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『資本主義からの逃走』
 「連帯感と拘束感は同じ触感で、歴史かもしれない」


   


     10月 17th, 2009  Posted 7:00 AM

私はデザイナーだから、
イデオロギーも、
「イデオロギーのかたち」を想ってしまいます。
つまり、「イデオロギーというかたちの構造と機能」
という具合に考えると、
前述してきた図解という「形」に当てはめて考えます。

私は、デザイナーという職能を選んで生きてきたので、
「常に、かたち=形」が頭の中=イメージにも、
目の前=リアルに在ってほしいのです。
また、「かたちというイデオロギー」に
「資本主義」と「民主主義」を当てはめて考える、
というのが「正直な告白」です。

だから、
川崎和男の主義主張=イデオロギーは、
「かたち」だと想っていただければいいのです。
そして、「かたち」を存在させるために、
「ことば」は相当にむずかしい「言語」を選びたいのです。

理由は二つあります。
まず、「かたち」という形はありません。
対象物とした、例えば「コップの形」とか、
「筆記具の形」というのがあるわけですから、
「資本主義の形も在る」ことになります。
cup

ところが、
たとえ「コップの形」と言っても、
目の前にある「形の説明」はとても困難です。
それを伝えるのはイメージを
共有出来るかどうかということです。
それには、
ことば=「言語」の共通理解が必要です。
こうした言葉が一致すれば連帯感が生まれます。

しかし逆現象として、
その「言語」に拘束されることにもなるのです。
そして、もう一つの理由は、
連帯し共有し拘束されている感覚が「生きている」ということです。
いわば、簡潔に言えば「触感」です。

この「触感」をコントロールして「言語」として残せば、
それが「歴史」だと私は確信しています。
付け加えておくと、
「触感」という感覚の構造を詳細に言語化すれば、
「形が発する機能」を必ず生み出すことになります。

「デザイナー」という職能が、
「資本主義」とともにあった「歴史」から、
「資本主義の形」、
その機能を触感で受け止めることが
可能になるのではないかと思っています。


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『資本主義からの逃走』
 「失」という神判を与えられし基軸へ


   


     10月 1st, 2009  Posted 9:45 AM

歴史は、
常に「戦勝者」によって
陳述されてきたエクリチュールに過ぎない、
と私は思っています。

まさしく生き残るのは、
「戦勝者」かも知れませんが、
歴史に冷徹なまなざしを投げかけられる人間こそ、
知的生涯を遂げれる「失」なる品性と品格だと思っています。

なぜなら、
この品性にのみ神判を受け入れることができます。
そして、
この品格にこそ、
歴史を読み解く才能が与えられます。
だから、
「失」というテクストから
「無」を見つめて
創造する能力を許してもらえるのです。

私には、
すでに「戦後民主主義」の呆れ果てる欺瞞さは、
無血開城して幕藩体制を滅失させ、
明治維新を打ち立てた当時の体制者たちから、
現代にまで引きずっている戦勝者。
彼らによって書き続けられている
想像力欠乏者たちの謀議としての歴史観です。

この歴史観を真正面から見つめ非難し、
私の品性としての美学に反射させれば
モノに宿すデザインの力が生まれるのです。
歴史の「失」を「無」に変換してこそ、
美学を成立させることこそ「デザインの基軸」でしょう。


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