kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘写真’


『カメラも大変革ですが、今のM8を絶対に使いたい』


   


     4月 6th, 2020  Posted 10:54 PM

今では「スマホ」があるから、生活、暮らし、趣味、仕事と
どこでもアプリで相当の事が出来ます。
ともかく、スマホカメラも十分な性能を発揮しますが、
やはりカメラも大変革ですが、手放せません。
私の愛用品としてライカM8 標準とマクロレンズを持っています。
と言っても、私はM8を使いこなせていません。
ライカでは限定品でM10で白黒オンリーが出ています、惹かれます。
腕前は、名品の精度をここぞと披露できるほどではなく
それは表現者=デザイナーとしてのそれなりなのです。
普段はライカやハッセルブラッドのデジタルの機種を使っていますが
レンズやボディの実装などブランド技術があり、
中身はパナソニックやソニー製であるためちょっと高額機種です。
ライカでは駄目、ハッセルブラッドと海外で言われました。
このブログ用に撮る写真もほとんど駄目ですが、
本当の憧れは「土門拳」です。
「宇治の平等院へ撮影に行った帰り、
鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら、
茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は、静止しているどころか、
目くるめく速さで走っているのに気がついた。
しばし保然となった私は、思わず「カメラ!」の美でした。」
土門拳の『古寺巡礼』の一説です。
駆け抜ける一瞬を逃さずなんとしてもM8を
もっと練習して、「見せられる写真」を撮りたいです。


目次を見る

『もっとジャーナリズムは正確に報道すべき』


   


     3月 25th, 2020  Posted 9:48 PM

野口英世という細菌学者がいました。
ノーベル賞候補に何度もなり、伝染病の治療と
研究に生涯といのちを捧げた医学者の伝記をこどもの頃読みました。
私は以前から現金を持ち歩かないのですが、
聖徳太子、伊藤博文そして現在の千円札は野口英世の肖像です。
しかし、蛇毒、黄熱病の研究功績は、
ノーベル賞はもらえませんでしたが、世界の人々を病から救いました。
新型コロナウイルスは、肺炎が引き起こされますが
肺炎と言えば、細菌肺炎とウイルス肺炎、真菌肺炎があります。
基礎疾患がある人、高齢者は、肺炎での症状で死を迎えることが多く、
個人情報があると言っても、経路や接触者をオープンにできないことは
中国や韓国などと異なり徹底管理の妨げになっています。
米国のSOHOのギャラリー=これは国宝ですが、
オーナーからのメールで届いた写真です。
当初は、甘く考えていたために、今はこんな状態だと
生活が一変した状況を知らせてくれました。
世界はより身近に、同じ問題をようやく共有し、
とりわけ米国、イタリア、フランスの友人達と密メールをしています。


目次を見る

『ビンチ村を三輪車で刻銘に描いていた』


   


     12月 21st, 2019  Posted 12:00 AM

500年前に、あたかも人工衛星からの写真かと思う、
そんな絵が、レオナルド・ダ・ビンチによって描かれていました。
これはビンチ村の上空から見えたと思う絵画です。
どうして、こんな絵が彼には描けたのでしょうか?
もともとというか、ダ・ビンチが絵を描いていた頃には、
彼はとても貧乏であり、やっとミラノで画家になりました。
兵器・軍器設計者として、彼の手稿には三輪車が発明されています。
当然、戦争では軍の地図帳でしかも上空から見えるMAPが重要です。
そのために、三輪車には例示として、ビンチ村の図がありました。
これこそ軍器としての発明、その実例として描かれていたのです。
人間も描き、その表情だけでなく、身体そして表層ではなく筋肉、
人体解剖図とそれへの探究心は留まりません。
しかも人間だけでなく布の質感や馬の筋肉や、
心臓の解剖には、動脈や静脈もありました。
500年経ってからコンピューター検証により、
あらためて彼の圧倒的な科学と芸術との融合が存在しました。
これこそ、学術へのアプローチの実証が確認されています。
だから、ダビンチの発明には、デザインがあるのです。


目次を見る

『嵐を呼ぶ園児「クレヨンしんちゃん」限定で京都だった』


   


