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Posts Tagged ‘名作’


『音場になるハウ・ハイ・ザ・ムーンでバド・パウエル』


   


     6月 25th, 2020  Posted 9:22 PM

ジャズ ナンバー「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」をかけました。
今はAMPZiLLA2000が「修理中」ゆえ、
「音像」より、「音場」を確かめました。
この「音場」は、BeoLab5とBeoCenter2の組み合わせで
搭載された技術により部屋の特性を計測し、
最適な音質で創り出しています。
私の大好きなバド・パウエルの演奏です。
バド・パウエルがフランスで演奏したものを収録したアルバムで、
その二年後に彼は逝きました。
「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」と言えば倉俣史朗の名作のイス。
自宅では中央に置いてあります。「シング・シング・シング」から
倉俣史朗はまたジャズ ナンバー付けたイスです。
この作品について私の著作『夢の形見に』では
「リトルネット論」で書き上げました。
まだとてもジャズ論では書けなかったのです。
ワイフが「この曲は?」と、
そこで、ジャズ論を述べようかと言いましたが、
「フーン」で終わりました。
このバド パウエルの名盤は、今、私を奮起させる音場でした。
そう言えば、故・菅野沖彦先生には、
「ジャズ」を日本人が録音する事が書いてあった。


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6月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 4th, 2020  Posted 12:00 AM

6月4日 仏滅(戊寅)

いわゆる世界の名作椅子には、
何らかの象徴性あるいはシンボル性が
内在しているから、
内在化させられる実在性が
生まれてくるわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』19 ビュー・ポイントからのミス・ブランチ


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『あの名作の遠景はやっぱり無くなってしまった』


   


     1月 16th, 2018  Posted 12:00 AM

東山魁夷の「年暮る」という名作があります。
当時は京都ホテルの屋上から、川端康成の提案で、
「今描くべき」と言われた作品(1968年)があります。
「描いておかなければやがてこの景色が変わる」と言われた雪景色でした。
京都ホテルは現在は京都ホテルオークラです。
ホテルオークラのOkuraは私の恩師のスクリプト体であり、
ホールのデザインは故・内田繁、アルドロッシゆえ、
私にとっては、いつもこの絵画の上に現代の京都があります。
4日間このホテルから古書を探していました。
古書といっても、江戸時代の庶民の筆タッチのスケッチ:画集です。
結局、見つかりませんでした。
出逢ったあの時に買うべきだったと思っています。
とても軽快にほとんど一筆描きかと思うとても薄い画集でしたし、
なんだかいつでもこのスケッチを思い出すのです。
京都はワイフの生まれ育った場所ですが、
京都が魚を食べられるのは福井県小浜市からの「鯖街道」があるから、
奈良だって、お水取りは福井から送られてくるのです。
ともかく毎月、映画を観るために出かける街になっています。
車イスの私には、京都と金沢が映画が観やすい街なのです。
大阪はやや不潔で駄目、東京は車イス使用者を規定の場所ゆえ駄目です。
このことは本当に言い伝えないといけないと最近はつくづく思います。
もうどこが観光化していないかが分かる街になっています。
ともかく、今年はこれほど寒いかという街でした。


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『最高のカメラシステムはまだ使いこなせません』


   


