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Posts Tagged ‘和紙’


『和紙の深淵からバナナペーパー提言の森島紘史』


   


     4月 29th, 2022  Posted 8:00 PM

私が詳細に伝統工芸を語れるのは「森島紘史」。
彼が逝きました。
彼と逢ったのはAXISでの私の個展でした。
当時、彼はすでに伝統工芸にかかわるデザイナー、
唯一の存在でしたから、
私に福井なら越前和紙をやっては、とアドバイスをもらいました。
そして、再び逢ったのは名古屋市立大学で、同僚となりました。
入試の実技採点では、二人ともが1000人ほどの中から
この人ならと思う受験生も、
学科の比重が高くて不合格となり改善を求めていました。
学生に本物の道具を持たせたくて筆1本、28000円を、
教授会で承認を得るために団結しました。
インダストリアルデザインとグラフィックデザインは、
名古屋市立大ではたったデザイナー私たち二名が
常勤として担当していたので、
新入生は有名デザイナー森島先生のヴィジュアル理論、
私の色彩論でデザインの基礎をスタートしたのです。
彼も私も結構、喧嘩ばっかりしていましたが、
本気で議論、討論していました。
有るときには、グラフィックデザイン専攻の学生の
遊学先について二人共講師のクランブルックアカデミーで
修士を修めてからハーバード大学院を受けさせようとか、
また有るときには、伝統工芸の和紙については
「舐めて4種別を身体化」すべきとかでした。
彼はバナナの茎から紙をつくるバナナペーパーを
ハイチで実践し評価を受け、書籍化、そして映画化もされました。
映画については監督と喧嘩をしたらしく抹消されています。
また彼の実績はバナナペーパーだけではありません。
かつてのグラフィックデザイナーの対象領域を拡大し、
社会にさまざまな仕組みを提案したのです。
■ 「薔薇を宅配便で贈ること」は彼が生み出しました。
■ 「サーモンはカナダから輸入」も彼でした。
■  バレンタインデーに、
「石ころに新たなストーリーをつけて贈り物にする」も彼。
彼はいくつも喧嘩ができる友人、同僚でした。
「紙からバナナペーパーまで」紙の話を語れる人を失いました。
私が名市大を離れる時には教授会で、
芸術工学部をまとめる役として彼に一票を強制、託しました。
「森島紘史」は78歳で逝きました。
名市大で芸術工学部20周年の挨拶に一緒に
登壇したのが最後で、喧嘩せずでした。


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『かっての日本の行事やモノやお菓子には文化があった』


   


     7月 17th, 2019  Posted 12:00 AM

本来は端午の節句に「ちまき」は配られています。
ちょうど今、祇園祭りで「ちまき」が圧倒的に売れ、
同時にネットで転売されているというニュースが出ていました。
祇園祭の「ちまき」は笹の葉で作られたお守り、
疫病と災難除けに効果があるとされています。
それを見ながら、私は母方の祖母が、
とっても大きな鍋でちまちを巻いていたことを思い出します。
この時期、京都の和菓子のちまきを食べたとき、
これは絶対に私の知るちまきではないと言い放ちました。
それこそ現代では、行事、節句の中でも消えつつあるモノ、
消えたモノがあります。
たとえば、油団(ゆとん)、
これは福井の夏のしつらえ、和紙に荏油を塗り込んだ敷物でした。
蚊帳なども、今ではすっかり使われていません。
が、この蚊帳の目がとても気持ちがいいのです。(床ずれなど)
昔、祖母がやってくれていたことがとてもいい思い出であり、
福井での日々の暮らしがとても豊かだったのだと感じる一方、
日本は随分と継承してきたモノやコトを捨ててきていると思います。
そういう意味では、
小中学校での思い出の「日本の文化」が消えているのです。
合理化や利便性を追い求めすぎた代償は大きく、
未来づくりを担うデザインも、単にモノづくりがコトづくり、
翻って、コトがモノづくりだとする一辺倒のストーリーは
再考、再構すべきです。


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『「未来学」なら、伝統工芸を止めるという「裏切り」を』


   


