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「復興への意欲は、まずトポフィリアの確認」


   


     4月 16th, 2011  Posted 12:49 AM

地元愛はトポフィリアと言います。
住めば都というのではありません。
自分のふるさと、自分が生きて居る場、
そうした場所=トポスへの
限りない愛着心がトポフィリアです。
最も、そうした言葉よりも、
生活の場への愛着心は誰にとっても捨てがたいものがあります。
高校時代に大好きだった先生がこんな話をしてくれました。
「男は若いときにはふるさとを離れ、人生の旅をしなさい」。
この考え方が英国紳士の基本的な姿勢だから、
彼らは大航海時代をつくることができたということでした。
「そして、恋愛をして伴侶を見つけること、
そうしてさらに旅をするか、あるいは生活の場をつくる」
アラビアのロレンスの生き方がヒントだと言われました。
「年老いたなら、その愛する人とふるさとに帰る」。
私は、ふるさと愛、あるいは生活の場への愛着心は、
こうした生き方にあるのかもしれないと思っています。
被災した方々が、絶対に破滅した街に戻りたい。
あの原電20km圏内では、すでに生活をしている人々がおられます。
彼らはその街への限りない愛着心があるのだと納得します。
ようやく、原電事故修復を10.5年プランということで、
まず10.5年という期間が設定できました。
そこで、現政権が本来示すべきビジョンは必要不可欠です。
そのビジョンが、復興よりも新しい創造された街をというのは、
リーダーがいうべきビジョンではありません。
そのために新たな原資としての増税や復興国債、
こうした制度設計ではありません。
「ビジョンづくり」で最も肝心なことは、
「何が不可能であるか」ということを見極めたプランづくりです。
なぜなら、その「場」では、
出来ることと、出来ないことが共存しているのです。
  山で魚は獲れません。
  海にサクランボは実をつけません。
その「場」への愛着心には必ず不可能な事があること、
そのことを最も知り尽くしているということです。
納得している重大な覚悟があるということが愛着心です。
それをトポフィリアという定義だと考えています。

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