道に入りましたが、この椅子の作家であるリートフェルトは、
私のデザイン、造形の大きなアーキタイプになっています。
大きな理由はMoMAで彼の展覧会にて、
椅子から家具の原形を見た経験があります。
そして最近ではこうした椅子が中国製でとても廉価ですが、
自分が所持しているのは、
INAXが1989年のアピールをめざしてコピーと言えどとても高額なこれを
購入するとともに、私はこの椅子を車椅子のイメージモデルにしました。
リートフェルトについてなら、彼だけの造形、
その歴史性・論理性・デ・スティルの関係を講義することができます。
この椅子が生まれて来年、100年になるのです。
ある意味では、この椅子は極めてシンボルであり、
それは100年になるのです。

* 『もし、このデザイナーから学ぶことが無いなら・・・』
* 『アナログプレーヤーをAurexSY-λ88で試用』
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「資本主義から離脱してきたデザイン」
* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』


目次を見る

『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』


   


     1月 1st, 2017  Posted 9:23 PM

日本には十二支という暦があります。
昨年は申年であり、この年、世相はめまぐるしい事件が多発しました。
さて、今年ということなると昨年以上かも知れないと聞きます。
毎年、この年十二支「酉年」のシンボルを探します。
「酉年」となると私には鶏が思い浮かぶと同時に、
美大時代には、生きている鶏を2人が一組になって、デザインストロークで、
B3サイズでまず、徹底的なデッサンをし、それから平面、そして
立体にするという「スタイライゼーション」を
ほぼ一ヶ月間厳しい訓練を受けました。徹夜の連続。
最後はこの鶏をさばいてコンパをして食べましたが、現代では無理でしょう。
さて、今年の「酉年」、そのシンボルはいくつか見つかりました。
特にモダンデザインでは著名な作品がありました。
そしてこの二人のデザイナーの仕事は「エッ」て思うほど、
ある素材に拘っていたのです。
ものすごく驚きました。昨年末に入ってようやく日本の基幹産業を発見、
「KK適塾」で発端を紹介し、今年からその詳細に入るとともに、
「基幹産業」の創成、その詳細を伝えていくつもりで、
昨年末もその実験を招聘教授と確認しました。
そうしたら、今年「酉年」シンボルを名作にした二人のデザイナーも
とても大きな興味を持っていて、まだそれらを実現したモノや、
新たな提案はありませんでした。
(そうか、やっぱりここに!)これが年頭の私の想像力になっています。
ついでながら、若いデザイナーは名作を覚えていない風潮があり、
そこで平然として、ジェネリックプロダクト、
これは盗作だということに無頓着になっています。
私は厳しく、こうした風潮に立ち向かう覚悟です。

* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』
* 『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
* 『「造形思考」はイメージの表現=造形への音楽的理論がある』
* 「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


目次を見る