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Posts Tagged ‘モダンデザイン’


『DVDの実装モデルはユーザーに新たな生活シーン』


   


     1月 12th, 2019  Posted 12:00 AM

FORIS.TVにはDVDプレイヤーが内蔵されています。
当時、DVDはメーカー供給のユニット部はとても使えるモノではなく、
私がApple社へ提案していた、新しいユニット部を提案しました。
それは円弧を描き動作することであり、しかもDVDは、
振動系を押さえ込む提案を含んでいました。
そして、ユーザーからは思いがけない使い方で評判でした。
赤ちゃんを持つお母さんが、TVではなくてDVDで英語を聞かせるという、
そんなユーザーが増えました。TVにDVDがあり、
しっかりとした音づくりで大きな使い勝手が増えていきました。
ユーザーがどんな部屋で使っているかを調べました。
三つありました。
まずはモダンデザインな建築、
そのインテリアの美しい部屋に置かれていました。
建築紹介のTV番組や雑誌でもそのたたずまいを嬉しく思いました。
またオーディオマニアは、これを中心あるいは一部とした
音響機器のシステム空間の一つのソース中にありました。
そしてありがたいことに私の作品との組み合わせ、
TV本体と同色の時計=HOLAで、「The Clock」の称号を得た
スミソニアン博物館・クーパーヒューイット美術館に私の収蔵品。
「眼鏡=MP620系」が小物として部屋に配置されていました。
これだけのこだわりの部屋に在ることが、
私のこだわったユニットオリジナリティへの評価と受け取っています。


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『大学入試センター試験問題に「デザイン」が出た』


   


     1月 17th, 2018  Posted 12:00 AM

大学入試制度でのセンター試験では、毎年様々なことが起こるようです。
今年は、厳寒ゆえの交通麻痺から、ムーミンマンガでの出題がありました。
私が注目したのは、国語で「デザイン」がそのまま、
原語からデザイナーの必読本
さらには意味までが、問題として登場したことでした。
これまで、私の著作から、予備校での試験問題、
さらには私立美大の試験問題になったことはありました。
これは必ず著作権としての利用譲渡で主催者から問い合わせがあります。
入学試験問題では後日使用箇所が知らされますから分かります。
さて今年2018年は「大学問題」が少子化とともに
今後の大学存在にも関わるので、
私も共通センター問題で、大学入試の能力程度を知りたかったのです。
そこに国語では「デザイン」がそれこそアフォーダンスまで、
語られたとても詳細な問題であったことです。
正直ここ数年、日本人の感性での美的判断やモダンデザイン離れもあり、
デザイン理解度の低迷を知っていただけに、
私はビックリしたのですが、デザインが語られる参照本は、
デザインセンスを混乱させているだけに
デザイン意味論やアフォーダンスは正解ですが、
最近まとめ直していることにも影響されるでしょう。
たとえば、デザイン盗作やジェネリックデザインとかでの物真似に、
私はがっかりしていたので嬉しい現実でした。
深夜のTVショッピングなどでは、日本人の美感覚特にデザインセンスでは、
落胆していただけに、
センター試験・国語の問題になったことは書き残すべきことと思いました。


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『美しいモノ、バウハウスでのデザイン・チェスセット』


   


