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『資本主義からの逃走』
「プライバシーという自分性は、暴力構造を内在化している」


   


     3月 28th, 2010  Posted 12:30 AM

敗戦後にプライバシー
「プライバシー」とか、「プライベート」という言葉、
この言葉が日本に定着したのは、大戦後=敗戦でした。
そして、このプライバシーというのは自分顕示性です。
敗戦とともに、というのがこの言葉を強化させたものと、
私は、まず、この断言から、告白をしていこうと思います。
「プライバシーの侵害」というかけ声は、
自分性の保全を確保し確約させることを、
誰に委ねたのでしょうか。
私は、これを不明にしている謀議性にプライバシーが、
明確にあるということを感じています。
「プライバシーの侵害」という言葉に暴力性を認めています。
一人っ子のわがまま
私は一人っ子で育ちましたから、
まったく「プライバシー」は、保護されて育ったと思います。
プライバシーの根本は「他人から観察されない状態」です。
簡単に言えば、一人っ子は、
両親の観察状態が大きいにもかかわらず、
一方では放任で、自由と気ままさが容認されるのです。
それは、逆現象になっていると自覚もしています。
一言で言えば、「プライバシー」、
それは「わがまま」を周囲に押しつけることです。
しかも、私は特にデザイナーは、
「わがままであれ!」とさえ、言い放っています。
わがまま=プライバシーとすると、
私は、この主張には、実際的かつ背後の支援体制には、
「暴力性が秘匿内在」していることを、
根本的に認めているのです。
暴力性
なぜなら、「自分性・あるいは自分顕在性」には、
私自身の暴力性が確実にあるからです。
ここから、私は、プライバシーやわがままの暴力性を語り切る、
その自白性に、今度は、私の暴力性を援護している卑怯さを
重ねて配置します。
自分性の強調が暴力であり、その告白はさらに、
自己防衛までを用意周到にしているということです。
自己防衛
結局、
暴力性は二重性を持って、用意周到で狡猾な暴力性を秘匿し、
その防護性で、さらなる「わがまま」の影響性を拡大します。
私は、自分の暴力性、すなわち、自己中心性を失わず、
その暴力性でしか、自己防衛は不可能だとさえ思っています。
結局、私は自分自身、自分性プライバシーから、
「プライバシーには、暴力性が内在している」と言って、
「プライバシー」の現代的な意味性を、敗戦トラウマである、
その再配置する時期がきていると考えています。
プライバシーの侵害なんて、実は、とんでもない言いがかりを、
戦後、わが国に定着させてきたことや、
私も共犯であったことを自白しておきます。
この自白すら、自己防衛なのです。


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