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Posts Tagged ‘体力’


5月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 19th, 2021  Posted 12:00 AM

5月19日 大安(丁卯)

『観念としてのデザイン』

それは、
その職能を
解放するデザイナーには
充分な体力があるが、
今だに産業にのみ
因り処を求める
デザイナーには
困難な時代であることは
まちがいない。

artificial heart:川崎和男展


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『完全命中の投げる行為がミサイルであるという知識』


   


     10月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

オリンピック種目である、やり投げ・砲丸投げ、この二つは不思議です。
それこそ古代にはやり投げも砲丸投げも対象物への命中技能。
それは狩猟する動物を的にしての体力と狩猟技能を競うこと、
そのゲームに過ぎなかったことです。
それだからこそどこまで遠方に投げられるかということでは無いはずです。
やり投げ・砲丸投げは古代体力の測定ゲームに成り果てたにすぎません。
人間には「投げる」という行為があります。
その最も機械工学的で最先端なモノとコトは、
ミサイルにその最先端技術があるわけです。
まさか自分の生涯に戦争の危機とは思ってもいませんでした。
と同時に、日本という島国国家観で最も欠落しているのは武器という知識。
おそらく世界的に最も無知識な民族が日本人でしょう。
理由はすこぶる簡単です。軍隊では無い自国防衛だけの
自衛隊という軍事集団がいますが、彼らの武器、
いや防衛システム機器については最も無知識な民族だと思います。
これは二度の原爆被災をし、さらに原電事故による放射能からも、
私たち日本人は原子爆弾の怖さはすでに語り継がれている物語性なのです。
だから、私たちはこの国を飛び越していく弾道ミサイルに
今では広島の何十倍もの威力ある水爆、
この怖さも物語性で語られているにすぎません。
したがって、私が今回も最先端のミサイル駆逐艦を差し出せば、
やっぱり川崎は右翼とか言われる始末です。
それならもっとこの危機迫る戦争それも電磁砲からミサイル駆逐艦までを
私は極右として提出します。
なぜなら、ミサイルはやり投げ・砲丸投げから進歩を重ねて来た、
機械工学の最先端の武器であるからです。
そして、こうした知識無きそれもデザイナーなどは、
真のデザイン=幸運で幸福な最先端的な知識無きデザイナーなのです。
最先端であるズムウォルト級ミサイル艦、この形態言語からのそれこそ、
重大なデザイン内容を熟知すべきだと私は考えぬく想像力が必要です。

* 『応答では移染と呼ばれるから真の解答が必要だ』
* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』
* 「海底資源探査船というわが国の技術は防衛されるべきだ」
* 「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」
* 「H2Aロケット・はやぶさ・しらせ=日本技術の結集象徴」


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2月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

2月2日甲辰(先負)

もっとも大きい問題は、
体力の維持である。

多忙さに押し潰えされないだけの体力を
保持し続けることがいちばん難しい。

『デザインの極道論』あわただしい


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「機関車の魅力=鉄道の魅力に潜むデザイン論理」


   


     6月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

大阪駅に帰って来ると、
C57155の車輪が迎えてくれます。
子供の頃から、蒸気機関車が大好きでした。
「デゴイチ」か「デコイチ」かの区分にも私見があります。
そしてなんといっても北海道で、
蒸気機関車が全面ストップ寸前、まだ東芝マンでした。
それゆえに「蒸気機関車・SL録音出張」までしました。
しかもその録音はLPレコードとして商品化できました。
3重連で走りそこに雷鳴が、という素晴らしい音録りをしました。
鉄道は、子供たち、特に男の子にとっては魅力があります。
そこで、次のような課題を考えることができます。

■1.「新幹線はとても速い」だから「子供達に人気がある」
■2.「新幹線はとても速い」だから「目的地に速く着く」
■3.「蒸気機関車はかっこいい」だから「未だに人気がある」

この三つのテーマの中で、いわゆる数理的論理性は2だけです。
ところが、デザイン的な論理は、1と3です。
それには、二つの重大なキーワードがあると考えます。
まず、新幹線は流体力学的にも
造形デザインでスピード感がある形態=形態言語があります。
この造形言語による形態言語が、子供たちを虜にするのです。
また、蒸気機関車の造形言語には、力強さがあります。
この力強いという形態言語にさらには郷愁感が加わります。
したがってこの郷愁感には、
ノスタルジーやアンティック感は人間の感性を静謐に刺激します。
私は、現代デザイン・未来デザインとしての鉄道には、
速度性がある造形言語が創出されるべきだと思っていますが、
もう一方では、蒸気機関車のZゲージでは、
ドイツでの蒸気機関車のある種類に拘っています。
それは、速度感が編年的にアンティック感へ移行する感覚、
その魅力を見極めたいと思っているからです。
稲妻と雷鳴の中で、三重連で走るD51の姿=形態言語は、
今も私の脳裏には明確に思い出すことができます。
造形言語と形態言語の関係、
この構造主義性はこれからのデザイン論理として研究が必至です。


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11月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 7th, 2011  Posted 6:45 PM

11月7日 丙寅(先負)

もっとも大きい問題は、
体力の維持である。

多忙さに押し潰えされないだけの体力を
保持し続けることがいちばん難しい。

『デザインの極道論』あわただしい


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『資本主義からの逃走』
「Business Modelの義は善であり、美に包まれている」


   


     4月 6th, 2010  Posted 12:01 AM


「義務」あってこそ、人は「権利」があります。
「権利」が前面となっているのは現代日本の病です。
「義とは宜しきなり」(礼記)という原意性がありますが、
羊を犠牲として神の供え物とし、
その祭壇を善としていたという文脈に「美」がありました。
つまり、美は義と善を包み込んでいる言葉です。
さて、私は、Business Model が破綻しているのは、
社会還元という義務放棄が起こってしまっていることだと思っています。
収益構造の中での利益獲得は、
すべからく「独占」する権利を前面としている、
その結果がBusiness Model を破綻している最大の理由です。

義務なくして、
経営仮説と収益構造による企業の「社会的な存在」権利は失うのです。
そこで、私は下記のように、「経営仮説」に知財権を配置し、
その知財権は最も権利主張が弱いと言われがちな意匠権、
その意匠権こそ「美学性+倫理性」=美(義+善)なのです。
意匠権=美学性+倫理性
そして、これまでは「経営仮説」が「収益構造」という図式を
次のように変換するべきだと考えてきました。
それは知財権に意匠権=美学性+倫理性を「経営仮説」とするなら、
その背景としての基盤上には、「収益構造」を仮説化します。
その上に、はじめて「経営仮説」を載せる戦略です。
しかも、これまでは「経営仮説」に知財権の有無によって、
知財権は収益構造に直結していることが慣習であったと思います。
そして、利益獲得のサイクルを二重化できないか、と考えました。
それは、純利益のサイクルと経常利益のサイクルです。
それぞれのサイクル性が、収益構造を取り囲むことで、
企業体の体力と体質をガードできないだろうかということです。
このサイクルは、必ず義務である美学=美と倫理=善を駆動させます。
それは、明らかに、Business Modelではなくて、
designの理想主義を持ち込みます。
Designには、その本質において必ず「美学性+倫理性」は、
全体価値として付与されます。


おそらくこれまでの「経営仮説」において、
Designの価値感は、付加価値となってきたことは否めません。
よって、この経営仮説よりも、
収益価値の付加価値にDesignが置かれていたことが予想されます。
次段階においては、次の二つを論理図式化していくことで、
Business ModelをDesignで強化する手法が見えてくると考えています。


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