     4月 26th, 2019  Posted 12:00 AM

編者である福井県立大学の教授(FB)から、
私宛に一冊の本が届きました。
これは「越前和紙」のあるプロジェクトの記録本でした。
私が福井にいる頃に、もう30年ほど前になりますが、
越前打刃物や越前和紙などの産地に、
インダストリアルデザインを導入しようとしていました。
ちょうど、産地で結成した「オータキ・ペーパーランド」で、
NewYork展も行い、職人たちは、話題と評価を得て自信をつけました。
「和紙」がユネスコ無形文化遺産に選ばれた時には、喜びもつかの間、
それは三つの産地のみで、最も歴史が長い福井の産地は外れていました。
このことに怒りの文章を綴っていたら、地元出身の参議委員の議員氏から
お呼びがかかり一緒に文化庁との話し合いにも出掛けました。
今では、福井の産地もユネスコ世界遺産に選ばれています。
本にまとめられたこのプロジェクトにも見過ごしていることがあります。
いい加減に昔からの道具とトロロアオイという媒介物を捨去ること。
当時から、製造工程を私は準備しています。
今では、伝統工芸の復活というコラボレーションをやっていますが、
新たな産地として、それこそタイトルの「未来学」は書かれていません。
新しいペーパーが書かれていません。
「未来学」なればこそのコンセプト(もうこれ自体古い)が
欠落しています。
書籍にも当時の私の厳しい言葉、職人と見つめた展望、
達成そして感謝があります。
なかなかの書籍がまとまり、私の活動に文章を寄せてくれた産地の方々、
編者の先生に御礼を申し上げます。
「KAMI」=商標は不認可と「森羅万象紙爲」がコピーでした。

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Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ


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『バラマキ土産を伝統工芸とは「ふざけるな」です』


   


     12月 2nd, 2018  Posted 12:00 AM

「オリンピック・パラリンピック」の「儲け話」がここまで酷いとは?
伝統工芸品等の東京2020公式ライセンス商品化の案内が来て、
産地がともに盛り上がるのであればと考えました。
そもそもロサンゼルス大会から、商業主義が発生してきましたが、
まったく、違うやり方でした。
私は越前打刃物と越前和紙に、最初は「こうやれば」と望んでいました。
打刃物の産地、和紙の産地にも参加してもらって、
プロモーションになるから、細かく企画を練っていました。
ところが、主導しているのは株式会社47CLUB、
これは全国45社46紙の新聞社でした。
46紙の新聞社が「伝統工芸」に目を向けたのですが、
その契約や流れをみると、技術や後継者を必死に育んできた
「伝統工芸」を使って開発した商品は
「産地名はいらない」という契約です。
私は、「それはインチキだ」、と二つの産地に言いました。
大切な産地を、単に「バラマキ土産」をつくる、
そんなことに巻き込んで欲しくないのです。
「オリンピック・パラリンピック」関連商売として、
新聞社が伝統工芸を利用していると判断しました。
それこそ、和紙の産地は、
世界遺産の当初のエントリーからもれました。
1500年の伝統ある産地ですが、
後継者が地域として育成されていく体制づくりが必要でした。
そういった問題もようやくクリアされ、
「越前和紙」もユネスコ世界遺産の産地です。
が、全然メディア報道がありません。
だったら新聞社で1300年の産地がなぜ駄目だったかを知らせるべきです。
また、越前打刃物は「伝統工芸」では世界的などんな産地よりも活発です、
親方と後継者が産地を、まだまだ高めています。
「オリンピック・パラリンピック」は純粋にスポーツ競技を応援します。
産地とともに、まったく新しい企画をたちあげます!


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『和紙と和風紙は絶対に分けて考えるべきだ』


   


     10月 30th, 2018  Posted 12:00 AM

和紙は伝統工芸のそれも1500年の歴史があり、文化です。
しかし、もはや土産物の一部を構成しているようです。
土産物であっても、私は批評しようということではありません。
和紙であるが故に、絶対に和風紙と言っては駄目です。
私は和紙が世界遺産になったときも、やっと和紙がと安堵しました。
ところが、その時選ばれた和紙はたったの3つの産地だけでした。
1300年の歴史があり、伝統を受け継ぐ仕組みや組織が確立された産地です。
あの日も、キャリアを呼び出した議員とともにその議論に加わりました。
選定されなかった産地に欠けていたことは、産地としての永続性でした。
そして、キャリア達も和紙と和風紙の違いは十分に知っていました。
それほど熟知していても「なぜ?」、和紙+和風紙が全く変わりません。
私にとっては、このブログでも和紙と和風紙はいつも言ってきました。
和風紙は越前の産地では必ず「半草」と呼ばれています。
それは「半草」には紙パルプが混ざっています。
和紙への印刷はとても難しくて、和風紙なら大丈夫なのです。
明確に表示し分けて扱うことで、
それぞれの特性と取り扱いを知ることができるでしょう。
実際、私は表示がなくとも見た目はもちろん、舐めて見極めることができます。
「紙、舐めていい?」とは店頭では言えませんが、最初はよく言っていました。
もう亡くなってしまったグラフィックデザイナーが、
和風紙を使っていることが残念で、本物の雁皮紙を送ったことがあります。
その当時にそれを明示できるのはたった2名だったと思います。
「半草」である和風紙を知っていただきたいと私は思っています。