     11月 15th, 2017  Posted 12:00 AM

ずーっと憧れていたカメラがありました。
それはライカであり、そのマクロレンズでの撮影でした。
今ではスマホとインスタグラムで簡単に撮影が出来たてしまいます。
私はなるべく、スマホのカメラはメモ以外には撮りません。
ともかくレンズファインダーで、
デジタルと言えどもこのカメラ撮影に正直憧れているだけです。
なぜなら、これはM8で最初のデジタルカメラですが、
バージョンアップしてM8.2にしていますが、
本当に難しいテクニックをマスターしなければなりません。
安易なカメラ撮影は写真ではないと思うのです。
いわゆるユニバーサルデザインではありません。
このカメラはスタッフの結婚式でなんとしても必要ということで手に入れ、
そうしたら本体のみで、標準レンズも購入しなければなりませんでした。
ここから、マクロレンズ(右)まで本を熟読し、練習を重ねていますが、
なんと難しいことかと思います。
カメラの良さは、ブラウン管表示画面を撮れば直ぐに分かります。
もう日常的なデジタルカメラやスマホだと走査線が映ってしまうのです。
ともかく、アナログのライカ撮影、その瞬間撮影の名作など考えられません。
今ではM10で多様なレンズ・デジタル・MOSセンサー、解像度24000画素。
以前名古屋市立大学にハッセルブラッドベースで
10000画素カメラが12台ありました。
フェーズ・1は、このカメラが大学設立時に採用ということで、
この企業社長が(スイス?)名市大まで来られましたが生徒はどれだけ凄いか、
全く通じず、グラフィックデザインの担当教授がメーカー立ち会いで撮影。
M10では、「白黒専門の最高級のデジタルカメラ」までが発表されました。
以前、マミヤの中判アナログを使いこなしていた私ですが、
このM8.2でマクロ撮影はまだまだ私には撮影が出来ません。
撮影をすると、ライカで最高の表現になりますが、
ともかく時々、ひたすら練習をするだけのカメラになっています。
車イス上からの撮影は、自分一人では限定されていますから、
ファインダー周囲もアクセサリーを最低限持っています。
私にはそれこそ「インスタ映え」などのアプリでは「真の写真撮影」は無理。
こんな風に考えながら、M8時代からひたすら練習しかしていないのです。
いずれこのブログで、写真撮影ではこれが「最高」を撮りたいと願っています。

* 「IASDR2009でのキーノートスピーチを終えて・・・」
* 『とても酷使していた中判カメラがありました』
* 『今のコンパクトカメラはこの三台』
* 『デジタル表現の基礎は、烏口や用紙感覚も必要』
* 『ドクターウォッチ・アプリのバージョンアップ』


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『英国のPDE国家資格にまで連続したハイバックチェア』


   


     11月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

英国にはPDEという国家資格があります。
それはグラスゴー大学とグラスゴー美術学校でスタートしました。
PDE(Product Design Engineering)であり、修士号資格。
これは大学で技術を学び、美術学校でデザイン。その逆もあります。
要は、デザインと技術を共に学んだというデザイナーの称号です。
これを創りあげるために、名古屋に在住していた教授がいました。
そのグラスゴー美術学校は、チャールズ・レイニー・マッキントシュ
(Chales Rennie Mackntosh)を記念した学校です。
マッキントシュの作品では、このハイバックチェアには、
いわゆるデザイン史におけるアーツアンドクラフト運動と
本来は日本発のアールヌーヴォーが彼の椅子に息づいています。
そして、見詰め直してほしいことがあります。
写真両サイドのハイバックチェアは、アールヌーヴォー、いわゆる加飾性。
この加飾性は、室内調度の決定因です。
したがって、室内との調和性が最も問われている作品です。
ところが、中央のシンプルさはマッキントッシュの名作になっているのです。
理由は、空間での存在性だけではなくて、
空間の質を椅子存在が決定づけていることです。
いわば、座るという行為に対応するよりも、
空間質を決定づけていることによって、
自宅でも室内そのもののいわゆる質量までを制御しているということであり、
世界の名作椅子のほとんどは、室内での使い勝手よりも、
室内そのものを演出する象徴的な存在の決定因になっていることです。
結局世界の名作椅子は10点であれ、50点であれそれこそ100点選別しても、
バウハウス時代やシェーカー教徒、アジア:中国の禅所乗物、
ソクタツやテンスからは逃れることができません。
もはや、人間工学で椅子は絶対に語れないことに気づくべきでしょう。
最大の理由は、
使い勝手よりも結局は空間質の決定因が求められているということです。
おそらく、恩師・柳宗理のバタフライスツール、
倉俣史郎のハイ・ハウ・ザムーン、内田繁のセプテンバーを
デザイナーの私はやはり追い抜ける椅子デザインをしなければなりません。

* 『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』
* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 「『闇に座す』=土・立、修辞学的な造形の込めた願い」
* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


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staffblog 7月4日


   


