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Posts Tagged ‘フランス芸術大学’


『注射器はまだまだ痛い』


   


     6月 4th, 2015  Posted 12:30 AM

このブログ作成時に世界の人口は72億5887万1200万人。
比して、この日本は少子高齢化に向かっていっています。
この少子高齢化は、先進国家としての問題は大問題であることを
私は最近特にデザイン対象の要にしてきています。
このシリンジは、おそらく皮下注射器として、最も痛い注射器であり、
インフルエンザ予防ではよく使われいますが絶対に無くすべきモノです。
最近、追いまくられていたことは、
気候異変と感染症の増大に対するデザイン対象を、
ぴったりと焦点化する作業でした。
幸いに私が今、取り組んでいるのは
「コンシリエンスデザイン看医工学」という
私が名辞した新デザイン領域であり、
これにはいくつかの特にデザイン系大学に声をかけています。
ワクチンの開発で、
経鼻型シリンジは取り組んできてもう10年になりますが、
「抗体エンジニアリング」という領域に
デザイン導入の可能性をとその全体計画をデザインしてきました。
したがって、未だに、デコレーションでのデザイン新作に、
私は全く興味がないどころか、
デザイン=問題解決を忘れているデザイナーに、
これからはデコレーレータと自称を心から望んでしまいます。
日本は島国ですから、世界中で多発してきた感染症でも、
「水際作戦」で食い止めるわずかな可能性があります。
ところが、バーチャル空間でのウィルスは、
注射では食い止められません。
人類は二つにウィルスを持ってしまったことになっています。
この地球はやがて100億人に達するのには、
一日20万人も増えていくことで、一方では人口の大増加が起こり、
我が国は少子化は
やがて人口は7000千万人という予測統計もあるほどです。
今、「コンシリエンスデザイン」は、韓国KAISTとフランス芸術大学、
これから、世界各国のデザイン系大学に普及させていくつもりです。
大阪大学大学院医学系研究科に新設して、
方向が定まってきたと思っています。
そこで、これから研究室メンバーを増やしていく計画に着手します。
「コンシリエンスデザイン」こそ、
これからの新たなデザイン領域になっていくことは間違いありません。
すでに6次元CADは完成していますから、
n次元CADを運用することに邁進するつもりです。


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『デザイン都市・Saint-Etienne市での基調講演準備』


   


     11月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

1997年橋本政権時代に「フランスにおける日本年」以来、
フランス芸術大学との関係がありました。
「経済と文化」で日本のデザインを紹介のために、
フランス大使館からの招聘でトゥールーズ市に行きました。
スケジュールがハードで体調を壊し入院する程多忙でした。
だからアルビの病院に入院した貴重な経験もあります。
アルビ州からは「デザインの国際貢献賞」もいただきました。
旅行者は行かないフランス芸術大学。サンティアンヌ校では、
講演やワークショップ(これには東欧から参加者たち)もやり、
この市の将来に「医療産業を提案」したところ、
ユネスコのデザイン都市であるモントリオールと共同で、
とうとうこのテーマイベントが開催されるようになり、
キーノート講演での招聘をもらいました。
無論、3.11についてもふれ、さらに、私の提唱するPKDまでが
このイベントでとりあげられるまでになりました。
阪大への招聘状回答は英仏語承認書とさらに私の大学支援まで、
総長名でいただきながら、ようやく準備ができそうです。
連日のスケジュールでは、医療関係から病院、ロボットまで、
さらにはワークショップも開催しなければなりません。
フランス訛りの英語での予定確認の電話が深夜にあります。
そこで医学系研究科から若手のドクター出張をお願いしています。
フランスのデザイン界では「アルツハイマーへの解決デザイン」、
デザインを問題解決制度設計としてのデザインまで進化しています。
「フランスにおける日本年」時代は経済の活性化にデザインをと、
このような提案をしていましたが、彼らもとうとうデザインを
国家策略実務として認識が始まっています。
幸いなことに、フランスには教え子が3人いてくれますから、
また彼らに支援を頼むつもりです。
本当に真剣に全ての私なりのデザイン実務成果を持って行きます。

Health and design for all symposium 2013


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「『危機管理プロダクトデザイン』は先端統合デザイン」


   