     8月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

このところ、自宅や自宅倉庫、そして阪大研究室に収蔵している、
ともかく私の「美しいモノ」を整理し始めています。
これまで、持っていることはずーっと知っていましたが、
使ったことがありません、それはバウハウス期の「チェス・セット」です。
「チェス」については、思い出、
それは映画の「華麗なる賭け」でそれも二回、リメイクまでされた映画、
なぜなら、そこからチェスを学び、しかも相手はいつもパソコンです。
ちょうど先日から自宅でNeXT Stationを発見したら、傍らにこのセット。
本当にわくわくして開けてみたら、新品のままでした。
チェスセットは、私がApple本社で、デザインコンサルタント時には、
「Mind Top」のユーザー向けにこのセットをモデル提案までしています。
無論、プレゼでは「華麗なる賭け」でのチェス場面が余りにも美しかった、
その思い出はAppleでも通じました。
しかし、今は日本の将棋ブームに乗っていて、
私が将棋雑誌まで読んでいて、その自分にびっくりです。
ともかく、どれほど「美しいモノ」を自分が持っていたかということで、
自分デザインは常に「美しさ」でデザイン=問題解決だったことです。
となると、勿論、伝統的な駒もいいのですが、バウハウスのコレは流石です。
それでは、日本の将棋、そのモダンデザイン化は?、
一度チェスデザインしましたが、以来、自分デザインには、
将棋も私のデザインテーマになっていると告白しておきます。
しかし、将棋の駒、その基本形態では大きさと駒それぞれの格付けなど、
困難なことはとても多いようです。
それでも当分、このテーマは抱いておこうと思っています。
無論、自分デザインのゲーム盤はチェスと同じで、駒の造形テーマは?
とても困難だと実感しています。

* 「『華麗なる賭け』のように・・・とはいかず」
* 『勝てないけれどiPad上での将棋とチェスゲーム』
* 「デザインはその発祥から政治的な政策思想だった」
* 『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』


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『タケフナイフスクールは越前打刃物産地に開設する』


   


     7月 4th, 2017  Posted 12:00 AM

今は周辺町村と合併し越前市となりましたが、
かつて国府であり紫式部も父と共に在住していた武生(たけふ)。
私がデザイン主導してきた武生市に越前打刃物産地として、
「タケフナイフビレッジ」を設立してすでに30数年です。
これまでもナイフ講座をイベントとして、
ナイフや包丁を参加者それも子どもから一般にまで指導制作してきました。
タケフナイフビレッジは褒章者も2名出しましたことから校長と副校長とし、
私は以前より市長とも話合い、越前市の観光大使としても
タケフナイフビレッジの再拡大とナイフスクール開設を主張してきました。
対象は、児童から生徒(保護者同伴)学生から一般、マニア、プロという、
そうした人向けのスクールを設立することを進言してきました。
生徒とは中学生で学生は高校生以上を言います。
プロというのは、ナイフづくりと、シェフ=料理人向けを提案しています。
理由は簡単で、それこそ海外からの包丁ブームは確実であり、
中でもタケフナイフビレッジのキッチンナイフを超える
ビッカー値硬度ある刃物は、世界的にも全く皆無です。
国内の岐阜・関市や大阪・堺市にも伝統工芸での包丁がありますが、
私から批判すれば、伝統の継承だけや刀工からは許されない刃物依存です。
「火造り鍛造された蛤刃」を、モダンデザインされているのは、
タケフナイフビレッジだけだと私は自負しています。
それだけに、第一世代親方9名を講師に、時には私も参画して、
「ナイフスクール」をおそらく日本で最初に開設するつもりです。
千代鶴国安(二人説あり)という刀工が
鎌を農民に野鍛冶からスタートしたとのことですが、
私の研究ではそれこそ1500年前から鍛冶技術への兆候はあったようです。
また、「武生:タケフ」は、日本のエンジニア養成の中心人物
「工手学校」設立者である渡邉洪基=帝国大学総長・東京府知事。
私立大学設立提案者のふるさとでもあるのです。
叶うことなら、この夏にはそのスタート講座開設を考えています。
「ナイフ」はもし、無人島に行くとしたら持参すべき唯一のモノです。
なぜなら、ナイフがあれば道具を創り出すことができるのです。

* 『親方二人目の褒章受勲・タケフナイフビレッジ』
* 『タケフナイフビレッジで第2世代を鍛える』
* 『ローカルな受賞なれど、とても大きな受賞でした』
* 『刃物の地肌、その偽物氾濫が流行している』
* 『伝統工芸での和包丁には間違いがあり過ぎる』


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『代表的なシンボル作品が廉価のために失ったこと』


   