     7月 4th, 2017  Posted 11:45 PM

7月4日

本日夕方より、
多摩美術大学での特別講義が、
実施されました。

名作のデザインから、
言葉の使い方まで、
時間の許す限りお話しさせて
いただきました。

講義終了後には、
学生さんから相談を受けつつ、
領域を超えた話題に展開。

終了後は、先生方との、
懇親会のお時間をいただきました。

ーーーーー

本日午後一には、DESIGN TOKYOの
大賞審査が行われました。

これまでに一次審査、二次審査を通過した、
5点から選ばれます。

一つ一つの商品を、
厳密に確認して行きます。

本日は、30年ぶりの再会もありました。
素敵な笑顔での再会です。


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『バブル経済は私たちも破壊したのでしょう』


   


     1月 29th, 2017  Posted 12:00 AM

明治のチョコレートは、私自身がその味を知ったモノでした。
しかも初期のパッケージのロゴタイプは、
デザイナーなら絶対に知っているグラフィックデザイン。
大御所であった故・亀倉雄策氏のレタリングでした。
ところが、グラフィックデザインの切なさというべきか、
全てが小文字表現になってしまいました。
多分、企業には逡巡性があったのではないでしょうか、
もし、時代風潮からの変更であったとしたなら無念だと私は思います。
したがって、このロゴタイプになってからは、私は明治チョコレートを
もう絶対に買わないでおこうとさえ思ったものです。
ちょうどこの時期になると、バレンタインという行事の準備が始まります。
デパートから、バレンタイン商戦始まりとかの小冊子を見て世の中は大変、
正直、呆れながらも、どこがこの商戦にどのような戦術になるのかという
興味がとても私にはあります。若い頃には大手デパートで、
自分自らが「ラブチェアー」という企画展をしたことがあります。
「ラブチェアー」って和製英語ゆえ、「ラブシート」、と、
米国の親友にアドバイスをもらったこともあります。
さて、チョコレートでもバレンタインでもなく、
日本の企業が壊れ出したのは、あのバブル時期からだった気がします。
バブルでの経済の崩壊は、企業にガバナンスとか、
企業は株主のための存在とか、しかもインターネットでの
情報時代=意識革命は、SNSとかのネガティブさが企業存在まで、
とても怪しくして、モンスターなる消費者とか、
サイレントユーザーという、文句は言わないが、
その企業の商品消費は辞めてしまうなど、
性悪説の社会構造が出来上がってきている気がしてなりません。
それこそ、「イジメ社会」も激しくなったようです。
ケータイやスマホがこの社会成立をバックアップしています。
企業の義も善も否定が扇動して、
美は「かわいい」ということに置換されたのでしょうか。
チョコレートの名作だったデザインの変更は、
まさしく小文字だからこそ「かわいい書体」へということは、
私には悲しみでしかありません。
バブル時には私は米国での仕事だけをしていました。
東京が「何か変」だったのです。
バブルは私たち日本人を壊したのかもしれません。

* 「チョコレートの決定打は決まっている」
* 「2/14のチョコレートは天然とヒーリング」
* 『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』
* 「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」
* 「キティちゃんにて確認できる『安全と安心』」


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『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』


   


     9月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM

イスや壁掛け時計一つで、
建築空間は一辺に空間の質を変えてしまいます。
さらに音響で空間の質量を自在に変更することが可能です。
工業デザイナーは、空間を建築家よりモノで自在に出来る職能です。
自分もいくつかのイスを自分デザインしてきましたが、
まだ、とても代表作にはなりませんから、大きなテーマです。
現在新素材で、これを乗り越えたい、というモノデザインをしています。
かつて、名古屋市立大学芸術工学部の新設時に、
「イス達」を集めようとなり、とんでもない費用要求にはさすがに、
名古屋市に駄目出しされました。それでも歴史的なイスは多少あります。
このスーパーレッジェーラは、シェーカー教徒のイスの影響があります。
軽量さ抜群なれど、イス性能での無謀さがありますが、
イス効能としては歴史的な名作になっています。
だから、イス機能の判断は難しいところだと思っていますが、
イスデザインは、一つのテキストであり、イスのコンテクストはあります。
名古屋時代に買い求め、シートが壊れて修理は待ちぼうけでしたが、
生き返りました。
すでに人間工学からのイス設計は終焉し、シーティングエンジニアリングが
これからのイス設計、イスデザインに進化すると判断しています。
「ジェネリックプロダクト」は駄目、まして盗作などはデザイン倫理を破壊、
これは俄然、許せません。

* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 『モダンデザイン源流を自分デザインにしてはならない!』
* 『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』
* 『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』
* 『HUSATとしての「シーティングエンジニアリング」』


