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Posts Tagged ‘吟味’


9月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 24th, 2021  Posted 12:00 AM

9月24日 先勝(乙亥)

『選定としてのデザイン』

ただし、
その選定の評価基準を
デザイナー自身が
よく吟味しておくことは
大切である。

artificial heart:川崎和男展


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7月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 30th, 2021  Posted 12:00 AM

7月30日 友引(己卯)

『逐次としてのデザイン』

シーケンシャル
コントロール、
つまり、
時間の経過の中に
記憶されてきた、
それぞれの年月での
プログラムを
もう一度
ひとつひとつ
読み直し、
読み取り、
そして吟味し、
新たなプログラムに
書き換えることで
デザインの
逐次性を
高めていく
必要がある。

artificial heart:川崎和男展


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9月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 22nd, 2020  Posted 12:00 AM

9月22日 先勝(戊辰)

『技術としてのデザイン』

今、
技術の再編と吟味が
要請されていると
見るべきだろう。

artificial heart:川崎和男展


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8月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 12th, 2020  Posted 12:00 AM

8月12日 仏滅(丁亥)

『位相としてのデザイン』

また、この反対の局面には、
永続性を持っているがゆえに、
その「かたち」は内容を
吟味することなく、
その形式だけを
グッドデザインとして
評価する事態が
慣例となってしまっている。

artificial heart:川崎和男展


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『パノラマ的な拡大は詳細を見詰めることだ』


   


     4月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

視覚として四方八方に視点を動かすことを
目配りが優れていると言います。
特に少林寺拳法では「八方目」といい相手やその周囲に目配りの技法です。
この目配り技法によって相手の攻撃を防止するとともに、
相手からの防衛法を先んじることが出来ます。
四方八方という視界を拡大する手法は18世紀末に回転画、
パノラマ=panoramaと呼ばれ、
一つの思考空間とすることが可能です。
これはより大きなパノラマ空間に
アスペクト比:画面に比率を与えることです。
目配りする空間の比率には、集中画面への焦点化が必要になります。
それは大画面に集中点=焦点を設置すれば、
全体把握とともに詳細部位把握が必要になります。
パノラマ的な思考とは、
「神は細部に宿る」
あるいは、「尺は寸よりも短し」=僕の先祖宮大工の言い伝えです。
つまり、パノラマな空間はその比率毎それぞれの画面に、
細部や詳細性への目配りになるわけです。
これは単純な焦点というよりは、concentrationという
集結性や収束力をもたらす結論=思考結果になると考えます。
本来、回転画という画面設定であったことから、
四方八方への目配りとは、
まさしく、人間が周囲=環境への「知」とその経験を
より拡大出来るかが問われています。
というよりは、四方八方への大胆な目配りが、
実はもっと詳細に隅の隅まで熟慮と吟味を重ねるということを
意図しています。
この意図ある思考方法を「パノラマ的な手法」と
呼ぶことが出来るということです。

*『絵画に惚れることの重大さ』
*『専守防衛が鉄則ゆえに護身効果大の手法あり』
*『最も、障がい者の存在を描いた画家』
*『コンシリエンスデザイン学域の統合図解』
*『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


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『IoTではなくIoMetというライン手法』


   


     4月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

ムーアの法則、その提案者であったゴードン・ムーアが
1992年箱根でのApple社主催のカンファレンスで、
3原則を提唱しました。
土=シリコン、ガラス=光通信、空気=インターネットは
将来、つまり現在を変革すると基調講演をしました。
まだ、30代だった私はそれを信じて以後の動向を見てきました。
私が現在辿り着いているのは「コンシリエンスデザイン」と
その対象を「看医工学」に決定しています。
そして、発想思考方法は「コンセプト」から離脱することが出来て、
「コンセプト」から「ライン」へと更新することを実務実績にしています。
相変わらず、世間的な未来予測は「コンセプト」、概念あるいは観念ゆえ、
「スマートシティ=Smart City」
「IoT=Internet of Things」
「Big Data」という大雑把な概念・観念が吹聴されています。
「AI-Robotics」人工知能のロボティックスとの共生が謳われています。
僕はこれらを「Line Method」でその詳細に入りこんでいます。
理由は、実務対象としての看医工学にするには、
ライン=最新さを伝統的な脈略で吟味する必要があえると
判断するからです。
スマートシティは、明らかに技術進化して革新化された医療環境です。
それはIoTではなくて、Internet of Medical things=IoMetです。
さらにほとんどタイトルでしかないビッグデータは、
サーバーネットワークとその対処対応システムの完備が必要です。
結局、ロボティクスが再生医学に結びつくことは確かです。

*「革新が始まっているから、私の『夢の形見』」
*『「KK塾」大野ゆう子教授からスタートしました』
*『資本概念の変容と変質はイデオロギーを消去す』
*『非常事態宣言の街=パリにて、決意』
*『K塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』


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『商品である「デザイン思考」は経営論にすぎない』


   