     11月 28th, 2019  Posted 12:00 AM

京都にいたワイフから電話。
「駅にクレヨンしんちゃんがあるけど・・・」
オススメの写真もついてきました。
ともかく、Tシャツとできれば、シューズがほしい、返しました。
東京駅の「クレヨンしんちゃん」が出来て以来、
オフィシャルショップにも立ち寄ります。が、
今、京都駅に期間限定ショップがあるというのです。
以前、週刊誌にクレヨンしんちゃん擁護論を
PTAの連中向けに書いたことがありました。
今やアンパンマンのアンパンチが暴力的と問われる時代、
その世界観を表現するのには、何かと制限と配慮がつきまといます。
時々、TVで一人っきりで観ます。
使われる言葉は、親の立場になれば、
こども達に見せたくないアニメ筆頭でした。
子供の時って、それがとても私は有効と考えていました。
そういった経緯があり、
『嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード』の映画パンフレットに
コメントも掲載されています。
以来、クレヨンしんちゃんファンの私です。
最も原作者の白井儀人氏が亡くなってから、
こういうアクセサリーも含めて原作者が望んでいたものなのか、
違うモノがあったのかもと私は思っています。
冬の重めのコーディネートに白のスニーカーで抜け感を、
近くで見たらクレヨンしんちゃんと私です。


目次を見る

『ブラックホールと深町純の音楽は一致していた』


   


     8月 1st, 2019  Posted 12:00 AM

ブラックホールを各国の天文学者たちが、
とうとう、撮影に成功、視覚化されたのです。
この視覚化されたニュースのイメージとともに、
ふと、作曲家・深町純氏のアルバム「クォーク」を思い出しました。
私のブラックホールのイメージには、彼の最初ではなくて、
単音では無い、交響音が流れていたのです。
シンセサイザーからの現代音楽の技巧からの壮大で美しい音の世界。
そして、ブラックホールを人類が初めて目にした今、
クォークを作った深町純氏は既に亡くなっていました。
きっと、彼のイメージはこの「視覚化」で大丈夫でした。
アインシュタインのブラックホールの存在を
直接的に証明する偉業を成し遂げた天文学者たちのこのプロジェクトは、
NHKのスペシャル番組になっていました。
が、TV番組も「終焉」を迎えたかという思いになりました。
最近では、TV番組以上に、YouTubeを必ず観ています。
微分・積分の回答や、ナイフ、ガンなど、好きな時間に
自分の興味を充足させることができるのです。
デザイン手法を伝えることを、やってみようかとも思います。
それは、Blogでの文章も写真も、つまらくなってきたのかも知れません。
Logic will get you from A to B. Imagination will take you everywhere.
アインシュタインの言葉、想像力はどこにでも連れて行ってくれる・・・
深町順氏の音楽は宇宙空間を感じさせる
その音空間へ誘ってくれたけれど、
単なる情報がまとめられた番組は
それ以上でもそれ以下でもなかったのです。


目次を見る

『レタリングで基本ロゴタイプ・Kazuo Kawasaki® 』


   


     1月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

「Kazuo Kawasaki」。
フリーになって、ともかくこれからが、デザイナーとして
「名前を出す」と言うことで作成したロゴタイプです。
天地60mmで、ある書体(不明)を参考にして、
ケント紙上(ホワイティングが可能)で作成をはじめました。
私の作品・企画書・計画書に記載されるこのロゴは、
全てのレタリングの調整を終えるまでに3ヶ月くらいかけて
当時、赤坂の事務所でつくっていたことを思い出します。
最もzの書体が気になり、そのうちの2ヶ月をzの書体を調整しました。
しかし、このロゴタイプは最初は企画書だけに使用していました。
ふるさとの福井に帰ってから、越前打刃物にデザインを導入し、
「タケフナイフビレッジ」のブランディングを手掛け、
デザイナーとしての自分の名前は、表に出さないと私は決めていました。
また話題になってからも、私の写真は掲載しないとも決めていました。
作品よりも、「身障者がやっている」というイメージが、
先行することを恐れてたからです。
まだまだ公然と偏見や差別がある時代でした。
これを出来る限り、作品から抹消したかったのです。
28歳で車イスになり、まもなく70歳です。
そろそろ、思い切ってこのレタリング=ロゴタイプで、
デザインを使用していいのかと思っています。
ちなみに、名前をブランドとして商標登録するには条件を
満たす必要がありますが、
「Kazuo Kawasaki」は商標登録されています。
最近では、企業の製品で自分を売り出すデザイナーが、
多いことこそ、「デザイン本来」を忘れています。


目次を見る

『大阪で再度「メタボリズム」的論理が必要だが・・・』


   