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『「タケフナイフビレッジ」は3年連続褒章を叙勲』


   


     12月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

福井に戻って越前打刃物にデザイン主導を始めました。
「タケフナイフビレッジ」を設立して35年?ほどですが、
今年度も瑞宝単光章を叙勲、3人目で毎年1名いただいています。
こうした褒章制度への様々な見解などには
私は何の制度批判論もありません。
ともかく私には「タケフナイフビレッジ」デザイン主導を信じてくれていた、
越前打刃物の仲間たち=10人でスタート、1名逝去ゆえ親方たちが、
それこそ市長から議員さんまで集まって本当に温かい叙勲記念、
その集まりがとても大事だと思っています。
そして生きていてくれたならという、何人かの裏方だった人や、
生きていれば叙勲されたメンバーを思い出します。
「タケフナイフビレッジ」については、日本でトップ、
無論世界でトップの刃物にデザインを導入できたその大きな喜びがあります。
当然、越前市には、打刃物だけではなく、和紙から漆器までの
日本の根柢的な伝統工芸が継承されるだけでなく、
真の「伝統」trad=先代を裏切る進化、
それをデザインが主導出来たことです。
越前市の市長も大学卒業から即、松下政経塾に入り、
地方行政のリーダーとしてずーっと見てきたことです。
これは私の人生の大きな一面としても自分デザインでの作品が、
今なお全くデザイン変更無くても市場性を失っていないことです。
北陸新幹線が隣の金沢市を活性化しています。
しかし、それがやがては福井市から敦賀市までという計画ですが、
私の見識では、果たして新幹線での観光都市が正解とは思っていません。
「タケフナイフビレッジ」は連続して3人も叙勲して、
後継者も若い次世代20名も居ますが、彼らは私を怖がっています。
当然でしょう、30数年の経験から未来のデザイン、打刃物の近未来から、
もっとその伝統工芸を正直私には明確な夢があります。
しかし、私に残された人生の時間もあります。
叙勲者は同世代であり、私自身も彼の親父さんから学びました。
「知延常楽」を彼は鋼の火造りレンガの釜場に残しました。
そして「槍鉋」という宮大工ならば使いこなすべき刃物づくりが出来ます。
現代の鋼素材加工では絶対に科学的解明不可能さえ、
私は見てきましたから、それを今では使用する宮大工さんもいませんが、
私はデザイナーとして彼の火造り鍛造を残すつもりです。

* 『タケフナイフスクールは越前打刃物産地に開設する』
* 『「寸は尺よりも長し」をデザイン表現したハンガー』
* 「『知延常楽』・打刃物職人の哲学にローカリズム」
* 『機能美に器能美を五大器械から語り直す』
* 『ハサミを鋏から「刃裟美」としての相対論の記述』


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『京都に隠れ家あり』


   