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『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』


   


     8月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

私が椅子のデザインを追いかけたのは、車いすのデザインと
そしてある家具メーカーを家具見本市に出展させるためでした。
椅子を倚子というのが本来として、倚子の歴史を調べました。
一つは禅家所乗物・發子・独搨にたどりつき、
日本の仏教伝来と実は深い関係があったことや、
西洋でも、多分、土製と思われるスツールをメトロポリタンで見ました。
車いすのデザインではシェーカー教徒の家具全般を知り、
そのためにふた夏、ボストンの郊外にあるシェーカー教徒の村を訪問。
そして、デザイン界では今なお名作であるハンス・ウェグナーのYチェアに
禅家所乗物の一つ=日本では説教台の原点を見ました。
ウェグナー自身が、この椅子に関して
自分が中国の乗物から大きな影響を受けていると記述していました。
(この記述を探していますが、まだ見つかっていません)
美大時代には、イタリアのアビターレがインテリア・家具を学ぶ
まさにテキストでしたが、それは自分で選んだ家具をまずスケッチし
その上で覚えることをしていました。
それは、デザインのための資料で刺激・インスパイヤーされる、
一つの訓練でもあり、絶対に盗作をしないことの基本姿勢でした。
中国では、いわゆる物真似家具がとても安く生産されて、
それをジェネリック家具とかジェネリックプロダクトということへは
私は職能的倫理観をもって、この考え方をジェネリック薬品と比較し、
徹底的に論破を主張してきました。
「オリジナルからインスパヤーされてもオリジナルを超えられない」と、
美大時代には教わってきました。
ところが、ジェネリック家具どころか、オリジナルデザイン作家が
逝去すると、そっくりな家具を平然と行うことや、
それがあたかもアノニマスになっているからと自分の作品にすることは
私は絶対に許すことが出来ません。
まして、デザイン系大学で教員自らがジェネリックプロダクトとは
決して容認どころか、これは訴追する必要がると考えています。

http://www.nanna-ditzel-design.dk/F6.html
これを自分のデザインとまで発表するのは「盗作」である。
彼女は逝去されている。


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『デザインの名作で学んだことだが、モノはもはや消滅している』


   


     11月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

美大に入学後、私はタイプライターの学校に通いました。
しかし、そこは女性ばかりで、なんだかナンパしているとか言われ、
そんな気持ちなどあるわけがなく、一週間通えば、手法が分かり、
直ぐに辞めました。しかし、それは有効でした。
なぜなら、タイピング技能は当時のパンチングカード入力での
大型コンピューター入力では役立ちました。
大学時代に、この「バレンタイン」というタイプライターが、
まさしくインダストリアルデザインの名作として表れてきました。
私は、この記事を書き写すほどデザイン手法を学んだと思います。
なんといっても、タイプライターの出現は、女性が職業に就く、
最も大きな役割を果たすモノを創り上げたことでした。
したがって、それまでのタイプライターは万年筆だったという表現。
それに対してボールペンのような気楽さのタイプライターは
デザインが成しえたデザインの効果と効用そのものでした。
したがって、私は社会人になって買い求めた最初のモノでした。
このタイプライターで友人に手紙を書いていたことがあります。
今も私のコレクションになっているモノです。
しかし、まさにApple?が、テレビ画面のモニターと、入力装置の
タイプライターは、やがて時代を見送ってしまいました。
しかし、万年筆をボールペンとしたカジュアル的なモノ表現は、
私のデザイン活動では、基礎になったことは確かなことです。
このタイプライターの海外雑誌のCMは、幼児が海辺で砂遊び、
その傍らに、タイプライターが置かれて、バケットと呼ばれていた
ケースには砂が入っているという衝撃性は今も残っています。
モノの使用感を如何に容易にするために、カジュアル性を、
室内のデスク周りではなくて、砂遊びする海岸線と幼児という表現、
その中心にこのタイプライターがあったことは今も残っています。
私は、モノのフォーマル性とカジュアル性は、
このタイプライターデザインから学んだことは今でも大きいのですが
既にタイプライターの時代的な役割は終わっています。
では、果たして、ノートPCやPadが、
このデザインにはとても辿り付いていないと思っています。


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