     3月 14th, 2016  Posted 12:00 AM

「デザイン思考=Design Thinking」は米国IDEOの商品です。
しかもこの商品は経営論の手法をそのまま商品化したにもかかわらず、
大学のカリキュラムに影響を与え、それを輸入した国家の大学にも
大きな影響を与えて、流石にIDEOのデザイン商品は成功をしました。
しかし、経営論にも関わらず、あたかも経済論として語られた
「イノベーション」は吟味されることもなく、
浅薄な知識人だけではなく、「実績の無いしかもデザイナー人」にまで
デザインの未来論のごとく宗教論化していることを嗤わざるをえません。
かつて、オックスフォード大学とIDEOと大阪大学大学院・私の研究室で
あるプロジェクトに取り組んだことがあります。
それは私のデザイナー責務にかけた「素材論」でもの別れになりましたが、
その時以来、IDEOらしさの仕事は見当たりません。
経営論でイノベーションを語っても仕方の無いことです。
が、「デザイン思考」では経済論で万一、イノベーションを語ったなら、
それは嘲笑されることになるでしょう。
経営論と経済論は
まるで異なっていることすら知らないデザイナーは不必要。
Design Twoから出発したIDEOで
今なお故・ビルモグリッジ氏が生きていたなら
この経営論である「デザイン思考」は
決して商品にはしていなかったはずです。
やがて「デザイン思考」が決して「イノベーション」を生み出すことは
絶対にあり得ないことが証拠だてられるでしょう。
実績ある革新的=イノベーション足る商品の経営論には
「デザイン思考」の逆説が見事に表現されています。
その最大の理由は、
イノベーション=出発はドイツ語のコンバイネーション、
「新結合」という経済論では、
必ず、「資本主義社会は破綻する」という結論を出していました。
「新結合」と言ったシュンペンターは1928年にこの予測を立て、
1929年には「大恐慌」が始まるのです。
そしてこの大恐慌が世界大戦を引き起こすことになるわけです。
僕は商品化された「デザイン思考」の代表作を読んでみて、
大恐慌とともに第三次の世界大戦にならないことを
心から願っています。
デザイナーなら、デザイン手法では思考を重ねているはずです。
にも関わらず、デザイン自らが商品化された「デザイン思考」に
これこそ待ち望んでいた手法と言いだし、
これに寄りかかっているのを見るとき、
彼らは元来才能が無かったことを自明しているのです。


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1月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

1月17日 先勝(戊戌)

オリジナリテイ=独自性だけではない。
オリジナリテイ=独特性が無ければならない。
なぜなら、
独自性は、主観性が反映するが
独特性には、客観的な評価が
必ずその判断が下されるからだ。
さらに、独禁的な制限性を
黙示しているがために
吟味され無ければならない。

川崎和男の発想表現手法


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11月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

11月6日 先負(丙戌)

言語を取り戻すことは
発想の再原点になる。
そして
常識化された言葉は
その定義性を歪めてしまう。
よって、
発想のためには、
常識語の吟味が不可欠である。

川崎和男の発想表現手法


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「ISOTでの勘違いを発見」


   


     7月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

今年の文具展は一つのエポック的事件でした。
二つの事件がエポック性を語っていました。
1 アナログとデジタルとの融合が開始されました。
2 二極化スタートの芽生えかも。
まず、デジタル文具が様々な形式で登場してきました。
文房具としてのデジタル化とは、
そのようなシステムは長続きするわけがないという商品の存在です。
それをビジネスニュース番組でも、
「未来の文具」として取り上げているのです。
それはTV報道全般が最近では、
裏付けの知識が欠落していることと連動しています。
「未来の文具」をまったく会場で見つけていないことです。
その商品では無くて、
これが「未来の文具」という見立てが出来ないのです。
アナログ的文具性をデジタル文具との関係で見極めていたのは、
やはり、グランプリになった二つの商品です。
「書く」という文具基本を重要視した二つのノート形式です。
一つはラグジュアリー価格で「書き心地」を世界最高にしたノート。
これは機能性だけでなくて、日本の文具を二極化、
やっと日本の文具の付加価値性を高めていくスタートになりました。
もう一つは、「書く」ことの意味性=アナログ感覚を
デジタル文具に対決化させたノートです。
比して、デジタル化を中国で、
本当はアナログ作業なのにデジタルに見せかけているノートですが、
これは相当なる勘違いであり、海外労働力だけを頼った商品、
文具文化、たとえば情報の垂れ流しは国防的にも大変に危惧されます。
私も使ってみましたが、この高額商品は今後進展しないでしょう。
もっと、
デジタル化をすっきりとさせているメモノートの方を私は選びます。
もう一つは、OEM発注していて、
自社ブランド商品にしているにも関わらず、
その製品の素晴らしさを理解していないブランドが散見できました。
これも勘違いです。
結局、ユーザーの厳しい商品選別眼に、
文具メーカーや文具ブランドは気づいていないということです。
日本の文具がもっともっと貿易輸出品になっていくには、
このエポック性を
再吟味することを文具業界に伝えておきたいと思っています。


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