kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘仮面’


06月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 9th, 2018  Posted 12:00 AM

06月09日 大安(壬申)

「ポートレート」が、
前述したペルソナ( 仮面 )を
かぶっている場合もあるだろう。
その人自身が表現されている場合もあるだろう。

いずれにしろ僕は、
どんなプレゼンテーションを見ても
そこで語られる内容よりもまず、
そこで発表しているプレゼンテーターたちの
内面をのぞいてみたい
と思ってしまうわけだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

05月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 16th, 2018  Posted 12:00 AM

05月16日 大安(戊申)

職業柄の
「愛想笑い」
「マニュアル化されているほほえみ」には
うんざりするものだ。

サービス産業は
「心からの仮面」を
実現したところが成功する。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

05月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 15th, 2018  Posted 12:00 AM

05月15日 仏滅(丁未)

確かに、この世の中を渡って行くのに、
まったく裏表がないというのは
なかなか難しいことだ。

しかし、
素顔と仮面の大きな隔たりは、
精神的苦痛だけでなく、
そのうち体調にも変調を与えるようになる。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

6月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 9th, 2012  Posted 10:00 AM

6月9日 大安(辛丑)

「ポートレート」が、
前述したペルソナ( 仮面 )を
かぶっている場合もあるだろう。
その人自身が表現されている場合もあるだろう。

いずれにしろ僕は、
どんなプレゼンテーションを見ても
そこで語られる内容よりもまず、
そこで発表しているプレゼンテーターたちの
内面をのぞいてみたい
と思ってしまうわけだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

4月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 18th, 2012  Posted 10:00 AM

4月18日 赤口(己酉)

職業柄の
「愛想笑い」
「マニュアル化されているほほえみ」には
うんざりするものだ。

サービス産業は
「心からの仮面」を
実現したところが成功する。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

4月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 17th, 2012  Posted 10:00 AM

4月17日 大安(戊申)

確かに、この世の中を渡って行くのに、
まったく裏表がないというのは
なかなか難しいことだ。

しかし、
素顔と仮面の大きな隔たりは、
精神的苦痛だけでなく、
そのうち体調にも変調を与えるようになる。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

「仮面社会=ペルソナか、マスカレードか」


   


     11月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

資本主義社会の終焉は、
民主主義構造を脆弱にして、これをも破壊するだろう。
この予感を大学人になって以来持ち続けてきました。
その兆候というより、現実化・現前というより
事件が取り巻き始めてきました。
東日本大震災も原電事故、そしてこれから起こりうること、
すべてに、「仮面」ある人と策略が見え隠れしています。
「やっぱり、あの企業は」とか、
日和見的な企業人=経営者とか大学人が出てきています。
彼らや彼らの組織は仮面を被っていたにすぎないのです。
企業がブランドと呼ぶものは仮面だったのかもしれません。
ペルソナとはパーソナリティの原意であり、
マスカレードとは実体を化粧し隠匿させる美的手法です。
いづれも、日本的伝統、伝統的美学・倫理性の前では、
「剥ぎ取られるべき」ものにすぎません。
「能面」の表情には、陰影でその能面という仮面下の
実体をさらけ出す美学的手段があります。
資本主義を手段化し、経営トップだけが「経営=自己利益獲得」、
技術者は知的使い捨て労働者にしていただけです。
民主主義こそ、人類の最高理想主義とかに、
そろそれその仮面=マスカレードとペルソナを
剥ぎ取る時期が到来してきたのでしょう。
それは、さらに仮面を被った国際関係の中にこそ、
巨大で太刀打ち困難な「国家危機」すらまちうけています。
私は、日本の伝統芸「能」の根本に、
仮面、ペルソナか、マスカレードか、
この分別を見極める日本民族の美的智恵があると通告しておきます。
本来、社会的リーダーたる人のが、
もし仮面だけならば、剥ぎ取るべきでしょう。

目次を見る