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『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』


   


     12月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

日本のロボット技術は、国際的にも独特で有り、しかもそれらは
漫画からアニメーション、あるいは怪獣映画が支えてきました。
映画・ロボット・工学にサンドイッチされている想像界があり、
とりわけ、日本のロボット工学には実際は仏教論だったこと。
これは日本で最初のロボット工学の森政弘先生から学びました。
その根本的な表れは、日本の映画でもアシモフのロボット論は、
ほとんど適用されていません。それこそ、ロボットは性善説でした。
海外では、ほとんどがロボットは人類の敵であり、アシモフ論です。
日本の漫画やアニメーションが「かわいい=kawaii」表現も、
この適用に見事に収まっていると私は感じてきました。
それはロボットとは何か=人間とは?からのアプローチがあり、
J・ボードリヤールのロボット論にまで私は影響を与えているとさえ
判断しているくらいです。
鉄腕アトムからロボット学者に向かった人たちを知っていますが、
すでに日本の漫画には、キティちゃんやドラえもんがいますから、
これからはこうしたキャラクター主人公からの想像力があるでしょう。
それは現代のロボットには中途半端なモノが多く登場し過ぎていて、
これらは、日本独特のロボット観の勘違いを多く発見しています。
私は、漫画・アニメーション・映画に登場するロボットの
「柔らかさ」に是非とも注目してほしいのです。
そこでは、なんといってもドラえもんは、まさにお菓子のどら焼きが
リバーシブルになっているぬいぐるみは、一つの象徴です。
私は、くだらないと言われようが、キティちゃんグッズから、
ドラえもんグッズを集めに集めてきました。
それはまさにボードリヤールが指摘したロボット論の裏付けでした。
「柔らかいロボット」の登場こそ、アシモフのロボット論、
敵対するこれまでのロボットから、未来ロボットを呼び込むと
私は予知しておきたいと思っているからです。
空想から生まれたドラえもんには、あくまでも性善説のロボット、
私がすでに定義付けしている「ロボットデザイン基礎学」があります。

『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
『ロボットに工学設計はあってもデザインされていない』
「ロボット・『踊』の意図すること」
『森政弘先生からの仏教論に支援されながら・・・』


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『「ドラえもん」映画評コメントに卓越した文章を発見』


   


     7月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

私の世代にとってロボットは「鉄腕アトム」、「鉄人28号」です。
日本のロボット学者では小学校時代に「鉄腕アトム」だった人が
相当いますが、私は、のちのちに登場した「ドラえもん」はスゴイ。
そのドラえもんが、しかも、山崎貴監督(一緒に講演会経験あり)。
彼なら、CG撮影の技術力はすごいですから、期待できます。
「アナと雪の女王」はディズニーの3D表現が相当に詳細でしたから、
日本の2Dアニメは明確になっていました。
結局、映画では3D表現の立体観は進化したと言わざるをえません。
新聞広告で、日本の話題的な人物が、この新作映画評が出ました。
私は何気なく一読しましたが、この映画評コメントに、
卓越した文章力・文体性・コピー能力のある人物を発見しました。
(そうか、この人物3名は流石だ!)と読み直してしまいました。
文体性では、観て感動しました、では表現力不足です。
所詮、漫画であり、2次元が3次元になってのアニメーションです。
無論、映画ゆえ、笑って泣いて感動を!というのは商品戦略です。
だから、観て感動しましたなんていうのは誰でも書けます。
広告コピーとしてはそれを書いた人物の有名性だけでは不十分です。
「ドラえもん」はそれぞれの人物の人格の感性とどんな関係?
これが重大骨子でなければ、ありませんし、
読者としては、「え〜、このような見方を教えられた」という、
まさにまだ観ていない私たちに、彼らの印象記述が、
たったこれだけの文章量で、そうなのか、ここまで観るべきとは、
この記述をしてくれた人物がいましたし、だから彼らの有名性には
私は大きな納得と安堵をしたのです。
そして、ドラえもんグッズを見逃してこなかっただけに、
この3人のコメントだけで、3Dアニメーションは多分、
これからのアニメーションを大変革してくれると大期待できました。

ドラえもんグッズ
ドラえもん時計
ドラえもんウォッチ


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