     10月 24th, 2017  Posted 12:00 AM

京都は私にとってはやはり日本の代表都市だと思います。
東京は私には首都と言っても時代流行の軽薄な都会でしかありません。
日本の文化を支えてきたのは、越前=福井県と美濃=岐阜県であり、
これが文明を伝統化して文化を支援したというのが私の信念です。
なぜなら、京都も奈良も、根本的な文化を支えてきた労働の里=鄙は、
福井県と岐阜県であることは間違いありません。
なぜなら、刀剣、和紙、漆器、陶器は、この二つがあればこそです。
私の母方は、宮大工でありそれは紀州から京都に住み、
関ヶ原にて秀吉と家康に分断され、負けた一族は逃げて越前のもっと鄙に
隠れ住むことでした。
奈良には「お水おくり」があり、京都には「鯖街道」があるがごとく、
都文化を支えていたと言い切れます。
そして私自身、ワイフは京都生まれ京都育ち。
よって、毎月、映画を観ることにして京都には滞在します。
私は身しょう者対応が出来ているのは、日本では京都と金沢であり、
それがなんとも文化を最もシンボル化していると判断しているのです。
そして、これは京都の隠れ家でもあり、スタッフに先般、初めて見せました。
正直、私は家という住処意識は全くありませんから、
これは私の一応隠れ家ですが、ほとんどがいずれはワイフの住処でしょう。
この家の設計は友人の作品でもありますが、
手づくり感を大事にする友人建築家と工業製品感が当然という私、
この対立は、設計から施工にあたって大変な論議をしたものです。
この家が建つ前には、ほとんどが空き地でしたが、
今ではすっかりと住宅地になっていますが、
造形的には平屋建てのたたずまいは美しいと思います。
私は建築デザインよりも工業デザインがどれほど繊細で難しいかを存分熟知。
日本の住宅建築は、工業デザインが主体であるべきと思っています。
だから日本の住宅建築で最も軽視されてきたのは、
耐震性や土砂災害であり、それ以上に、
すべての住宅にはシェルターが必須だったことです。
「家」のパターン・ランゲージで言えば、
日本の住宅には絶対にあらゆる自然災害と防衛としてのシェルターは、
本当に大切だったと今は特にそう思います。

* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 「青い空は動くのです、しかも晩夏の空にアラート不要」
* 『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』
* 「車とエレベーター」
* 『「森羅万象悉く紙なり」とは神と死に直結している』


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『日本文具大賞・機能部門グランプリが示していること』


   


     7月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

「日本文具大賞」では、デザイン部門と機能部門二つに分野を分けています。
正直、私は最初は1部門、つまりデザインだけで十分と思っていました。
しかし、最近は2つの部門で、性能・効能・機能によって最終的な「美」、
その有無でこれは機能部門グランプリ。
私自身、私デザインでのハサミは海外美術館にパブリックコレクションが
それこそあるだけに、刃物、さらにハサミについては一家言あります。
なぜ、ハサミが人類に必要であったかは、伸びる髪の毛を切る道具でした。
いわば、刃物という文明をさらに進化させたモノでした。
このところおそらくハサミを進化させているのはわが国・日本です。
また、この文具大賞は連続受賞であっても、
モノの優れていることが当然であれば、
その賞品を選ぶことになっています。
このメーカーは、他分野からの経営者が変わってから、
格段に文具業界に新しい風を吹き込んでいるメーカーに変身しました。
また、日本だからこそハサミは進化を相変わらず遂げてきています。
さらに、このメーカーは「売れているという市価」への拘りがありません。
正直、ハサミはまだまだこうして進化する方法があったものと思いました。
ハサミの切れ味は、水で濡れているティシュペーパーを空中にぶらさげて、
それを下から切れるだろうか、と、
もう一つは、これも濡れている強靱な和紙が和紙を持たずに切れるか、です。
ところが、このハサミは厚さ3mmもあるステンレス鋼で、切るということに、
「切り落とす」という性能の存在性、これを使い勝手という機能にまで、
見事に昇華させていたことでした。
このメーカーは経営者にデザインセンスの判断が明解でした。
残念ながらデザイン部門では、もう一歩でしたが、他の応募作では、
おどろくばかりの文具設計での、従来では考えもしなかった検査結果があり、
このメーカーは日本の文具づくりを根本で変えていく
企業存在性が生まれてきているようです。
それは経営者の理念が変われば、文具への技術革新があるということを
見事に商品の機能性で証明してもらったと評価しました。

* 『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
* 『売れるより売る文具大賞グランプリ』
* 「散髪がシステムデザインされているから気に入っている」
* 「まだまだ見つけ出すことがある、ようだ。」
* 「日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき」


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『大人的な表向きだけは嫌です: 洒落てはいけない』


   