     7月 14th, 2013  Posted 12:00 AM

先端デザイン・統合デザイン、
デザインを形容する先端・統合を作成し、その概要を定義。
大学人として18年の具体的活動には、
2004年に、私はある連載でPKD=Peace-Keeping Designを、
先端的で統合的なデザイン活動としてきました。
この評価は、国内よりも海外で評価されました。
フランスではフランス芸術大学で講義とワークショップに、
米国ではクリントン・グローバル・イニシアティブ では、
私の具体的活動とともにデザインディレクターに選ばれました。
そして、私が最も驚愕したのは中国の反応でした。
北京理工大学にアジアデザインセンターができたとき、
作品を貸しましたが、貸した私は、「もらった」と言われる始末。
そして、講義依頼を受けました。
私は講演レジュメに次の4つを加えました。
靖国問題・教科書問題・南京問題・慰安婦問題です。
「あなたは決して中国には来れない」と返答を受けましたが、
その後、北京で講義をしました。
タイトルは、「デザインによる国際貢献」でした。
中国のデザイン、その先端では国際貢献へのデザインがテーマ。
国内では医療機器メーカーでワクチン接種計画が統合化しました。
ステンレス針は今後は無くなるということで、
経鼻接種の器具開発・遺伝子検査・ワクチン接種方法でした。
その中で、遺伝子検査は一ヶ月を5時間というシステムを完成し、
これを、あるデザインコンペティションに応募しました。
一応は、国内通過しましたが、「難し過ぎる」との評価でした。
私は、「だから、デザイン職能は遅れている」と言っています。
それは審査委員自体の知性力の問題だと確信しています。
わが国のデザインを私は次のように言い放っています。
「欲望の刺激装置としてのデザイン」は終わったのです。
「デザインは難問解決の最適解を形態で解答する実務」です。
そうなれば、当然のこと、浮かび上がってくるのは、
「国際貢献へのデザイン解答」です。
PKD=Peace-Keeping Designはその一つとして、
阪大での「危機管理プロダクトデザイン」のテーマです。


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「デザインが根付かないままに・・・」


   


     4月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

最近わが国でも流行りだしていることには空しさがあります。
まして、それが欧米で流行っているから、とか聞くと、
私は悲しくなります。
歴史連鎖性の大きな読み違えが明白です。
確かに、パリの街に「人力の何とか」がありました。
日本でも、観光地と言われる乞食(こつじき)街に出没し、
これが今後のエコロジーとかの発言や評論を見かけました。
誰もが乗れる電気自動車も街角の風景になっていました。
電気自転車もありましたが、
カメラを向ける気にもなりませんでした。
おそらく、勘違いのエコ・プロダクトとして語られるのでしょうが、
存在に、デザインの重大な三つが欠落しているのです。
機能性から美しさはありませんでした。
性能性も慌て過ぎですから、それがデザインにつながっていません。
無論、街の景観に溶け込むほどの効能性はまだ育っていません。
おそらく、行政の成せる未来性への道程であることだけは認めておきます。
だから、根本のプロダクトデザインが大欠落しているのです。
この傾向は、全世界のきわめて先進国に見かけられる現象です。
プロダクトデザイン・インダストリアルデザインが、
悲しいかな、ほんの一部のデザイナーにしか伝わっていません。
かつて、「フランスにおける日本年」1997年に、
私はフランス在日大使館の紹介で、
フランス・トゥールーズにて、「経済と文化でのデザイン」に招かれ、
作品展示と講演をしたことがあります。
その時には、デザインの役割について話をしましたが、
あるフランス商工会の偉いさんと、結局喧嘩してしまいました。
彼らの中では、まだまだ、デザインをアート扱いしていました。
それが、残存しているのでしょう。
しかし、フランスの「デザイン都市宣言」の街や、
フランス芸術大学には、「デザインでアルツハイマー病の関係」までが、
すでに論議され、その実務活動も始まっています。
デザインがこの大都市パリに根付くにはまだ歳月が必要です。
まして、パリでも流行していたから、なんてのが出てきたら、
私は見逃さずに、喧嘩師になるでしょう。


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「手習いまだまだ諦めずに・・・」


   


     5月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

私は美大ゆえに4年間、フランス語受講で単位は取得。
40年ぶりの同窓会でフランス語受講していた同期生に、
「4年やり通したよな」と言ったら、
「エッ、貴男のこと記憶に無いわ」と
一笑にふされてしまいました。
きっと、教室では存在感全く無かったのでしょう。
彼女は卒業と同時にヨーロッパに行ってしまいました。
最近、帰国したとのことでした。
60還暦から考え抜いていたのが、「60の手習い」でした。
ある経営者は60から中国語をすぐにマスター、
最も彼は、英語もドイツ語も堪能でしたので、
とても敬服していたことを思い出し、
62歳、昨年からフランス語やり直しを始めました。
そこで当然、私は「かたち」=モノから入ります。
ラジオを出張用も含めて買い直しました。
そうしたら、ラジオの進化にびっくりしました。
今ではパソコンにも連動するなど、
性能は格段にラジオでは無いのです。
これも精微な出来映えですが、あまり知られていません。
というわけで、
今年に入ってからもまだやり続けてやろうと企んでいます。
英語も未だまともで無いのに自分でも「なぜ?」なんです。
ただ、学生には言ってきました。
私の世代は英語だけでなんとかだったが、
君たちの世代はもう3カ国語ぐらいは絶対に必要だと、
教師として教条主義を発揮しています。
ベトナムからの留学性には、
日本語以上に多言語をやりなさいと伝えています。
おそらく私はリタイアしても
フランス語で読書程度はと思います。
今、イヴ・サンローランの原書は絶対読破と思っています。
4年もフランス語をやっていたのに、
最初にパリに行ってまったく駄目だというトラウマでした。
さてあらためてここで暴露することで、
自分に喧嘩を売っているのです。
それにしても、今は外国語習得の情報環境は整っています。
フランスの友人にも、
エコール・デ・ボザール(フランス芸術大学)での
ワークショップなら必ず・・・なんて
大言壮語してしまっていますシ〜ィ・・・。

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