     11月 30th, 2018  Posted 12:00 AM

1970年から55年後2度目の大阪万博が決まりました。
これによって2025年には関西を元気するというプロジェクト。
写真はちょうど大阪万博開催中だった
1970年5月15日号デザインジャーナル紙面です。
かって、日本には「メタボリズム」が、ありました。
メタボリズム、いわゆる生物用語の新陳代謝を意味する都市論です。
私には、ある建築家の「不動産=土地よりも動産が
これからの新陳代謝になっていく」が響きました。
今後の未来に対して、先頃「宇宙軍」が自衛隊で新設されましたが、
動産・新陳代謝・海から宇宙までが未来の対象になっていることが
私は大事だと思います。
アポロ11号と大阪万博の「月の石」と宇宙への羨望、開発競争が進み、
戦後復興の日本からの海洋、空中都市への壮大な計画が起こりました。
災害復興からの日本は、世界のエネルギーと物質問題から情報空間の未来、
そして宇宙への探査から研究開発、産業化や移住と提案は繋がっています。
さて、私は大阪の万博には行っていませんでした。
なにしろ、「太陽の塔」が、なんとも美大生の私には
受け入れ難かったとしかいえません。
今や「太陽の塔」をユネスコ遺産にとか言っていますが、
夜に、さらにライトアップされた姿が苦手だと感じています。
しかし大阪万博での未来の姿が子ども達に影響を与えたように、
未来の夢を描き出すことは「デザインの力」です。
ともあれ、「メタポリズム」はさらに建築家、デザイナーともども、
新しいそれこそ大阪の万博には必要でしょう。
私は、単に黙っていたいと思っています。


目次を見る

10月05日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 5th, 2018  Posted 12:00 AM

10月05日 先負(庚午)

なぜ多くの人が
ツールにとらわれてしまうのだろうか。
多くの理由があると思うが、
そんな理由を確かめることをまず忘れている。

列挙してみよう。
1 時聞がない・・・・じっくり考えていない
2 手先が不器用だ・・絵や写真に興味がない
3 面倒くさい・・・・本来プレゼンに熱意がわかない
4 手早く済ませたい・想像力が欠如している
5 ともかく便利だ・・図を描くことが苦手
ということになる。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


目次を見る

09月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 29th, 2018  Posted 12:00 AM

09月29日 先負(甲子)

なぜ多くの人が
ツールにとらわれてしまうのだろうか。
多くの理由があると思うが、
そんな理由を確かめることをまず忘れている。

列挙してみよう。
1 時聞がない・・・・じっくり考えていない
2 手先が不器用だ・・絵や写真に興味がない
3 面倒くさい・・・・本来プレゼンに熱意がわかない
4 手早く済ませたい・想像力が欠如している
5 ともかく便利だ・・図を描くことが苦手
ということになる。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


目次を見る

『帯文での私の思想は今も変わらない』


   


     9月 11th, 2018  Posted 5:23 PM

私の自著、それは一応あります。
連載2年半で1冊にまとめて出版し、このシリーズは6冊になりました。
その表紙は、自分でデザインをしてきました。
表紙のデザインは、自分なりの法則に従っています。
また、あこがれであったデザイナーの
「夢の形見に(倉俣史朗のデザイン史)」も連載ののち、
倉俣史朗の死後20年目に初めて出版しました。
書庫内に、私の蔵書の中にいくつかの帯文や共著がまとめてあります。
写真の帯文は、私が美大在学中から持ち続けていた思いと考えでした。
在学中の「玩具」のデザイン課題に、私だけが実寸制作ではなく、
縮小モデル(1/5)とコンセプト、そして様々な仕上げや展開を
モデルの写真にて表現し提出をしました。
しかし、これは課題条件を離脱していました。
実寸の実物ではないことを徹底的に否定をされましたが、
その時の文章の一部がこの帯文に継承されています。
「川崎はまたこうして論理で向かってくる」という教授もいました。
帯文は、玩具メーカの日本市場でのスタート時に出版された本です。
川崎にまかせたらということで
私が名古屋市立大学教授の時に、書きました。
「大人の勝手な思い込みで・・・」という文章がありましたが、
玩具について今でもこの考え方は変わっていません。
私自身は、積み木玩具を子供部屋8畳間一杯にくみ上げていました。
さらに美大では自分が課題の玩具で制作姿勢が
他の学生とは異なっていましたので、
国内製の玩具もまたか!という思いがありました。
「ネフ」が日本で発売になり、
木製であり色彩があり、極めて正方形や三角錘が多く魅力的でした。
日本の玩具がもう一度考え方を修繕しなければならなかったのです。
現在、私なりに特に工業デザインでは
「やり直し」が多いと思っています。


目次を見る