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「資本主義からの逃走」
  「美化することの形式・内容は真意・虚実に」


   


     3月 23rd, 2011  Posted 12:00 AM


この大震災・原発事故に当たって、
私は、自分のスタンスをともかく保持。
と言いつつもパニック化していたと思います。
14日から18日は全国がパニック化と疲労したと思います。
それはこのブログアクセスの異常なアップ変動で判断しました。
私はこのブログによって、「言葉を失わない」自分であること。
「普通であること」。
「私の日常は、私の役割をさらに積み上げていくこと」。
それは、たとえば、今デザインテーマやまもなく新学期準備、
毎日の活動の積み重ねでした。
それはまもなく出版予定の
『倉俣史朗のデザイン全仕事・夢の形見に』校正作業でした。
そこで、もっとも考え抜いていたことは、死者へのオマージュ、
それは必ず「美化」するものです。
果たして「美化する」という表現が、事実を歪曲し、
すべからくを「正しさ」に昇華してしまう畏れへの考察でした。
憧憬し、尊敬していた人物のしかも夭逝から、
その人自身の全仕事が「美学まっただ中の仕事」です。
だから、その「美しさ」を解釈し、敬意・オマージュは、
「美化」の塊と言っていいでしょう。
加えて、TV報道される内容には泣かずにはおれない悲しみが、
幾たびもまさに津波のごとく私を混乱させていました。
現政権や電力企業の対応には、
批判は非難に至るであろう心の中の怒りを覚えることしばしばです。
けれども、冷徹であるためには、自分にその批判を向けることでした。
その象徴に「美化」を置きました。
具体的には、1997年から2004年に20回の連載記述を凝視し、
その客観的な思考洞察をしながら
この国難をともに考えることにしてきたわけです。
あきらかに「美化」しています。
それは私が自身、母の死を「美化」してこそ心の中で、
それゆえに合掌している自分、
自分への同一性を確認できていると確信できるからです。
私は「美化」することに、
バランス感覚を保持し続けることができうるかを試そうと決意しています。
被災現地で被災死亡者のご遺体は、
身元確認をDNA記録化して後日確認で土葬という悲惨さです。
埋葬の形式を度外視して内容だけ、
いわば死亡者への畏敬形式を後回しにというほどになっています。
学べることは、形式ではなくて内容あっての形式だということです。
だとすれば、「美化」することで、
この悲しみの共有と分配程度しか
私たちの精神正常化保持はできないのかもしれません。
私は「美化」することの均衡感覚だけを残しておくつもりです。
形式と内容は、真実と虚実を混乱させることに繋がっています。


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