     6月 30th, 2017  Posted 12:00 AM

このサイドテーブルがモダンデザインだろうか、と私は考えてきました。
フランスで1930年代にインテリアとプロダクトデザインで、
当時の建築家にも大きな影響を与えたアイリーングレーの作品です。
彼女は元々アールデコのインテリアデザインに強く拘っていたらしいのです。
建築がコンクリートで無殺風景になりがちになることに、
デザインで、アールデコとデ・スティルをベースにしたデザイナーでした。
ただ活動期間は20年間であり視覚障害になったことから引退をしていたから、
引退後の1960年代からのデザインへの眼差し:批評、批判を探しています。
ともかく、サイドテーブルといえば、
このモノが現代も代表的なシンボルにさえなっています。
したがって、この作品が中国製で廉価になっていますが見分けられます。
それはこのテーブルのガラストップとその端面仕上げです。
最近ではガラスカットで端面処理加工無しは明らかに中国製です。
正直、このテーブルのモダンデザイン形式が
最高だと思っているわけではありませんが、
次世代の日本のデザイナーならば、ガラス端面の仕上げは必ずテーパ無しを
デザイン仕様は遵守して欲しいのです。
日本のモノづくりは、今では私には、
明言すれば「安物づくり」で日本のモノづくり産業は不要です。
ところが、最近では世界的なデザイン賞授賞作品にも、
確実なデザイン仕様がおろそかなモノが出てきました。
家電業界が終焉し、やがては車業界も危うくなると私は予測しています。
もはや私はデザイン審査の機会がかなりあります。
しかも審査委員長であることからも、
ほぼ十年ぐらい前には、ともかく日本製がほとんど入賞してしまい、
海外製をなんとか入賞させないと、
この業界が国際的にならないと、気を回したものでした。
ところが最近は日本製が見当たらないし、盗作は絶対に許せないほど、
日本のモノづくりが低迷しているのです。

* 『若手デザイナーの海外個展を応援する』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 『日本の経済界には「伯楽」がいなくなった』
* 『今年度最終「KK適塾」で基幹産業を紹介する』
* 『Max Billの賞杯があったことを思い出した』


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『New Yorkでのホテルから海外のホテルを決めてきた』


   


     6月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

New Yorkに行って最初に泊まったのが
The PLAZAでした。
その理由はビートルズが泊まったホテルだったからです。
ところが、海外のHOTELで最初に喧嘩をして、飛び出しました。
私が海外に作品発表していくギャラリーのオーナーに電話したら
「なぜ、そんな所に泊まるの?」と叱られて、
マディソンアベニューの最初のデザイナーズホテル=Morgansでした。
米国には、インテリアコーディネーターとインテリアデザイナーが、
明確に教育プログラムも異なりそれぞれの資格も異なることを知りました。
それ以来、New Yorkでの定宿にしていました。
おそらく白黒のチェック柄=市松模様の見事さと、
ホテルマンは格好いい金髪美男子(映画俳優志望者)や金髪の女性でした。
このホテルはアンドレ・プットマンのデザインであり、
以後、New Yorkにはデザイナーズホテルが生まれていくことになります。
これは1980年代の話ですが、デザイナーズホテルは結構物真似でした。
このホテルの朝食はバナナブレッドと生のオレンジジュースが中心でした。
宿泊客もどこかセンスが良くておしゃれな人達が多かった気がします。
このホテルの金色真鍮での象眼づくりなどはとても優雅だったと思います。
おそらく海外でのホテル選びではここからが私の中心になっています。
そう言えば最近は米国には余り行っていませんが親友や友人が多い街です。
このNew YorkにMacをデザイン界に広めたのは私だったと思っています。
さて、アンドレ・プットマンのデザインは
コーディネートとデザインは明確にモダンデザイン主体であり、
制服のデザインもカルバン・クラインだった?はずです。
私のホテル暮らしは相当にありますが、どうしてこのホテルだったかは、
絶対に書き残しておくべきだと思っています。

* 「シリコングラフィックスを使っていた頃」
* 『出張したホテルでも・「眠りの鎧」として』
* 「5年ぶりのパリ、5日目の報告」
* 『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』
* 『客員教授の優れたオンリー教科書があるということ』


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『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』


   


