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『資本主義からの逃走』
   「 AとしてのB・対・BとしてのA、という連語考察」


   


     9月 11th, 2010  Posted 12:10 AM

・・・としての・・・
私が、「かたち」の考察方法を学んだのは、現代美術論と建築論でした。
美大時代、「デザイン」に関わる書籍は、当時本当に僅かでした。
したがって、最も、設計・造形・思想などの思索方法は、
自分で掴み取る必要がありました。
大学ではひたすら「造形実習での実技習得」でした。
実技をさらに活かしていく思想・思索は独習しなければと考えていました。
建築論、特に、日本では数名の建築家の著作、
その中で引用されたり、再検討される国内外の建築評論や建築論を読みあさりました。
一方で、正直、美大生なのに「絵画」や「彫刻」、
さらには「現代美術」との接し方すらまったく無知でした。
ところが、衝撃を受けたのは、宮川淳氏がちょうど登場し、
その論文で、「いかに芸術、特に、造形を捉えるか」という方法論の提示は、
建築論にも適用され大きな影響を残しました。
したがって、今なお私の大切な思索方法になっています。
彼は夭逝し、三冊の著作を残してくれました。私の思考に影響力を与えた支柱的な人物です。
その中で、「・・・としての・・・」という表現があります。
それも、「AとしてのB・BとしてのA」という連語考察は、その相対論となり、 
『A as B, B as A』は、AとBを深く洞察して「核心さ」を明確にする手法だと思います。
それは、「としての」ということばは、
格助詞「と」、あるいは助動詞「たり」となるサ変動詞「す」の連用形「し」に、
「て」が連結されています。
「として」という一語となって、助詞的になっていることばです。
私は、この方法論が、禅宗の現成公案にもあることを知って以来、
この思索方法を自分流にしようとしてきました。
まず、連語が助詞的に、二つの概念・観念が双方性から相補・相関・相対思考を支援することを、
私はいつも意識しています。
これは、古来の「金剛界曼荼羅」、「マトリックス思考」に見事につながっています。
「デザインとしての実力・実力としてのデザイン」をこの連語考察に持ち込みたいと考えています。


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