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Posts Tagged ‘内田繁’


『長生きのためには・・・・・』


   


     1月 22nd, 2022  Posted 7:30 PM

私が間違っていたのは、
君を「毎日デザイン賞」で頑張ったことでした。
故インテリアデザイナーの内田繁と
私が誤って君を選んだことでした。
発表日は東京プリンスホテルで君を応援するために、
病院で10時間効く注射をしてもらって、
入院中の注射を打って東京に行きました。
最終審査会では、故・デザイン評論家柏木博氏と
建築家H.I氏が猛烈に反対をしてきました。
グラフィックKはなんともなくて迷っていました。
その後で、君から「発表会には来ないでほしい」と話がありました。
何のために君を選んだのでしょうか、です。
私の毎日デザイン賞では『満票』でした。
故・柏木博は一ヶ月前に亡くなりました。
彼には「京都賞」に選ばれることも
故・柏木博の批判で第一次審査で落されました。
恩師の計らいで私が選ばれる予定でした。
三宅一生氏、安藤忠雄氏の後は、
今も、経済法務・医療関係・そして思想と芸術すべて調査委員です。
きっと君を選んだことで、残念な話かな、
四分の三の男が「頭が禿げます」。
大手企業では、決して取締役にはなれません。
漫画では「レンダリング、ペーパーモデル」は出来ません。
まさに四分の一は禿げません。私は銀髪になります。今は茶髪です。
君が「聖火リレーでの演説」は全く耐えられませんでした。
これが正解です。

*当時の毎日デザイン賞碑


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『8月が終わろうとしています』


   


     8月 29th, 2018  Posted 9:29 PM

今年(2018)の夏は台風も19号、20号がありました。
19号は多分は大阪湾での風が聞こえていました。
さらに20号は自宅にも大きな風が3回は大風が向かってきました。
まだ21号が出て来ました。
来月は長月=Septemberになりますが、まだ天候が荒れ模様です。
きっと今年も秋よりも早く厳しい冬になるのではないだろうか、
そんな思いがしています。
2年前にインテリアデザイナーの内田繁氏が亡くなりました。
彼の作品でのSeptemberがあります。
Gマークや毎日デザイン賞選考会でよく話をしました。
彼の死後、献花式に参列したことがあります。
そうしたら、このSeptemberの上に彼の作品=倚子がありました。
ともかく、毎日デザイン賞の選考会でも、
誰がもらっても構わないよ、と話をしたこともありました。
日本で選ばれる5点の倚子でも彼のと一緒でした。
インターナショナルインテリアセンター(USA)でも、一緒でした。
私が当時書いていた「倉俣史郎批評」で、
近藤康夫氏と故・内田繁氏だけに倉俣氏の話を聞きました。
彼の死後に、どうしても欲しいと彼の事務所に電話をしました。
もう、この倚子も無いよとの話でした。
今、デザイン界のアーカイブをやっているディレクターも
私にとっては恩師たちの作品が無いことを知っています。
Septemberは彼にもあの倚子が、倚子の中では最高と
彼にも直接言ったことがありました。
私の自宅にも、10点余りの倚子があります。
今私自身、どうしても、やってみたい倚子があります。
Septemberはデザインでの形態言語の肌理の細かさがあります。


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『あの名作の遠景はやっぱり無くなってしまった』


   


     1月 16th, 2018  Posted 12:00 AM

東山魁夷の「年暮る」という名作があります。
当時は京都ホテルの屋上から、川端康成の提案で、
「今描くべき」と言われた作品(1968年)があります。
「描いておかなければやがてこの景色が変わる」と言われた雪景色でした。
京都ホテルは現在は京都ホテルオークラです。
ホテルオークラのOkuraは私の恩師のスクリプト体であり、
ホールのデザインは故・内田繁、アルドロッシゆえ、
私にとっては、いつもこの絵画の上に現代の京都があります。
4日間このホテルから古書を探していました。
古書といっても、江戸時代の庶民の筆タッチのスケッチ:画集です。
結局、見つかりませんでした。
出逢ったあの時に買うべきだったと思っています。
とても軽快にほとんど一筆描きかと思うとても薄い画集でしたし、
なんだかいつでもこのスケッチを思い出すのです。
京都はワイフの生まれ育った場所ですが、
京都が魚を食べられるのは福井県小浜市からの「鯖街道」があるから、
奈良だって、お水取りは福井から送られてくるのです。
ともかく毎月、映画を観るために出かける街になっています。
車イスの私には、京都と金沢が映画が観やすい街なのです。
大阪はやや不潔で駄目、東京は車イス使用者を規定の場所ゆえ駄目です。
このことは本当に言い伝えないといけないと最近はつくづく思います。
もうどこが観光化していないかが分かる街になっています。
ともかく、今年はこれほど寒いかという街でした。