     3月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

101匹目のサルという論理があります。
一時期、私もこの論理に夢中になったことがあります。
簡単に言い切れば、鹿児島のサル100匹がお風呂に入ると、
北海道のサル101匹目もお風呂に入るということです。
これは全く情報の交換が無くても遊びや習慣が突如として起こるということ。
実際、柳宗悦が「民藝」という日用品の美しさに気づいたことは、
アーツ&クラフト運動、ドイツ工作連盟、バウハウスという歴史変遷が
編年体のごとく連鎖して、特に、工芸とデザインが重なるのです。
ところが最近は、工芸、工藝、民藝、デザインが全てを連鎖ではなくて、
あたかも融合して同次元のごとくという知見不足の解釈が、
それも商業主義的なブランド背景理由にされた言説で語られてしまっています。
まず、柳宗理の弟子として、柳先生は明確に民藝とデザインの関係を
きっちりと区分を自分のデザイン活動の中で、特に手仕事結果である
民藝の美とデザインの美を分別されていました。まして、
最もほとんど嫌悪されていた商売主義(商業主義ではなく)で民芸ならば、
それは手芸であり、お土産品になってしまいます。私の良識では、
デザイン成果は「目的+目標」のアノニマス性の存在とその美しさでした。
民藝からのデザイン成果は「目標+目的」としてのゲマインシャフト性でした。
産業美術学科では工芸とデザインは明確な区分と分別が私たちに徹底。
インダストリアルデザインは確かに大量生産と大量消費の経済構造に、
アノニマス性を埋め込んだ実務としてのデザインが求められました。
それこそ東京オリンピックのトーチや世界初の聖火運搬のランタンが
柳先生のデザインであることは知られていません。
あのアノニマス性からの美しさは、建築とは一線を画していました。
インダストリアルデザインを伝統工芸に導入するならば、
ゲマインシャフトという強固な地域存在性をデザイナーが確約することでした。
決して商品ブランドの商売性からの遮断は当然でした。
アートからクラフト、モダンデザインは、
「民藝の手仕事」の美しさは明確に「デザイン」の美しさとは分断されていたのです。

* 『書かれた柳宗理デザイン=現在出版の書籍で継承可能か』
* 『アンコンシャス・ビューティを学んだから・・・』
* 『手稿は宝物である』
* 『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』
* 『民藝へのアンコンシャスビューティを再熟読』


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『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』


   


     1月 1st, 2017  Posted 9:23 PM

日本には十二支という暦があります。
昨年は申年であり、この年、世相はめまぐるしい事件が多発しました。
さて、今年ということなると昨年以上かも知れないと聞きます。
毎年、この年十二支「酉年」のシンボルを探します。
「酉年」となると私には鶏が思い浮かぶと同時に、
美大時代には、生きている鶏を2人が一組になって、デザインストロークで、
B3サイズでまず、徹底的なデッサンをし、それから平面、そして
立体にするという「スタイライゼーション」を
ほぼ一ヶ月間厳しい訓練を受けました。徹夜の連続。
最後はこの鶏をさばいてコンパをして食べましたが、現代では無理でしょう。
さて、今年の「酉年」、そのシンボルはいくつか見つかりました。
特にモダンデザインでは著名な作品がありました。
そしてこの二人のデザイナーの仕事は「エッ」て思うほど、
ある素材に拘っていたのです。
ものすごく驚きました。昨年末に入ってようやく日本の基幹産業を発見、
「KK適塾」で発端を紹介し、今年からその詳細に入るとともに、
「基幹産業」の創成、その詳細を伝えていくつもりで、
昨年末もその実験を招聘教授と確認しました。
そうしたら、今年「酉年」シンボルを名作にした二人のデザイナーも
とても大きな興味を持っていて、まだそれらを実現したモノや、
新たな提案はありませんでした。
(そうか、やっぱりここに!)これが年頭の私の想像力になっています。
ついでながら、若いデザイナーは名作を覚えていない風潮があり、
そこで平然として、ジェネリックプロダクト、
これは盗作だということに無頓着になっています。
私は厳しく、こうした風潮に立ち向かう覚悟です。

* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』
* 『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
* 『「造形思考」はイメージの表現=造形への音楽的理論がある』
* 「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


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『モダンデザイン源流を自分デザインにしてはならない!』


   


     7月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM

デザイン審査が難しくなってきています。
この難しさとは、デザインのオリジナリティの判断と
デザインされた形態言語としてのいわゆる模倣性です。
今関わっているデザイン審査においても、
若い審査委員は、形態の美しさから、
素直にすでに存在していて無名性なモノ、といっても
デザインの定本的な形態性をデザイン賞候補にしてしまいます。
私はデザイン審査においては、
審査委員長には三つの役割があると思っています。
まず、徹底した客観的な審査委員会であること、
審査委員が正確な美学性や知見、見識があること、
そして、最終決定においては多数決採点で決定しないこと、
こうした三点に対して、全審査委員に反対されても、
最高の裁断、裁決の意志決定を全審査委員に納得してもらうことです。
今回、海外からの応募でこれもノミネートはするだろう、
そんな予測が当てはまってしまいました。
左はシェーカー教徒の創作であり、これはモダンデザインの手本でした。
右はノミネートされた作品ですが、どうみても模倣です。
しかも右作品のデザイナー名は明らかです。
無論、最近は作者没後50年となれば、フリーであることは明らかです。
これを「ジェネリックデザイン」とか呼ぶ傾向があります。
デザイナーは、元のアノニマス性をコピーして、
さも自分のデザインとか、あらためて意匠権を上手く手に入れます。
しかし、この傾向はデザインの創造性、創造性がデザインの本質、
この鉄則を破ってしまうことであり、
デザイナー失格だと私は断言します。
私は、美大時代から作品は暗記させられました。
それはどこかに自分がその形態を言語化して、
そして覚えてしまう恐れを無くす訓練でした。
ややもすれば、自分のデザインでも「ひょっとすれば」があり、
この物まね、あるいは自分デザインで忘れられた
オリジン性やアーキタイプ性を失う傾向があるからです。
かつてアノニマスデザインであった民藝が、
さも簡単に「民芸」となっても平然たるデザインは
絶対に許容してはならないと考えています。


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『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』


   


     4月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

「測円」という言葉が私はふさわしいと思っています。
測円というのは、関考和でしたが、今は「楕円」です。
そして、楕円はovalとellipseが英語では二つの言葉があり、
私なりには、ovalはラテン語から卵の曲線意味ゆえパロール。
しかし、ellipseは数学的ゆえにラングとその言葉使いを決めています。
というのは、私がメガネデザインに取り組んだ時に最も懸命に
「スーパー楕円=Super ellipse」にこだわっていたことがあります。
このスーパー楕円でのメガネフレームのレンズカット形状商品は
全く売れませんでした。
それ以後、スーパー楕円らしきメガネフレームは存在していません。
なぜ、また楕円というより測円、そしてスーパー楕円は、
モダンデザインでは多くが成功をしています。
最近、私が最も関心を持ったのは、iOSのOは見事な楕円です。
これはジョッブスの置き土産であり、
彼がカリグラフィの学術的芸術的知識から差し出したデザインには
それこそAppleでも気づいているのだろうかと思います。
今私はもう一つ、モダンデザインの源流に、
このovalとellipseでの造形意図と表現を整理しています。
特に、スーパー楕円でのモダンデザイン造形の形分析をしています。
これは楕円がパロール的造形とラング的造形にまで立ち入れば、
二つの造形が読み取れてきます。私自身がデザイン評論として、
これまで取り組んできたのは倉俣史朗デザインでした。
それをベースにもう一つは恩師の柳宗理デザインです。
柳宗理生誕100年記念講演は教え子の一人として、
美大先輩達からの強い要望は、
これからのデザインを語る基盤に柳先生のデザイン、
その置き土産に潜む、アノニマスとゲマインシャフトを伝承します。
私の解釈論で柳宗理デザインのその造形を、
金沢21世紀美術館で語ることだと考えています。
柳宗理デザインとAppleデザインは繫がっているようです。

* 柳宗理生誕100年記念講演


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