kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘否定論’


『資本主義からの逃走』
 「白日夢の幻想が・・・創造に向かうとき」


   


     6月 8th, 2010  Posted 12:00 AM

白日夢
ここでの論理を終盤に向かって収束と集約をさせていきたい。
そうなれば「形態学序説」をもう一度しっかりと読み直そう。
そう思いつつ、
「白日夢」という言葉は明快で明確ですが、
結局は、「うすらぼんやり」しているだけの意味にすぎません。
私も叶うなら、連日、うすらぼんやりしていたくてたまりません。
確かに、私自身デザインに夢中なとき、
それは「緊張」と「白日夢」が交互になっているとも考えられます。
あるいは麻酔でとてもいい気持ちという感覚と同等な空意識があります。
白日夢の中で書き残されたのでは、という小説もあります。
太宰の作品には、それを感じ取ることがあります。
しかし、文章や言葉と対峙している感覚が、
白日夢的になるという体験を私はしたことがありません。
けれども、スケッチにともかく集中していて、
頭の中が本当の空白状況になることはしばしばです。
Morpheusが入り込む
そんな時、私はMorpheusが、私の中に入り込んでいて、
ほとんど空白と空虚の狭間に自分が浮かんでいると、
後で悟るのです。
それから、私はボールペンスケッチに色鉛筆着彩をします。
これはもう夢中になるのです。黒と色彩にのめりこみます。
Morpheusの意のままになっているのかもしれません。
そして、「コレダ!」という瞬間で白日夢から目覚めます。
幻想・カオスから創造
おそらくこの状況・状態は「幻想」の中に自分がいるのだろうということです。
「幻想」あるいは「幻想論」をひとまず纏めたいと思いますが、
それは、すでに「幻想」の否定論になりそうな気がします。
つまり、「幻想」だけに、
「幻想は幻想の中で」、
「幻想には幻想だけを」、とも想っているのです。
幻想×幻想=白日夢=カオスだとするなら、
明快さも明確さも際だっているわけではありません。
パウル・クレーは、このことに浸りきっていたデザイナーだったのだろうと推測します。
幻想こそ、カオスならば、
そこから幽体離脱を果たしたとき、
「ある・かたち」に辿りついているのです。
私は、この瞬間こそ「創造」だと想っています。


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『資本主義からの逃走』
  「Made in Japanの復権は、売国奴たちの追放である」


   


     12月 27th, 2009  Posted 6:00 AM

091226
3.4年前に、JISマークの審査をしたことがあります。
091227jis
JISマークが、
コピーされていることが歴然としてきたからです。
無論、それがどの国かはおわかりになるでしょう。
したがって、マークは2mm以内でも視覚確認が可能。
だから2mm以内で刻印や印刷ができることでした。
しかし、すでに、
それだけの工業技術は確立しているものと推察します。
私は、グッドデザイン賞・Gマークは、
新たなJISマークでもあると考えています。
091227gmark
Gマーク「賞」とまで言わなくてもいい、
という意見も多く聞きますが、
あえて、Good Design Awardという権威が必要だと、
私は思っています。
私は、ほぼ独裁に近い国家体制には、
「倫理観」・「品位の自覚」・「自負心」はこうした国家には
絶対に無いものと判断しなければならないでしょう。
そうした国で、「安かろう、悪かろう」が「モノづくり」を
自己金銭欲で携わる輩は、売国奴(Traitors)です。
私には、Traitorsの条件を設定しています。
かつて、わが国も、「モノマネ」国家でした。
それを払拭する倫理観の証明からGマーク制度が
スタートしたわけですが、
明らかに「勤勉であるモノづくり」とその「正当対価」の
自覚を当然としてきました。
それこそ、資本主義というイデオロギーのある種、
仕掛け、仕組まれた制度だったと思いますが、
私は、これを容認しています。
しかし、その資本主義の制度を転用すれば、
「商売欲」を正当化もできました。
しかし、その歪みは、「金融資本」という「モノ生産」を、
明らかに制御する運用手法の謀議すらOKとしたのです。
もし、私が愛国心で語る「神の国」、「花綵の国」の
伝統や美学を護るなら、
様々な「防衛策略=Intelligence Design」は不可欠です。
よって、
独裁国家や、一党支配国家や、
私が一方で否定論を語る、反「民主主義国家」へ、
わが国を売り渡そうとするTraitorsは、国外退去、
まさにEXILEさせるべきと考えています。

EXILE

ある種のトリックスター的な風潮が、そのまま、
現代日本の哀しさをあらわしているのです。


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