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『英国のPDE国家資格にまで連続したハイバックチェア』


   


     11月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

英国にはPDEという国家資格があります。
それはグラスゴー大学とグラスゴー美術学校でスタートしました。
PDE(Product Design Engineering)であり、修士号資格。
これは大学で技術を学び、美術学校でデザイン。その逆もあります。
要は、デザインと技術を共に学んだというデザイナーの称号です。
これを創りあげるために、名古屋に在住していた教授がいました。
そのグラスゴー美術学校は、チャールズ・レイニー・マッキントシュ
(Chales Rennie Mackntosh)を記念した学校です。
マッキントシュの作品では、このハイバックチェアには、
いわゆるデザイン史におけるアーツアンドクラフト運動と
本来は日本発のアールヌーヴォーが彼の椅子に息づいています。
そして、見詰め直してほしいことがあります。
写真両サイドのハイバックチェアは、アールヌーヴォー、いわゆる加飾性。
この加飾性は、室内調度の決定因です。
したがって、室内との調和性が最も問われている作品です。
ところが、中央のシンプルさはマッキントッシュの名作になっているのです。
理由は、空間での存在性だけではなくて、
空間の質を椅子存在が決定づけていることです。
いわば、座るという行為に対応するよりも、
空間質を決定づけていることによって、
自宅でも室内そのもののいわゆる質量までを制御しているということであり、
世界の名作椅子のほとんどは、室内での使い勝手よりも、
室内そのものを演出する象徴的な存在の決定因になっていることです。
結局世界の名作椅子は10点であれ、50点であれそれこそ100点選別しても、
バウハウス時代やシェーカー教徒、アジア:中国の禅所乗物、
ソクタツやテンスからは逃れることができません。
もはや、人間工学で椅子は絶対に語れないことに気づくべきでしょう。
最大の理由は、
使い勝手よりも結局は空間質の決定因が求められているということです。
おそらく、恩師・柳宗理のバタフライスツール、
倉俣史郎のハイ・ハウ・ザムーン、内田繁のセプテンバーを
デザイナーの私はやはり追い抜ける椅子デザインをしなければなりません。

* 『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』
* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 「『闇に座す』=土・立、修辞学的な造形の込めた願い」
* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


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『知人、友人、親友、いや話相手としての別感覚の友』


   


     7月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

京都ホテルオークラの左奥からのまなざしです。
京都は月1or2は主に映画を観るために出かけます。
そのほとんどの定宿です。
デザインとしては二つのことがあります。
まず、ホテルオークラのロゴタイプは私の恩師平野拓夫先生のデザインです。
もう一つは亡くなった友人・内田繁氏(アルド・ロッシ)共作のインテリア。
一昨日まで京都にいました。
そしてホテルに戻る度に、あぁ、もう一度会いたいなーと思います。
Gマークの審査会と毎日デザイン賞の最終審査委員時代でしか、
実際は約束してまで会ったことがないのですが、彼との会話や彼の作品、
それは特に「September」を思い出します。
先般このブログで米国のインテリアセンター竣工最初の「国際椅子展?」に、
日本からはたった四名の時も、彼は選ばれていましたし、
彼への献花式には青山葬儀場にてとめどなく悲しくて合掌しました。
その時には、やはり、彼の大きな遺影写真の下には「September」でした。
だから、どうしても欲しくて、彼が居なくなったスタジオ80に電話して、
買い求めたかった椅子です。
そして、Gマーク審査での昼飯は一緒に冗談ばかり言い合いました。
彼が桑沢のデザイン学校校長になると、すぐに講演もしました。
毎日デザインでは、5名の最終審査委員がいる中で、二人でこそこそ話を、
内容はいつか話したいことが一杯あるほど、この審査会で・・・・・でした。
親友ではなかったのですが、知人、友人でもなく、
ともかくデザインというか、肝心のデザイン論議でもなく、
デザイナーである、そんなデザイン四方山話の仲でした。
今回はちょうどこのホテルのエントランス工事中であり、
すこぶるこのホールの素材や仕上げやそして室内色彩の調和性からも、
君らしいなあ・・・彼ならという超重奏高級感
それをとてつもなく感じ取ることができました。
このホールで、今は亡き彼に向かって(君のさぁ、このデザインのなかで)
そんな空想の会話をしました。
今回、京都の古本屋でおそらく江戸後期の水墨スケッチを買いに来たんだ、
でも、もう売れたのか見つからなかったよ、って会話して来たのです。

* 『金沢美大には伝統的なアノニマスデザインがあった!』
* 「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」
* 「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』


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