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Posts Tagged ‘国家権力’


『ロシアでの冬期オリンピックに象徴されていたこと』


   


     2月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

国家には明らかに言語の統一力だけがあるようです。
まず、一つの国家の中に多言語が一つに統一されて、しかも、
イデオロギーの対立が武力でのみ押さえつけられている国家。
「ソチ・オリンピック」を見続けてしまいました。
私がとても気になっている国家物語りのストーリーづくりでした。
国家歴史を「交通」で統合化し、
それはトロイカからロシア鉄道、大戦後の道路交通、
そして宇宙開発・ロケットと青い地球でした。
とても見事だったと思いますし、私が最も留意していたソ連確立、
それはロシア・アヴァンギャルドと赤い色の使い方でした。
あたかも平和の象徴であるスポーツ祭典は、
完璧な大軍事力でテロリズムを押さえ込んでいました。
スポーツが平和と直結しているという幻想の背後には国家権力、
すなわち、強大な軍資金と軍事力が宗教イデオロギーの方向を
今は確実に押さえ込んでいますが、
多分、言語の違いと宗教の対立をこの期間だけは、
封じ込めることができるかどうかです。
私はせめて有能なスポーツ選手達の生命は監護してほしいです。
平和の象徴という幻想の背後に、
いつまで「大人の事情」がありつづけるのでしょうか。
全世界に、これまでの経験を越える寒波が訪れています。
この祭典と同時刻に、またまた震災地には地震がありました。
人には「感激と感動と感謝」が備わっています。
そして現代社会で「感激と感動と感謝」この三つが体現出来るのは
スポーツ、その最大のイベントに集約されています。
それだけに「感激と感動と感謝」をたとえ幻想でも、
この幻想国家の軍事的な象徴の中で隠されているべきでしょう。
ロシアに至るまでの「赤い歴史」の裏側=軍事力と
平和=スポーツのバランスこそ、現代の意味そのものなでしょう。

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「デザイン史の講義を語るにはロシア・アヴァンギャルドから」
『端的な社会制度の具体的な改善が必要』
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『資本主義からの逃走』
 「社会主義実現のための市場経済論の見事さ」


   


     2月 23rd, 2010  Posted 10:00 AM

生産力強化への
学びとしての模倣
「南巡講話」によって、「市場経済論」は、
多言語・多文化である中国在住大衆=「中国人」を、
統一する見事な教条主義であり、共同幻想付与論でした。
日欧米は、資本主義に立ち入ってくるこの論理の策略を
見過ごしていたのではないでしょうか。
無論、中国での反体制者たちへの、
「弾圧非難」の正当性こそ、
自由主義であり民主主義の本意意識だと、
批評したに過ぎなかったのではないだろうかと思います。
以後、チベットへの侵攻弾圧、国内での統制監理の強化は
共産党一党支配を専制政治を圧倒的なものにしました。
大きく見つめ直せば、三つの根幹があります。
● 生産力を「個人化」させて、収奪と富の集中支配
●「個人力」をあたかも自由さだと情報統制の徹底
● 国家権力=一党専制支配力は軍事力の増強へ結合
この三つは、生産力強化のみが経済と計画の基盤という、
見事さだったものと考えざるをえません。
具体的に言い換えてみましょう。
生産力は「商品価値」づくりです。
その「商品価値がもっともアイコン性あるモノ」を選別、
すなわち、日欧米「ブランド価値の模倣」です。
これはわが国も、
敗戦直後にモノマネ・コピーの経験に重なります。
「生産力の強化育成、その即効性」を得る手法は、
産業発展史では同等です。
「あなた方は、モノマネ・コピーは学び構造ですから、
どんどんやりなさい。そして苦情は国家が謝罪をします」。
こんな中国の市場経済の裏構造が見え隠れします。
そこに、米国での「金融工学」には、
大きな失策がありました。倫理観の大きな欠損です。
倫理性は中国同様だったものと判断せざるをえません。

北京オリンピックと上海万博が実現します。
この二つが、
市場経済論と一党支配軍事力統制はまだまだ不明ですが、
明確に成功したのは、日本からの収奪は侵攻しています。


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