     5月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

花オクラという別名をもつトロロアオイがあります。
これは和紙はもちろん蒲鉾や蕎麦などのつなぎに使われています。
しかし、牛乳紙パックの中身は紙パルプです。
この紙パックをそのままミキサーで粘状にして、漉けば、紙が作れます。
若い頃オータキペーパーランドという越前和紙のグループを率いていました。
そして、「スキッコ」という、ハガキを漉くセットを商品化しました。
NewYorkでもヒットしましたが、国内ですぐに盗用されました。
しかし、漉き下駄を製作する越前和紙産地ゆえ、
釘も真鍮、木材も変形なしゆえに、大手の教材卸業には売れていました。
その販売権は産地に譲りましたが、
今は漉き下駄製作所もなく商品はありません。
このパッケージには牛を使って、「越前ウシ(和紙)」としたら、
越前和紙組合から叱られました。
墨流し=マーブルをする「スミッコ」も商品化。
ついでに和綴じをする「ワトジッコ」も商品として大手百貨店で、
これらをまとめて「人間国宝練習セット」としたら、
当時の文部省に叱られました。
Mac:当時の白黒アニメーション最初のゴジラが動いていました。
それなら、「伝統工芸士養成セット」としたら、
今度は伝統工芸士組合?の法人から叱られました。
当時は個展をやって、作品を手で持って、その作品の裏には、
「見たな!●●野郎」とかを仕込みました。
だから、招待作家展に出品するときも、
作品に触って裏を見れば、そういうコトを書きました。
したがって、招待展事務局からは「外し無さい」とか言われ、
出品しても意味なしと思える展示会をそれなら出品しません、
と粋がっていました。
大抵の展示会では、「作品には触れないように」というのがあります。
これは、とても高額な陶磁器や作品では仕方ありませんが、
インダストリアルデザインやプロダクトデザインでは、
「手で触れて持ってもらえることOK」だと私は思っています。
そういう意味では、車椅子視線や子ども視線では、
デザイナーの展覧会なのに、
インスタレーションを重視するために
私にはとても作品は見え無いし、触れないように完全接着が多いようです。
ユニバーサルデザイン(国内最初に紹介は私)や
バリアフリーが普遍化しましたが、
それこそ、ホテルでユニバーサルデザインの部屋です、とか言われても、
「ドアには覗き窓がいくつありますか?」
「エツ、一つですが・・・」=二つ必要ゆえ、韓国の方が理解しています。
これでどれだけ喧嘩をしてきたでしょうか?
なんだか、息苦しい表向きの社会になっています。
「絶対に川崎が入れないショールームにした!」という建築家を信じます。

* 『健常者を差別することで社会暗部を照射する』
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『ユニバーサルデザインの原意』
* 『享保の手帖から私が学び直したこと』


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『「禁断症状」を知らしめてくれた灰皿』


   


     5月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

Accent on Designに私の作品=商品が展示されることになったのは、
New York SOHO Garally91で、
福井の伝統工芸、打刃物、和紙などの展覧会で評価を受けたからでした。
「川崎さん、何してるの早く会場に」、
「えっ、なぜですか?」
「CNNがあなたに会いたいと、灰皿が話題よ」
結局1時間後に会場に行くと、これを説明してほしい」と。
ようやく米国では禁煙が開始し出した頃でした。
SYMPTONSという商品名は、禁断症状を意味しています。
タバコが吸いたくなっても、灰皿孔の上のボールを移動しなければ、
これは一端吸いたくなっても玉をつまんで考えさせるというモノでした。
ともかく、下手くそな英語で懸命に答えました。
それが放映されると会場では、この展示コーナーが話題の中心になりました。
それからは著名なメーカーの社長たちと会って、
私の作品の商品化を話合いました。
メーカーでは、自分のメーカーブランドでというのがあり、
絶対にメーカー名を二つ、それも日本メーカー名を最初にと言い続けました。
「OEMでも・・・」というのは全部断りました。
試作をメーカーでやってもらいましたが、
何と言ってもその当時に鋳物に石目塗装は「タカタレムノス」だけでした。
断然に日本の企業、タカタレムノスが優れていました。
私はt低レベル製造を一切拒絶し、それは今も全くブレていません。
その頃私も禁煙をなんとかしようと考えていました。
自分での紙巻きタバコを造ってみても、
それは素早く紙巻きが出来るようになったりでした。
そこで、この灰皿となると、
2つの灰皿孔では駄目、それで3つの灰皿孔でも、
結局、この灰皿で禁煙は出来ず仕舞いだったのです。
それでこの灰皿デザインでは、
デザインをともかくし続けることをしないと、
自分自身がデザインへの禁断症状になるということになり、
もう車椅子での生活も40年になりました。
禁断症状はデザインをし続けることを学んだことでした。

* 「日本のProduct Desigerを日本から」
* 『資本主義からの逃走』*「酒とタバコとゆで卵」
* 『タバコ・喫煙再開せず』
* 『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』
* 5月6日Staff Blog


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